*閑話* 赤い鷲の乙女
自由と混沌を司る女神の名を冠する遥かな海に浮かぶ大地、ウーグイース。
その中心に位置し、かつての祖たる女王アヴェリアが興したるは“中王国”。
五百年前、ウーグイースに人の世を創らんとした強大な一族が在った。
その兄弟姉妹による壮絶な土地争いで覇を成し、長姉アヴェリアが他の兄弟姉妹を大地の端に追い払った伝説が有史以来残っている。
その世界の中心たるアヴェリアのそのまた中央の地であるアレクサンダー領。
東西南北からの交易路が交差するその地に現領主であるピサロ・ヴァイン・アレクサンダー公爵が治めたる城塞都市アーバルスがある。
かつては女王アヴェリアの長子の名を付けられたこのアーバルスこそが女王とその王位を継ぐ者達の在所であった。
しかし、ウーグイースに時の経過につれて七つの国(正確には竜種が治め、陸地からやや離れて存在する
かつて妹であるアヴェリアに敗北して中央を追いやられた兄アルヴァートが興したとされる“西帝国”が突如として軍を率いて中王国へと攻め込んだのである。
それを皮切りに勃発し、他の
その戦火から少しでも遠ざかろうとしたのか、程なくして王都は味方である
その王族が去った後の
恐らく、元来苦労を背負われる
だが、その二百年以上続いていた長き戦いが数名の超人達…
現在の平穏の時代が訪れたのはほんの三十年と少し前のことである。
その戦火の爪痕は未だ各地に色濃く、そして根深く残っていた。
さて、そんな中王国でも最も栄えるとされ、各地から多くの若者が夢を見て。
もしくは職を求めて流浪の民が殺到する城塞都市アーバルス。
だが、その自由さや豊かさを全ての市民が共有できること叶わず。
一部の富裕層を例外的に除き、中央国一の人口である市民全体の生活を実質支えていているのは全人口の五割に迫るとされる貧しき下級市民達である。
彼らは日夜、薄給の労働と貧困に喘ぎながらも他に寄る辺も無く健気に市内で息づいていた。
そして、そんな彼らと同じ立場に
彼らの殆どが市外または国外からこのアーバルスを訪れた所縁の無い者達である。
冒険者はどんな者であろうとも原則受け入れられる。
だがその本質は名ばかりの労働者か、命掛けで魔物が跋扈する迷宮から物資を持ち帰る為の鉄砲玉である。
ただその弾丸には良し悪しの差が大きく、それでも半分程度は手元に還ってはくる。
はっきり言って、市内の上級市民以上にとって冒険者という存在はそのように軽んじられているのが事実であった。
その雑多な冒険者の中に同郷の少年少女二人組の若い冒険者の姿があった。
と言っても彼らは中王国が興る前からこの地の辺境で生きる先住民族の出ということもあって、その体格は並の人間よりも大きく強靭であった為、とても少年と少女と呼ぶには逞し過ぎるのだが…。
彼らは最近受け持ったアルバイト先である南門から入って直ぐの区画から2
勿論、冒険者としては必ずしも成功しているとは言えない彼らの生活はカツカツで、節制も兼ねて食べ物も水も口にできない日すらあるほどの貧困生活を送っていた。
だが、そんな彼ら(正確にはその片割れ)は随分と今日は機嫌が良いようだった。
「がっはっはっ! おう、ヴリトー! ちゃんと飲んでんのかっ」
「ほどほどだよぉ」
行きつけである立ち飲み酒場で通常以上に飲んだくれる筋肉質な褐色肌の女冒険者はイノ=ウー。
それに絡まれている鷲鼻と語尾がやや間延びする口調が特徴の長身の男冒険者はヴリトーである。
「おいおい随分と今日は羽振りがいいなあ、アイツら」
「ああ。最近見掛けるようになった
「……奢って貰えっかな?」
「や、止めとけって! あの男女にまたぶん殴られっぞ?」
因みにだが、“赤い鷲の乙女”とはイノ=ウーとヴリトーの二人組パーティのギルド登録名(自由申請)である。
恐らくだが、その
当時、確かにこのアーバルスを初めてヴリトーと共に訪れた彼女はまだ花も綻ぶ十五歳の娘であった。
正し、「現在の出で立ちとさして変わらなかった」と、当時の記憶を持つ他多数は後に語っている。
それと「やたら
だが、なおも一人馬鹿騒ぎするイノ=ウーに安酒場の店主が痺れを切らしてカウンター越しに声を掛ける。
「おいおい、払いは大丈夫なんだろうな? 昨日は昨日で随分と他の店で飲み食いしてたみてえじゃあねえか。何やら良い
「あっ? なら払ってやるよおっ! ヒック…っこっちにはなあ~
「金貨だあ? お前らの給金は月明けだろう。
真鍮とは銀貨の百分の1の価値の通貨の総称で、流通する最も小さい単価である輪貨の次に価値の低い通貨である。
「何おぉっ!? 今見せてやらぁっ待ってろっ!」
「おぃイノ~…大丈夫かぁ?」
激昂した酔っ払いが困った顔のヴリトーの制止を振り切りフラフラとしながらも腰の財布袋を取り出し
その時だった。
――ドンッ
「のわあっ!?」
「イノ! ほらぁ言わんこっちゃなぃ…」
ぐてんぐてんのイノ=ウーがフードを深く被った女性客とぶつかって盛大に倒れれ、その財布の中身が床に散らばる。
「ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
「すまんなぁ。コイツが悪かったぁ」
「痛ててっ…」
「はあ。何やってんだよ全く。頼むから他の客に怪我させんなよ」
呆れる安酒場の店主が見やる中、急いでヴリトーと女性客は床に散らばったコインを集めた。
女性客は改めて頭を下げると自身の払いを済ませて早々に姿を消してしまった。
「で? お前ら、結局うちの店のツケが払えんのかい」
「待てってばっ。……ん? (ゴソゴソ)…ひぃ…ふぅ……ん?(ゴソゴソ)」
「あんだよ。本当に真鍮を金貨と間違えたっていうオチか?」
「いやっ違う……ヴリトー見てくれっ」
「えぇもしかしてどっかに落としたのかぁ…?」
困った相棒に顔を顰めつつヴリトーもまた彼女の財布(二人の全財産)の中を見て何故か固まる。
「……どうしてぇ金貨が
「わかったっ! さっきの女が財布を
「……よお? 普通は財布自体を盗むか、中身を抜くもんだろ。…何処の馬鹿が自分の手持ちよりも
「「…………」」
暫く頭を傾げる三人とその他であったが、件の女性客の姿は近くに見当たらない。
盗まれたのなら兎も角、逆に増えた分には問題ない…と、飲み込む他ないイノ=ウーとヴリトー。
二人にとっては何とも奇妙な出来事であった。
結局、元からあったものでも足りたということで二人は安酒場のツケを清算し、その後集ってきた同業者を完全に酔いが醒めてしまった女冒険者が店の外まで殴り飛ばして幕を下ろしたのだった。
$$$$$$$
「…偶にはこういうところで飲む酒もまた、良いもんだ」
「ちょっとどこ行ってた? ちゃんと仕事しろ。チクるよ」
夜更けとなってもまだ騒ぐ者達から隠れる様にしてオーク通りの狭い裏路地を歩く深くフードを被る女を待ち伏せていた男はそう声を掛ける。
「しゃあーないだろ。俺はお前さんと違って場所は違えど、
「…………。…悪いけど、
「…おっと。コイツは失敬」
男は自分の胸を押し退けて先を進む女の後ろ姿を見つつ、後ろ頭をボリボリと掻いた。
「…………。……痒いの? ちゃんと洗った?」
「はあ? ちゃんと風呂は入ってるよ! だがなあ…あの『透明化』の
「そう? 私は平気だけど。まあ、魔力量の差だね。ナーシュニルド、私の半分も無いもんね(笑)」
「うっうるせーなー…人が気にすることを事ある毎にこの女はよう…」
その男女の正体は商人ギルドが秘密裏に組織した暗部であるナーシュニルドとゾゾネットであった。
彼らは商人ギルドと接触する前にエドガーが考え無しに放出してしまった貴重なウーグイース金貨(最低でも通常金貨の三倍の価値)を回収すべく行動し、先程ゾゾネットが任務を無事にやり遂げた、という訳である。
その間、ナーシュニルドは見張り役とは名ばかりで。
身元を偽ってオーク通りで下町の味を楽しんでいただけではあったのだが。
「そういや聞いたか? 白の21番地区での騒ぎ」
「白の21番? ああ…この厄介者を持ち込んだエドガー・マサールに斡旋した地区の隣」
「…その様子じゃ知らないみたいだな?」
ナーシュニルドはそれからさも楽し気にその日の夕刻で起こった題して“ウイングタイガー亭事件”について塩顔のゾゾネットに得意気に語った。
曰く、突如としてアーバルスに姿を現し、訪れたその日に三等級商会員の座を手に入れた正体不明の謎の男。
曰く、その新参者が自身が購入した奴隷と共にとある飲食店で、奴隷を外に出せと憤る店主に“店内でありながらそこに
「…本当に、何考えてだろ」
「そうか? 面白い奴じゃねーか。ギルドに帰ってきたテューの奴がさも嬉しそうにそう報告してたっけ。良いじゃねえか。奴隷に文句を言う輩を黙らせた痛快な話だろ。暫くあの辺じゃあこの話で持ち切りだな!」
「へえ? あのテューがねえ。……それにしてもアンタって考え方が
そのゾゾネットの問いに楽し気だった男の表情が判り易く曇る。
「…ああまあ。所詮は綺麗ごとだとは思うが、やっぱ見てて気持ち良いもんじゃねーからな」
「…そう」
だが、素っ気なく言葉を返す彼女の表情には微かにだが笑みが含まれていた。
やがて、二人は建物の死角に隠された地下へと姿を消す。
暫し、黙って商人ギルドまでの隠し通路を高速で進む二人であったが。
ナーシュニルドが何かを思い出したかのように口を開いた。
「あ。そういやお前さんに聞きたいことがあったんだったわ」
「聞きたい事? 何を?」
「リングストームの爺さんから小耳に挟んだんだがな。――…あのエドガーって男に
その後、逃げ場の無い地下通路であったことも災いし、冷やかそうと余計な事を言ってしまったナーシュニルドは
$$$$$$$
「――…びぅへぇっくしょい!」
「……我が主人よ、風の妖精に悪戯を受けたか」
「へ? いや…大丈夫。きっと誰かが俺の噂をしてたのさ」
暗く狭いテントの中に突如として背後の焚火に赤く照らされた大きな
何故ならそのテントの中で毛布に包まっていた男こそがエドガー・マサール本人であり、その鰐こそ彼の奴隷である巨体リザードマンのダンディーであった。
因みに“風の妖精に悪戯を受ける”とは、この異世界特有の言い回しで、“風邪を引く”ことを指す言葉である。
彼らは周囲には瓦礫と微々たる資材以外何も無い荒野のような寂しい場所にテントを張って夜を過ごしていたのであった。
そんなことをしている理由は、エドガーが商人ギルドへ宿泊しに戻るのを断固として嫌がった為である。
仕方なく、事前にギルドの調査員が持ち込んだ一人用のテントを自身の店の建設予定地に設置した、というわけである。
「火に当たるか?」
「…ん~。いや、
そう言ってエドガーが毛布を捲ると、彼に抱きつくようにしてハーフゴブリンの少女ンジの姿がある。
彼女もまたエドガーが購入した奴隷である。
「……もう手を出したのか?」
「おいおい冗談はヨシコさんだぞ? 明日からまた色々忙しいんだからさあ」
「んぅむぬぅう~…」
「……全然起きねえなあ、コイツ? まあいいや、何かあったら迷わず起こせよ? お休み」
「承知した」
ひっつくハーフゴブリン娘をやや押し退けながらもその主人は大人しく再度毛布に包まり、それを確認したリザードマンはテントに突っ込んでいた頭を引っ込めた。
「……奴隷に寝床を共有するばかりか遠慮する主人が…どこにいるのか」
テントの前に陣取ってパチパチと爆ぜる焚火の火に照らされながら、どこか理由もなく苦笑を浮かべるリザードマンは顎を上げ、そのなにものにも遮られない満天の星空を静かに仰ぎ見るのであった。
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