第174話 高さを調節できるタイプの

 じゃぁあああああ——


 水の流れる音が世界を満たしている。

 勘違いしないでもらいたい。

 これは別に放尿音ってわけではない。


 それはもうとっくの昔に出し切った。

 これは博士がシャワーを浴びる音だ。

 そこがメッカだと言わんばかりに、俺は額を床に押し付けていた。


 その姿勢のまま、かれこれ二十分は経っている。

 見る人が見れば敬虔な信徒だと勘違いしそうだが、これはジャパニーズ土下座だった。

 純度100の謝罪である。


 水の流れる音がぴたりと止まった。

 俺の心臓が一気に跳ねる。


 シャワーが止められるのは、これで五度目だ。

 だがこれまでの四度は、髪を洗ったりするために止められただけらしく、すぐにまたシャワーの音が再開した。

 今回はどうだろう。

 俺は刑務官の足音に耳を澄ませる死刑囚の心境で沙汰を待った。


 果たして——

 カチャリと、シャワー室の扉が開かれる。


(ああ、ついにこの時が……)


 博士が立てる音はやけに静かだ。

 とても怒っているようには思えない。

 それが余計に恐ろしかった。


 扉が開かれ、俺が土下座で待つ部屋に博士が入ってくる。


「…………」


 無言のままペタペタペタと近づいてくると、俺の背中にどすんと腰掛けた。

 こんな短期間で二度も椅子にされるとは。

 違いは座面が低くなっただけ。

 どうやら俺は高さを調節できるタイプの椅子らしい。


 二度あることは三度あると言うし、四つん這い、土下座ときてるから次は五体投地かなぁ、なんてことを現実逃避のように考える。

 でもそれだけは、なんとしても避けたいものだ。

 椅子ならまだしも、さすがに座布団扱いされたら人として終わりだ。


(……ん?)


 そういや春奈ちゃんが俺を座布団にしたとか言っていたような……。

 もしかして覚えていないだけで、すでに実績解除しているのだろうか?

 これが二度あることの三度目なのだろうか?


「おい」


 冷めた声が降ってきて、俺はびくりとする。

 まだ髪をしっかりと拭いていないのだろう。

 博士から滴った水滴が、ぽたぽたと俺の背中を叩く。


 服に液体が染み込み温かさがじんわりと広がる、心地いいのか不愉快なのかよくわからない、なんともいえない感覚。

 俺は痴話喧嘩に巻き込まれて原宿のスタバ店員に千枚通しで滅多刺しにされた時のことを思い出した。

 俺は震えた声で返事をする。


「……はい」

「お前が私のツラに小便をかけてどうする」

「大変申し訳ございません……」

「謝って済む問題か?」

「あ、あの、好きなだけ俺におしっこかけてもらっても……」

「なんのプレイだ! お互いにかけ合ったら色々と意味合いが変わってくんだろがボケ!」


 なら俺はこの大罪をどう償えばいいのだろう。


「…………」


 ……うん、そうだ。

 もちろん悪いのは俺だ。

 それは間違いないんだけど……でもどうしても確認しておきたいことがあった。


「あの、一つお聞きしても……」

「あ? なんだよ」

「博士はなんでトイレにいたんですか?」

「どういう意味だそりゃ。お前なんかがトイレを使うなってか? どうせすぐ漏らすんだから常にオムツでも履いてろってか? あぁ?」

「い、いえ、決してそのような意味ではなく……」


 俺は言葉をまとめる。


「便座の蓋を閉めてたし、ズボンを脱いだりもしてなかったので、何をしてたのかなって……」

「…………」

「もしかして、俺がトイレ我慢してるのを知ってて……」


 ガンと後頭部を踏まれた。

 二度三度と、そしてぐりぐりと踏み躙るように。


「だったらなんだ? お前が私のツラに小便をかけた事実がなくなるってのか?」

「滅相もございません」


 どんな事情があろうと、トイレの扉を破壊して中にいる人に小便をかけたらいけない。

 情状酌量の余地があった上で死刑だ。


 だから椅子にされることにも踏まれることにも不満はない。

 そう思っているのだけど……。

 それでも、どうしも気がかりなことがあった。


 今は博士以外みんな出払っているみたいだけど、そうこうしているうちにも誰かが戻ってくるかもしれないのだ。

 こんなところを見られたら、もう本当に人として生きていけなくなってしまう。

 まあそれを含めて罰だと言われたら、甘んじて受け入れるしかないのだけど。


 そんな俺の心境を察したようで、


「誰も来ねえよ」


 と博士は言った。


「え?」

「全員アメリカに向かった。ラストとかいう管理者と接触するためにな」

「じゃあどうして博士は……」

「色々と後始末があんだよ。あいつはいつもめちゃくちゃしやがるから」


 あいつとはアマンダのことだろう。

 吐き捨てるように言いながらも、振り回されることがまんざら嫌いでもないのが伝わってくる。


「大変ですね」

「もう慣れた。あとお前よりはマシ」

「……すみません」


 とにかく俺がほっと胸を撫で下ろすと、博士は「ふん」と鼻を鳴らして、俺を踏む足に力を込めた。


「私だって、こんなとこ誰にも見られたくねえわバカ」


 それもそうだなと納得していていると、


「あっ」


 と博士が声をあげた。

 どうしたんだろうと、恐る恐る振り返る。

 博士は惚けたように窓の外を見つめていた。


 そちらに視線をやると、そこには球体の単眼動物——もといドローンがふよふよと浮いていた。

 どうやら救急隊員さんに別世界人を受け渡した際、ドローンも一緒に懐から飛び出して、そのまま拠点の外に閉め出してしまったようだ。

 ドローンはじーっとこちらを見つめている。


「……もしかして、配信切ってねえのか?」

「そ、そうですね……」

「じゃあこれが今、世界中に流れてんだな」

「……おそらく」

「…………」

「…………」


”……何やってんのこれ?”

”え? 二人ってそういう関係やったん?”

”どういう関係やねん”

”これってどっちなんやろな”

”どっちって?”

”「ジローを踏みやがって!」って博士にキレたらいいのか「博士に踏まれやがって!」ってジローにキレたらいいのか”

”どう考えても後者やろ”

”だよな”

”マジで見損なったわジロー”

”ソロキャンパーを名乗りながら裏でこんな……”

”羨ましすぎて吐きそう”



————————————

【創作裏話】

 このエピソードを書いていて、ふと自覚したことがあります。

 どうやら私はゴールデンカムイが好きすぎるあまり、おしっこのハードルが著しく下がってしまっているみたいなのです。

 冷静に考えて「これ不快に感じる人絶対にいるよなぁ」とは思ったものの、すでに『ツラに小便をかける』という前振りをしちゃっているし、なにより「万人受けなんて最初から狙ってねえぜ!」ということで予定通りに断行しました。


 ご不快に思われた方、大変申し訳ありません。

 悪いのは全て人の価値観を変えるほど面白いゴールデンカムイ(特に白石)ですので、どうか作者を責めないでいただけたらと思います。


 PS. めちゃくちゃ筆が乗りました。

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