王子様の切なくも甘いキス

第44話 王子様の切なくも甘いキス


 これまでずっと人質として利用されているだけかと思っていた創さんの気持ちが本物だと分かった。


 そして、創さんが私のことをどんなに大事に想ってくれているのかも。


 初めて好きになった創さんと両想いになれて、本物の婚約者となったのだ。


 あとは創さんのものにしてもらうだけ。


 とはいっても、これまで色恋にまったく縁のなかった私には、何もかもが未知との遭遇でしかない。


 こうしてベッドで組み敷かれているものの、一体どうすればいいかが分からない。


 そんな私は、さっきからドックンドックンとやかましいほど高鳴っている胸の鼓動を耳の傍で感じながら、瞼をギュッと閉ざしたまま縮こまっていることしかできずにいた。


 そこに、ふっと柔らかな笑みを零した創さんの声が耳に流れ込んでくる。


「どうした? やっぱり嫌になったのか? ならもう今夜はやめ――」


 またどうせからかわれて笑われてしまう。


 かと思いきや、私が嫌がると決めつけたような物言いだ。しかも私の返事次第では、やめると言う。


 さっきの上から口調を放った人と同一人物のものとは思えない、創さんらしからぬセリフだ。


 なにやら違和感のようなものを感じてしまう。


 けれど、そんなモノにいちいち構うような余裕なんて微塵もなかった。


 創さんが処女である私のことを気遣ってくれている、そうとしか思えなかったのだ。


 そんな創さんの優しい心遣いが、嬉しくもあった。


 なにより、早く大好きな創さんのものにしてほしい――。


 私の心の中には、羞恥と、ほんのちょっとの不安と、処女のクセにそんな想いとで埋め尽くされてしまっていたのだ。


 だからまったく嫌ではない。


 それをしっかりと伝えたくて声を放ったものの。


「いや、その、嫌とかじゃなくて、こういうとき、どうしたら……いいかが……分から……なくて……」


 羞恥には打ち勝てず、だんだん語尾がフェードアウトしていく。


 けれどもどうやらその言葉は創さんには伝わってくれたようだ。


 創さんは、なにやら苦しそうな表情で私のことを見下ろしてきて。


「……今夜はもうやめにしてやろうと思ったのに……。そんな風に煽られたら、もう、どうなっても知らないぞ?」


 思った通りの言葉と、少々理解不能なことも言ってきたけれど、どうやら続行してくれるらしい。


 それに、心根の優しい創さんは、どんなに意地悪なことを言ってきても、本当に私が嫌がることはしない。


 だから少しも怖くなんてなかった。


 ――やっと創さんのものにしてもらえるんだ。


 処女のクセに、ホッとしてそんなことを思っていた私は、創さんのことを真っ直ぐ見つめ返しつつ、今度はしっかりとした口調で答えてみせた。


「はい。早く創さんのものにしてください」


 すると創さんの表情が途端に驚きの色に染まった。


 けれど、すぐに何かを勘案でもするような素振りをしてから、すっとお得意の無表情を決め込むと。


「……分かった。菜々子の望み通りにしてやる。菜々子は俺のことだけ感じてろ」


 創さんらしい上から口調でそう宣言するやいなや、私の無防備な唇に、口調とは裏腹のなんとも優しくて甘いキスを降らせてくれたのだった。


 創さんが降らせてくれるなんとも優しくて甘いキスが、やがて唇からそれて色んな場所を辿り始める。


 最初は、流した涙の痕がまだ残っているだろう頬をそうっと優しく拭うように。


 次は目尻から耳元にかけてゆっくりと肌の上を滑るようにして辿ってゆく。


 あたかも私の肌の感触をじっくりと味わってでもいるかのよう。


 けれど触れ方がとっても優しいせいか、これからいかがわしい不埒なことをされようとしているのに。


 なにか神聖な儀式でもしているのかという錯覚でも起こしてしまいそうなほど、とても心地よくて、安心できる。


 心地よすぎてポーッとしている間にも、創さんの唇に触れられたところから、ほんのりと熱を帯びてゆく。


 帯びた熱が徐々に熱せられ、全身が熱く火照って、とろとろに蕩けてしまいそう。


 そんな夢心地のなか、創さんの唇が、いつしか閉ざしていた瞼の上にそうっと優しく触れてきて。


「……菜々子」


 少しだけ掠れたなんとも色っぽい声音で名前を呼ばれた。


 その声に操られるように瞼を押し上げた先には、なにやら苦しげな表情を湛えた創さんのイケメンフェイスが待っていた。


 何故だろう。創さんの瞳がやけに悲しげに見えてしまい、胸がぎゅっと締め付けられる心地がする。


 どうしてそんな風に感じてしまったのかもよく分からないまま、間を置かずに。


「今菜々子に触れてるのはこの俺だ。これから先も、ずっとずっと先の未来でも、菜々子に触れていいのはこの俺だけだ。いいな?」


 ついっきまで悲しげに見えていた瞳を不安げにゆらゆらと揺らめかしながら、聞き慣れた高圧的な命令口調でそう言い渡されてしまい。


 ――そんなにも私のことを想ってくれてるんだ。


 さっき感じてしまったそれら全部が、創さんの私を想う気持ちの表れなんだと思うと、たちまち胸はキュンとなる。


「はい」


 相変わらず不安げに私の反応を窺っている創さんに向けて、即答した私は、その嬉しさを抑え切れずに、創さんの背中にギュッと抱きついた。


「……本当にいいんだな?」


 それなのに、創さんからは、今更としか思えない言葉が返ってくる。


 ――もしかして、私が処女だから案じてくれてるのかな?


 考えたくはないけど、創さんはこれまできっと何人もの女性とこういうことをしてきたのだろう。。


 もしかして、処女を相手にするのが初めてとか?


 ――だったら嬉しいな。


 たとえ創さんにとっての初めての相手が私じゃなくても、処女である私とのことが創さんのナカに色濃く残ってくれるんじゃないか――淡い期待を抱いてしまう。


 そう思うだけで、幸せな心持ちになれる。本当に恋って不思議だな。


 胸がジーンとして気を抜いたら泣いてしまいそうだ。


 だからって、こんなところで泣いちゃったら、また創さんを不安にさせてしまう。


 それにあんまり迷惑をかけてしまったら、せっかくこんなにも好きになってくれているのに、気持ちが醒めてしまうかもしれないし。


 こんな王子様みたいな素敵な人がどこにでも居るような平々凡々を体現したような私のことを好きになってくれるなんて、こんな奇跡みたいなことは、もう二度とないだろうから。


『俺のことだけ感じてろ』


 創さんに言われた通り、私は余計なことは考えず、創さんのことだけ感じていればいい。


 そうしなきゃ、とは思うのだけれど、これが本当に夢じゃないんだってことをしっかりと確かめておきたくもある。


 ――だってそうでもしないと、明日になったら全部夢だった、なんてオチが待っていそうなんだもん。


 そんな想いに駆られた私は泣きそうになるのをぐっと堪えた。


 そうして、創さんの胸にしがみついたまま返事をしてから、おずおずと尋ね返す。


「……はい。あの、その前に、確認なんですけど、これって夢じゃありませんよね?」 


 すると創さんは、さっきまでの不安げだった表情と悲しげだった瞳はなんだったのか、と思うくらい、怖い表情に変化てしまう。


 まるで般若のような形相に豹変した創さんは、


「はぁ!? 夢だとッ?! もしかして、夢だと思いたいってことなのか?」


 怒気の孕んだドスの利いた低い声音で凄んできた。


「あのッ、べッ、別に、そういう意味じゃ」


 たじろぎつつも反論を返した私の声は、次に創さんの放った、さっき同様のえらく上からな高圧的な低い声音によって、瞬時に掻き消されてしまう。


「もういい、分かった。これが夢じゃないってことを、この俺が今からたっぷりと身体に教え込んでやる。それと一緒に、この俺がどんなにお前のことを想っているかも、たっぷりと刻み込んでやる」   


 けれども創さんの言葉には、私への想いが込められていた。


 だから、怖いなんて感情は微塵も湧かず、代わりにあたたかなもので満たされてゆく。


 もう胸が一杯ではち切れてしまいそう。


 そこへ、再開された創さんの少し荒々しくも優しい甘やかなキスが首筋を伝い始める。


「……んっ」


 同時に、甘い吐息が私の唇から零れてゆく。


 やがて創さんの柔らかな唇が至る所を辿り、いつしか胸元の柔らかな肌を擽り始めていたのだった。


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