第8話 8歳

 プリンもどきのプルンは、我が家の定番スイーツに格上げされた。


 試作品から何度も改良を重ねて、納得のいく味ができあがるとレシピを料理長へ渡した。これから味のバリエーションも増やせるだろうし、プリンアラモード的なのも作ったらちょっと豪華に見えるだろう。


 私がなんの躊躇もなくプリンを作り出したときは、リリーと料理長から不思議な目で見られたけど……「なんとなく、こんなのが食べてみたいってずっと思ってたの」と適当なことを言って言い逃れた。


 危ない、これでもし「夢に出てきたスイーツを再現したくて」とでも言えば、父がなにかを勘づくかもしれない……悪魔の血に予知夢とか先見の明的なものが混ざるのかはわからないが、余計な種は撒かない方がいい。


 ほんと、身内に要注意人物がいるってやりにくいな! 発言にはより一層気を付けなくては。




 そんなこんなでプルンは大好評なスイーツとなったわけだけど、次に気になるのがビジネスチャンスだ。


 この国で商標登録という概念があるのかはわからないし、齢七歳でそんなことを思いつく子供ってちょっと嫌だな……と思ったのでレイナートにすら確認していない。実家が商売をやっている商家ならまだしも、なんか広大な土地を持ってて悠々自適に領地経営だけで暮らしているような貴族には深い知識がなさそうだし……(偏見です。)


 私がいつ父に捨てられるのかもわからなければ、公爵家が亡ぼされるかもわからない。すべては悪魔の気分次第だと思うと、とんでもないところに生まれてしまった感がより一層増してくる。


 少しでも平和に生き抜くためには、お金が必要だ。




 公爵家で生きている間は衣食住に困ることはないけれど、もしも逃亡生活をしなくてはいけなくなったら自由に暮らせるくらいのお金を稼いでおきたい。


 プルンのレシピを門外不出にして王都に店を構えて、老若男女を虜にしてがっぽりと荒稼ぎがしたいものだが、私は目立ちたくない。


 なんかこう、便利な手足がほしいな……表で好きに動かせられて、うまく立ち回りが利くような人。




 新しい調理器具を並べてビジネスチャンスについて考えていると、リリーが興味深そうに見つめてきた。




「お嬢様、次はなにをお作りになるのですか?」


「次はもっと冷たいお菓子がいいかなって思ってるわ」




 そう、プリンの次はアイスクリームが食べたい。シャーベットもジェラートも好きだ。


 ジェラートは牛乳と生クリームと砂糖があればなんとかなるんじゃないかな。これこそ応用が利いて、無限に味が楽しめる。


 多少手間はかかるけど、これからの夏を乗り切る冷たいスイーツは作っておきたい。というか私が前世の味に飢えている。




 しかしながらプリンのときのようにはうまくいかず、納得のいく味が出来上がるまでに一カ月もかかってしまった。甘味を引き立てるためには塩を入れた方がいいとか、さすが料理長。塩なんてスイカに振るイメージしかなかったわ……。




 すっかり食いしん坊でお菓子好きなイメージがついてしまった頃、私はとうとう八歳になろうとしていた。




 誕生日は毎年ろくでもない話しか聞かされないので、夜更かしせずにたっぷり寝ると決めている。


 体調万全で挑まないと! 具合が悪くて途中棄権なんて情けなさすぎる。


 それなりに体力もついてきたし、昼寝の時間は不要になった。ものすごく健康優良児として育っているんじゃないだろうか。




 明日は一体父からなにを聞かされるのだろう。むしろ私から質問した方がいいんじゃないか。


 質問リストをつらつらと頭の中で考えながら眠りに落ちていたら……肌寒さを感じて目が覚めた。




「……え?」




 頬を撫でる風は本物だ。そして目の前に広がる景色も、夢や映画ではないはず。


 私は寝間着姿のままで、何故だか時計塔の上にいた。




「……どこ!?」




 思わず後ろに後ずさる。レンガ造りの時計塔は当然ながらフェンスなんかないし、そもそも観光目的で上れるようにはできていない。


 目が覚めたら大人が腰をかけられる程度の幅しかないところに座らせられていたなんて、ドッキリにしても心臓が凍りそうだ。下から吹き付ける風も強いし、すぐ近くにはデッカイ時計がチクタクと動いている。


 こんなのファンタジー映画でしか見たことがないんですが……! イギリスで繰り広げられる魔法界の映画的な……こういう目印になる建物は真っ先に破壊されるだろう。




「うそでしょ……どうやって降りたらいいの」




 足が竦んで立つこともできなければ、動けそうにない。一体どうやって地上に下りたらいいんだ。当たり前だけど私は夢遊病者じゃないし、ひとりで外に出た記憶もない。そもそもここはどこなの。公爵領にある屋敷から、こんな時計塔なんて見たことがない。




 まさかここって王都だったり……? 目を凝らすと、城のような建物が見えてきた。話に聞いていた以上にデカくて広大な敷地がありそうなんだけど、私には無縁の場所だろう。




 今宵は雲一つない、満月の夜だ。


 前世のように人工的な光が作る夜景などは一切ないが、月明りが意外なほど明るく夜の街を照らしている。


 この世界も月は一個というのが不思議な気持ちにさせられるが、今はぼんやりしている場合じゃない。


 寝間着姿で裸足かつ、時計塔の頂上に放置されているという危険な状況だ。誘拐犯の拉致事件にしても、ちょっと雑な扱いすぎじゃない!? 私だって一応貴族の令嬢なんですけど! (本物のルードクロヴェリア公爵の血は引いてないが。)




「起きたか」




 コツン、と踵を鳴らす音がした。


 覚えがありすぎる声を聴いて安堵する。


 そうだよ、はじめからわかっていた。私の周囲でこんなことをする非常識な誘拐犯など、ひとりしかいないじゃないか。




「お、お父様……」




 紫黒色の艶やかな髪を風になびかせた絶世の美男子……人間の姿をやめた悪魔がいた。


 黒いシャツとベストを着て、いつもより軽装と思える恰好だけど素材がいいからなにを着ても様になる。


 悪魔とは皆こんなに見目が麗しいのだろうか。妖しいまでの美貌は人に隙を与えて、付け込みやすくするためだと言われれば納得がいく。




「あの、これは一体どういうことですか……」




 いくら父親でも、いたいけな少女をこんな場所に連れてきて放置するなんて虐待じゃない? 


 それに初夏とはいえ、夜はまだ冷える。本格的な夏はもう少し先だ。お尻も足も冷え冷えだし、切実に早く帰りたい。




「夜の散歩に連れて来た。光栄だろう?」




 圧倒的な強者の発言だ。迷惑行為をしている自覚は一切なくて、自分と一緒にいられて嬉しいだろうと思っている。


 きっと父の周りには信者が多かったんだろうな……魔王の息子でなんでも思いのままにできる強さもあれば、魔界で無双していてもおかしくはない。そんな環境を飽きたと思えるほど長い時間を過ごしていたんだと思うけど、か弱い娘を巻き込むのは勘弁してほしい。




「とっても心臓に悪いです。早く帰りましょう? 寒いですし」




 明日の誕生日パーティーで風邪をひいて欠席したらどうするつもりだ。主役が不参加なんて、私がかわいそうじゃないのか!


 父は高所恐怖症とは無縁な様子で、歩幅の狭い場所を堂々と歩く。


 私の傍までやってくると、腰をかがめて手を差し出した。




 ……これは握れってことか。


 握っていいんだな? 信用するからね!?




 葛藤すること数秒。私はおずおずと父の手を握る。そして身体が持ち上げられて、浮遊した。




「……っ!?」




 風を切る音がする。父の背中からは蝙蝠のような羽が生えていた。




「お父様……飛んでる!?」


「空くらい飛ぶだろう」




 さも当然なんてトーンで言われるけど、悪魔が飛んでいる姿なんてはじめて見たからね? 悪魔の常識などこっちは知らないことだらけだ。


 私は足が竦んで動けないし、縦抱きにされたまま父にしがみついた。悪魔に命の綱を握られている心細さを誰かと共有したい。




「早く屋敷に帰りましょう……!」




 ギュッと抱き着いてお願いをするも、父はホバリング(で合ってる?)したまま動かない。


 なにかを思案しているのだろう。なんとなく、すごく嫌な予感がする。




「マルル、お前は私の血が繋がった娘だ」


「……はい」




 ……今ちょっとだけ期待した。実は違うって言われんじゃないかって。


 悪魔に血の繋がりが絶対あると言われるのは複雑な心境だ。実はお母様の元恋人との子供だとか言われた方が安堵するし気が軽くなるのに!




「だが八年観察しても、お前に悪魔の要素が受け継がれているとは思えない」


「それはよかっ……いえ、遺伝子の不思議というやつでしょうか」




 乳幼児に頭や背中をなでなでされた記憶が蘇ってくる。あの身体チェックは変質者だと思った。


 悪魔の血が流れているとは思えないけど、唯一他の人と違う点は前世からの人格を受け継いでいることだろうか。あと赤子の時の記憶がしっかりあるのも珍しい。




「レイナートは人の子には過保護に接しろと言うが、悪魔には悪魔のやり方がある」


「え?」


「お前がただの人か悪魔の子か、そろそろ自力で証明してみせろ」


「え……え!?」




 そんなとんでもない台詞を吐いた直後、父は私を宙に放った。


 空中に放たれた身体は当然ながら重力に逆らえず落下する。




「ひぃぃ……っ!!」




 またか、またなのか!


 私がマルルーシェとして目覚める前の、純恋の最後の記憶が走馬灯のように蘇った。

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