第42話「そしてそれはやってきた」
民衆が事態を把握するのにさほど時間はかからなかった。
「憲兵隊を呼んで! あと周辺空域へドラグーンの動員も!」
それは〈炎の子〉ルナフレア・レイデュラントが針に糸を通すかのような精密さで群衆の中にまぎれていた刺客を討ったからである。
そして続けざまに放った言葉が、民衆に事態の深刻さを知らせた。
「無事でいて、お兄様……!」
ルナフレアは残りの刺客の気配をたぐりながら空へ思いを馳せる。
敵の狙う本命がどこにあるのかはわからない。
だがルナフレアには胸騒ぎがあった。
そしてその胸騒ぎは、ほんの数秒後に輪郭をたしかにする。
遠く、ドラゴン・レースに参加した竜たちが飛び去った方角とは反対の方から、なにか大きなものが大気を打つような音が聞こえた気がした。
◆◆◆
「……すごい。やっぱり竜影機関はじまって以来の天才と呼ばれる力は本物だったね」
ドラセリア王城、大広間。
その中央に、わずかに息を荒げながらも五体満足で立つ男の姿があった。
その足元には影を作らぬよう両足で床に押さえつけられた少女の姿が一つ。
ミミアンだった。
「これだけの数の刺客をほんのわずかの時間で皆殺しにするなんて、いっそのこと綺麗ですらあった」
「……出来の良い兄や弟妹と違って私にはこんなことしかできないもので」
そんな二人の周りには動かなくなった黒い装束の刺客が数十人折り重なって倒れている。
「あはは、たしかにあなたの兄や妹は優秀だものね。でも、あの弟さんはどうなのかな。わたしも何度か見かけたことがあるけど、まさしく〈悲劇の子〉って感じでいまいち覇気を感じられなかったけど」
見る目がないな、という言葉が喉元まで出かかって、ラディカはそれを抑える。
「才覚も、覇気も、ミアハが一番ですよ」
「へえ」
「それにあいつは最近、なにかに夢中になっているので、そのうちなにかしでかすんじゃないですかね」
「それは楽しみ。わたしはそのなにかを見ることができるかな?」
「……残念ながら」
「……そっか」
ラディカは敵を倒す傍ら、状況を機関に報告していた。
そしてわずかの間をおいて機関からとある指示が降りた。
「あなたはここで
「そういうシナリオかぁ。まあ、そうだよね」
自国の王女が裏切りを起こした。
そんな真実は百害あって一利がない。
ゆえに、竜の影は竜を守るために決断した。
「悲しそうな顔をするね」
「……もっとほかの形があったらよかったのにって思いますよ」
「ふふ、あなたは竜の影にふさわしい力を持つけど、その心はそうでもないみたいだね。……あーあ、もっと早くにルナに頼んであなたと話をしていたらよかった」
「どうしてそう思うのですか」
「よく見たらあなた、結構わたしの好みの顔をしているから」
そう言われ、ラディカの心にずきりとした痛みが走る。
「私もそう思います。王族だとか気にせずに、もっと早くにあなたをナンパしておけばよかった」
「ふふ、ありがとう。――じゃあ、お互いに来世があれば、そうしてね」
そういってミミアンが目をつむる。
ラディカは一瞬震えた唇をかみしめた。
そして、その手に持った短剣を――優しく振り下ろした。
◆◆◆
ひとつの影に隠れた物語が終わりを告げたころ、表舞台にはフィナーレを知らせる音が響いていた。
「……竜が、大気を叩く音だ」
ルナフレアは自分の気のせいだと思っていた遠くの音を、再び捉える。
「なんで、あっちから――」
レース参加者ではない。
その方向からやってくるにはまだ早すぎる。
ルナフレアは向こう、空を見上げた。
――あ。
遠く、黒い影が見える。
それを目視したとき、ルナフレアの心臓が浮き上がった。
あの日の光景が、脳裏にフラッシュバックする。
黒い、竜だった。
ドラセリアで共生する竜とは体躯の大きさが違う。
「っ――」
そして、ふいに咆哮が来た。
すべての生物の心臓を震わせる咆哮。
逃げなければ、と本能が足を動かそうとする。
「なんで――」
ルナフレアはなんとか炎の翼をはためかせ、近くの建物の屋根に着地する。
ほんの少しの移動で、異常なほどに息が上がった。
「――逃げて……逃げてっ! お兄様!」
なぜだか確信した。
小さく映っていた黒い竜の姿は、もはや見まがうことがない距離にいる。
そしてその竜の狙いが、おそらく自分の兄なのだということをルナフレアは直感的に悟った。
轟音。
黒竜が上空すれすれを超速で通過。
あたりの人と建物が砲撃でも喰らったかのように風圧で吹き飛ぶ。
もはや悲鳴もかき消され。
まるでドラゴン・レースに参加した新竜や竜乗りをあざ笑うかのように、黒竜は一線を画す速度で同じルートを翔ぶ。
そのまま黒竜はレースに参加した竜たちが消えていった方角へ翔けていく。
あたりは混乱の渦の中にあった。
それでもルナフレアは、瞬く間に飛び去って行った黒竜の背中をずっと追っていた。
その黒竜には、尻尾がなかった。
◆◆◆
『なにか……来ました』
「わかっている」
フレデリク・レイデュラントはアルマージとほぼ同時にその気配を察知した。
レースも終盤。
刺客の攻勢もなりをひそめ、無事に一位のまま進んでいる。
しばらくすればドラセリア中心街へ向かう空路にたどり着くだろう。
そんな折、背に気配を感じた。
しかしそれは今まで感じた刺客によるものとはなにかが違った。
やがて、フレデリクとアルマージはその気配の正体を知る。
後ろから、身の毛もよだつような咆哮が聞こえた。
「この……声は……」
その咆哮を聞いた直後、フレデリクは全身の毛が逆立った気がした。
フレデリクは〈竜の耳〉を持たない。
だから竜語を正しく判別することができない。
それでもフレデリクにはわかった。
その咆哮が、ミアハが足を失った日、白い竜と争っていたあの黒い鱗の竜のものであることが。
振り向く。
「っ、アルマージ‼︎」
『わかっています!』
砲撃。
フレデリクが振り向くと同時、はるか後方に見えた黒い点から、なにか光のようなものが閃いた。
「くっ……!」
今さっきまでいた場所を超音速で飛翔してきた光の砲撃が通過する。
「よもや古竜を持ち出してくるとはな……!」
いかに冷静なフレデリクであっても、さすがにここまでの事態は予想していなかったがゆえの嫌な高揚感。
体が反射的に血の巡りを加速させ、すべての思考と力を生き伸びることにのみ使おうとしている。
ゴールより先に、死線が現れた。
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