突然の訪問者
第13話 突然の訪問者
一通りの掃除も済ませて、後はカメ吉ルームを残すのみ。
設備に関しては、専門の業者さんが定期的にメンテナンスにきてくれるらしい。だが水槽のフィルターはこまめにチェックしないと、排泄物や食べ残った餌などが詰まって水が濁ってしまうらしい。
そうなると亀は餌を食べなくなってしまったり、病気になってしまったりするそうだ。
もっと簡単だと思っていたけれど、亀を飼うのは結構手間がかかるようだ。
といっても、カメ吉の水槽は大きくて、体長二十七センチのカメ吉が小さく見えてしまうほど、設備も見た目もご立派なので、毎日水替えをしなくていいから楽なもんだ。
それになにより、カメ吉を眺めているとなんだか癒やされるーー。
というわけで、フィルターもチェックし終えた私は、今日も気持ちよさげに立派な青石の上で甲羅干し中のカメ吉を眺めている。
【ずいぶんご機嫌ね。その様子だと、仲直りはうまくいったようね】
そうしたら、意識にすーっとそんな言葉が入り込んできて、私は牧本先輩にでも話す感覚で、弾んだ声を出していた。
「そうなんです。でもそれだけじゃないんですよ~。今日もこれからブランマンジェ作るんですけど、もしかしたらパティシエールとして認めてもらえるかもしれなくて、もう嬉しくってぇ!」
【まぁ、それは良かったわねぇ】
「はいッ!」
【それにブランマンジェ、美味しそう。私も食べてみたいわぁ】
「あっ、良かったら食べてみてくださいよ……って。ええッ!?」
桜小路さんの言葉があんまり嬉しかったものだから、はしゃぎまくりだった私は夢中で喋っていたのだけれど、途中で、今更ながらに、ハタと気づいたのだ。
――私って、一体誰と話していたんだっけ? と。
ブンブンと
水槽を煌々と照らしている紫外線ライトのその下で、ゆったりとした動作で首を傾げて、こちらをじっと窺っている。ような素振りを見せるカメ吉。
意外と円らな潤んだ瞳をパチクリ瞬かせているカメ吉と、対峙し見つめ合うこと数秒。
――いやいやいや、ないないない。だって、亀だもん。
そういえば、事故に遭ってから三日間も意識なかったらしいし。退院したばかりだったし。環境もめまぐるしく変わったし。ちょっと疲れてるのかも……。
でも、そろそろブランマンジェの準備をしないとなぁ。冷やし固める時間を考えたら、遅くとも午後一時までには冷蔵庫に入れとかないと。
今が、一〇時五〇分を回ったところだから、もうちょっとだけ休憩しようかな。
ふと、壁に掛けられているクラシカルな時計から、再びカメ吉へと視線を向けた刹那。
【ふふっ……やっぱり思った通りだわぁ。可愛いパティシエールさんには私の言葉が分かるのね】
微かに首を傾げた、なんとも愛らしいポーズで私のことを円らな瞳で見つめつつ、あたかもテレパシーでも送るようにして言葉が私の頭に割り込んでくる。
「かっ……か、か、か、か、カメ吉ッ!?」
確かに言葉は頭にすーと入ってくるけれど、正確には喋ってはいない。けれど冷静でなんていられる訳もなく、腰を抜かすほど驚いてしまった私は盛大に派手な声をぶちまけていた。
そこに、やけに冷静なカメ吉から再びテレパシーのように頭にすーっと言葉が入ってくる。
【驚くのも無理ないわ。私だって死んだとき、『我が子を残してなんて成仏できないからこの世に残して』ってお願いしたけど。まさかお祭りでもらってきたカメ吉に転生するなんて思わなかったもの。でもお陰で、カメ吉として天寿をまっとうするまでは創の傍にいられるんですもの。こんなに嬉しいことはないわぁ】
その声のおかげで、どうやらこれが夢ではないらしいこと。そして驚くことに、その内容と口ぶりからして、昨夜聞いたばかりの桜小路さんのお母様らしい、ことが分かったのだった。
どうやら私はカメ吉に転生しているらしい桜小路さんのお母様と、今、話をしているらしい。
けれどもにわかに信じ難くて、いまだうまく把握しきれていない。
カメ吉を瞠目したまま見つめることしかできないでいる私の耳に、突如パタンと、私とカメ吉しか居ないはずなのに、どこかのドアが閉まるような物音が聞こえてきた。
……ところで、今の私にはそんなことに気を配っているような気持ちの余裕もなく、ただただ突っ立っていることしかできないでいる。
すると今度は、パタパタと誰かが廊下を歩くような音が徐々に近づいてきて、カメ吉ルームのドアがガチャリと音を立てた次の瞬間。
開け放たれた扉の向こうから、年の頃でいうと、五十代いくかいかないかくらいの、上品な装いをした綺麗な女性が現れた。
【その方、創の継母よ。香水の匂いが凄いから後でしっかり換気した方がいいわ】
「入ってそうそう大きな声がしたと思ったら、こんなところにいらしたのねぇ。あなた、新しいハウスキーパーの方?」
どうやらカメ吉に転生したお母様の説明によると、桜小路さんの継母のようだ。
――って、ちょっ、ちょっと待って! 頭が追いつかないんですけど。
私の頭の中は、なにがなにやら、もう大パニックだ。
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