王子様の暴走

第36話 王子様の暴走


 創さんは、私の言動に酷く驚いているようだ。


 けれどもそれも一瞬のことで、すぐに訊き返してきた。


「……それってつまり、お前は俺のことを好きだと自覚したってことだよな?」


 その言葉で、ようやく自分の失言に気づいたところで、なかったことになんて、してくれないだろう。


 そうと分かっていたとしても、今更あとになんて引ける訳がない。


 だからといって、うっかり者で間抜けな私に得策なんて思いつくはずもなく。


「違いますッ! あなたなんか大っ嫌いです! だからもう解放してくださいッ! お願いしますッ!」


 小柄な私のことを上から見据えてくる創さんに向けて、渾身の反撃を放つのが関の山だった。


 もう勝負なんて目に見えていたのだ。


 それでもどこまでも諦めの悪い私は、もう、これ以上好き勝手にされてなるもんかと、キッと強い視線で睨み返すのだった。


「悪いが、その願いは聞いてやれない」


 そこへ、創さんから返ってきた言葉は、予想通りのものだったけれど、条件反射で思わず。


「……どうしてですか?」


 そうは放ってみたものの。


 ――きっとまた、脅迫じみたことで黙らされるのがオチだ。


 そう、落胆してしまっていた私は、すっかり項垂れてしまい、足元を見つめつつ涙を必死に堪えていた。


 もうどうせ、何を言っても無駄だ。


 諦めるしか他に方法はないんだからしようがない。


 完全に、諦めの境地に到達していたのだ。


 そんな私の身体がグラリと傾いて、突然のことに驚いているような猶予も与えてもらえないまま、とさっと背中から着地した場所は、部屋の壁伝いに置かれていたベッドの上だった。


 急なことに着地と同時に反射的に閉ざした瞼を上げると、視界いっぱいには創さんのイケメンフェイスが映し出されていて。


 呆然としてしまって、創さんのことを見つめ返すことしかできないでいる、私の涙まみれの頬を創さんは、指でそうっと優しく拭いつつ。


「『どうして』? そんなの当然だろ? 好きな女にやっと好きになってもらえたのに、その女をみすみす諦めるほど、俺はバカじゃない」


 耳を疑うようなことを言ってのけた。


 創さんの言葉に、私の全身の機能が不具合を起こすという、アクシデントに見舞われることとなった。


 けれども、創さんの言葉はまだまだ終わらない。


 あたかも私のことを尚も驚かせて、完全に息の根でも止めてしまおう、とでもするかのように……。


「菜々子がずっと俺のことだけを見てくれるのなら、どんなことがあっても、この俺が絶対に守ってやる。だからずっと俺の傍に居てほしい。そう思っているくらい、俺は菜々子のことが好きだ」


 これは幻か夢でも見ているのかと自分の目と耳を疑ってしまうくらいの、なんとも情熱的で衝撃的な言葉を創さんからお見舞いされてしまったのだった。


 ――こ、これは一体、何が起こっているんでしょうか? まったくもって理解が追いつきません。


 創さんの言動の全てがあまりに現実離れしていたものだから、頭が追いつかないのは勿論のこと。


 創さんの表情が、これまで目にしてきたもののなかで、一番柔らかで優しいものだったから余計だ。


 ――やっぱりこれは、夢か幻に違いない。


 おそらく、昨夜はなかなか寝付けなかったから、無意識に眠ってしまってて、寝起きで寝ぼけているからだろう。


 そうだ、絶対そうに違いない。


 ーーなんだぁ、そうだったのかぁ。びっくりしちゃったなぁ、もう。


「……あのう、私、寝ぼけちゃってるみたいですねぇ」


 なんて途端にホッとした私が創さんに同意を求めたところ。


 創さんの柔らかで優しかった表情が見る間に困惑したものへと変貌してしまう。


「まさかとは思うが。俺が言ったことを全部夢にして、なかったことにでもしようとしてるのか?」


 今度は怖いくらいに真剣な表情をして、ぐっと、鼻先すれすれまで迫ってきた創さんによって、凄まれてしまい。


 一瞬はたじろいだものの……。


 ――どうせこれは夢なんだから、ここで負けてなるものか。


 たちまち勇気百倍。アニメのヒーローの如く奮起した私は、反撃に出るのだった。


「……だっ、だってっ! 今まで、嫉妬みたいなことは言ってたけど。私のこと好きだなんて、一っ言も言ってなかったし。訊いても、否定してたじゃないですかッ! そんなの信じられませんッ!」


 けれども私の言葉を耳にした刹那、創さんの怖いくらいに真剣だったイケメンフェイスが、何故か徐々にほんのり紅く色づき始めて。


 ついさっきまでの勢いまでが削がれていくように、いきなり私から退き、色づいてしまった顔を隠すように自身の大きな右の掌で覆い隠してしまった。


 そうして尚も、私の視線からも逃れようとするかのように、プイッと明後日の方を向いてしまった創さんが、


「……そんなの当然だ。この俺が嫉妬して我を忘れるなんて。あんなこと、初めてだったんだからな。それなのに、従兄のことが好きだなんて言い出して、あんな状況で言えるわけないだろ」


実に忌々しげに、ボソボソと毒づくように呟きを落としたのだけれど。


 その内容が、これまた意外すぎたものだったから、知らぬ間に、あんぐりと大口を開けた私は、それと同様の大きな吃驚眼で、創さんの横顔を凝視したまま言葉を失ってしまっている。


 ――恭平兄ちゃんのことを好きと言った覚えは全くないんですけど……。


 創さんの言葉を聞く限り、創さんのプライドは、かなり高いのだということが窺えた。


 けれど、あいにく今の私にはそんなモノに構っている余裕なんてなかったのだ。


 まぁ、それは仕方ないことだと思う。


 だって、プライドのお高いらしい創さんからしてみれば、そんな私の様子に、黙ったままでいられる訳がなかった。


 しばらくして顔の赤みがおさまったのか、すぐにいつもの調子を取り戻したらしい創さんによって、私は元の状態へと追い込まれ。


 余裕なんてすぐに根こそぎ奪われてしまっていたのだ。


 そうして元通り、私のことを組み敷いている創さんに見下ろされつつ。


「あんなに嫉妬させられたのは、菜々子が初めてだ。それに、俺のことを好きだと自覚したんだから、もうこれからは一切手加減なんかしてやらない。今すぐ、俺のものにしてやる。もう夢だなんて、そんなこと言えないように、もっともっと俺のことを好きにさせてやる」


 えらく高圧的な命令口調の割には、表情はどこか苦しげで、見聞きしているだけで胸がギュッと何かに強い力で締め付けられるようで。


 なんだか切ない心持ちになってくる。


 その様子からも、それだけ創さんの気持ちが真剣なんだってことが伝わってくる。


 もう人質だとか、父親のことだとか、そんなものは頭からスッポリと抜け落ちてしまっている。


 何の反応も示さない私の頬に創さんの大きな手がそうっと優しく触れてくる。


 あたかも、さっき怒らせてしまった私のことを優しく宥めるようにして。


私は何の躊躇いも抵抗も見せずに、ただされるがままでいる。


 触れるのを赦した私のことを創さんは愛おしげに見遣ると、そのままゆっくりと私の唇に甘い口づけを降らせた。


 これまで創さんとは幾度となくキスを交わしてきたけれど。


 それらは全て、恋愛ごとに不慣れな私に免疫をつけることと、創さんのことを好きにさせて人質として利用するためでしかないんだって思ってた。


 でも、さっきの創さんの口ぶりだと、それだけじゃなかったって、ことだよね。


 どうしてかは分かんないけど、私のことを好きになってくれていたらしい創さんが、自分のことを好きにさせたいって思ってくれてたって、そういうことだよね。


 それに、あんな風に嫉妬したのも私が初めてだって言ってくれてたし。


 ――初めて好きになった人に好きになってもらえて、こうしてキスまで交わしてるなんて、なんだか夢のよう。


 ついさっき両想いになったばかりの創さんと、これまでのキスとは比べものにならないくらい、甘くて優しいキスを交わしながらポーッと夢うつつだった。


 そんな夢心地だった私の身体が不意に僅かに浮かび上がって、それが背中に回された創さんの手によるものなんだ、と分かった刹那。


 身につけていたワンピースのファスナーが中程まで下ろされ、そのままブラのホックまでがプチンと器用に外されて。


 そこで初めて、我に返った私の心臓が物凄いスピードで鼓動を打ち鳴らし始めた。


 さっき創さんが、今すぐ俺のものにしてやるって言ってたけど。あれってつまり、創さんは私と――セッピーピーをするってことなんだ。


 ――ええッ!? 今すぐ、ここで!?


 そんなの困っちゃうよ。心の準備だってできてないし、第一、今日はご当主にご挨拶に来ている訳だし。


 何より、こんなところで、こんなことやっちゃってていいの?


 いくらどこかのホテル並に広い豪邸だからって、大広間には皆さんがいらっしゃる訳で。


 今は少し休憩を兼ねて創さんの部屋に居るだけであって、また皆さんのところに戻らなきゃならないっていうのに……。


 この短時間の間に、あれこれ勘案していた私の頭がそこまで行きついたところで。


 そんなの、恥ずかしすぎて一体どんな顔して戻ったらいいか分かんないよー。


 ――ダメ、ダメ、そんなの絶対ダメッ!


 夢うつつから一転、現実に引き戻された私が大慌てで声を放つも。


「……あっ、あのっ! 早くっ」


 さっきまでのキスで思いの外乱れてしまっていた呼吸と、慌てているのとで、一息に言い切ることができなかったばかりか。


 それを聞いた途端に、一瞬だけピクッと反応を見せた創さんから、驚いたような声が返されて。


「……お前、処女のクセに大胆だな。俺が折角抑えてやってるのに、そんな風に煽られたら、もう優しくなんてしてやれないぞ? いいのか?」


 しかもそれにより、何やら大きな勘違いをされてしまっている、ようで。こっちの方が吃驚だ。


 なんとかして誤解を解こうと、声を出そうとするも。


「……えっ!? あっ、あのっ、違くてッ」


「嘘だ、安心しろ。菜々子が俺のことを好きになって良かったって、心から思えるように、精一杯優しく抱いてやる。だから怖がる必要はない。いいな?」


 今まで見たこともないような優しい微笑みを湛えたイケメンフェイスでふっと優しく微笑みつつ、優しい言葉まで返されてしまっては、もうそれ以上抵抗する気などどこかに消え失せてしまう。


 優しい微笑と言葉に魅入られたようにポーッとしたままコクンと頷くことしかできない。そんな私のことを創さんは満足そうに見やると、もう一度優しい口づけを降らせた。


 そのなんとも優しい甘やかな口づけに私が夢うつつで酔いしれている間にも、創さんの柔らかな唇は首筋へと移っていて。


 気づいたときには、創さんによってワンピースは大胆に肌けられており、露わになった首筋や肩口にまで口づけられていたのだった。


 いくら抵抗する気が消え失せたっていっても、恥ずかしいことには変わりない。


 けれど、創さんが、『精一杯優しく抱いてやる』そう言ってくれた言葉通り、まるで宝物にでも触れるかのように、あんまり優しく触れてくれるものだから。


 もっともっと触れてほしい。

 

 このままずっとこうやって触れ続けていてほしい。

 

 もっともっと触れあって、創さんのことをもっともっと近くで感じていたい。


 羞恥とは相反する、ちょっとはしたないんじゃないか、と思ってしまうようなことを願ってしまっている自分に気づいて、驚くばかりだ。


 頭の片隅で、そんなことを考えてしまってる間にも、創さんの柔らかな唇は、色んなところを辿っていて。


「ひゃんっ!?」


 くすぐったさとひんやりとした感触とに条件反射的に漏らした、自分の可笑しな声に驚いて、ビクンッと身体を跳ね上がらせてしまうのだった。


 そんな私の反応をいち早く察知した創さんから。


「どうした? 怖いのか?」


 そう訊かれた途端に、急に恥ずかしくなってくる。


「……急に……恥ずかしく、なって……きちゃって」


 そのことを途切れ途切れになりつつも、おずおずと素直に口に出した瞬間。


 何故か、微かに顔を赤らめてしまった創さんによって、ギュッと正面から抱きしめられてしまっても。


 何がどうなっているのか分からず、ただただされるがままで動くことができない。


 正面から身体に乗っかるようにして抱きしめられてしまっているお陰で、創さんの身体とピッタリと密着してしまっている。


 よって、昨日は教えてもらえなかった、例の生理現象と対峙することとなっているのだった。


 益々、恥ずかしいし、どうしたらいいかが分からず、カッチーンと固まっている状態だ。


 加えて、ギュッと思いっきり抱きしめられているお陰で、息まで苦しくなってきた。


 とうとう堪りかねた私は、なんとかしてそのことを知らせようと、もがくようにモゾモゾと動く。


 だが余計に生理現象との密着度が増してしまっている。


 数秒しても創さんの動く気配がなくて、途方に暮れかけたとき。


 私の異変にやっと気づいたらしい創さんがいつになく慌てたように、私の身体から退いた。


 続けざまに、私の真っ赤になっているだろう顔を鼻先すれすれの至近距離から覗き込んできて。


「……悪い。お前があんまり可愛い反応をするものだから、自分を抑えられなくなりそうで、それを耐えるのに必死だった。もう大丈夫か?」


 形のいい眉を八の字にして、とっても申し訳なさそうに、気遣ってもくれた。


 吐息のかかりそうなこの至近距離で恥ずかしいはずなのに。


 そんなことなど、もうどうでもよくなってしまっていて。


 ――早く創さんのものにしてほしい。


 なんてことを思っていた私は、またまた黙ったままコクンと素直に頷いていたのだった。


 その様子をふっと柔らかな笑みを零した創さんが満足気に見届けてから、再びキスが再開されて。


 このまま創さんのものにしてもらえるんだ、そう思っていたのだけれど……。


 まるでそうはさせるか、というように、突如不躾に部屋の扉をノックする音が響き渡り、その数秒遅れで。


「創様。ご当主がお呼びでございます」


 菱沼さんのよく通る低く落ち着きある声音が私たちを包み込んだ。その刹那。


 イケメンフェイスを忌々しげに歪めてチッと舌打ちした創さんから声が降ってきた。


「……その気になってくれた菜々子には悪いが、お預けだ」

「……へ!?」

「そんな残念そうな顔しなくても、今夜は寝かせる気はないから安心しろ」

「……えっ、あのっ、別に残念だなんてことは」

「……へぇ、ずいぶん余裕だな。俺なんてこのままじゃ、戻れなくなってるっていうのに」

「……ッ!?」

「そんな反応されたら、ヤバいからやめろ……と言われても困るよなぁ。まっ、とにかく俺は色々あるから先に戻るが、菜々子は暫くして落ち着いたら菱沼と一緒に戻ってこい」

「……え? 私も一緒に戻ります」

「ダメだ。そんな真っ赤な顔して戻ったら何してたかバレバレだぞ? 嫌なら後でこい。わかったな?」

「……は、はい」


 未だ組み敷かれているせいで、色々恥ずかしいのに、尚も羞恥を煽ってくる創さんに、最後に畳み掛けるように押し切られてしまい。


 素直に頷いた私の頭をぽんと撫でてから、ベッドから降りてしまった創さんは、アッシュグレーのスリーピーススーツとネクタイの乱れを手慣れた様子でささっと正すと。


「菱沼。悪いが、菜々子の体調が戻るまでそこで待ってやってくれ。俺は先に戻る」

「はい、かしこまりました」

「じゃあ、頼む」


 部屋の外の菱沼さんに指示を出すと、そのまま部屋から出て行ってしまったのだった。


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