第26話「〈紺氷の姫君〉と〈炎の子〉」

 フレデリクが屋敷に帰ってくる少し前。

 〈炎の子〉ルナフレア・レイデュラントは三番目の兄ミアハの尾行を決行しようとして――しかし気づいたらなぜかドラセリア王城の長い螺旋階段を登っていた。


「な、なんでこんなことになってるんだっけ……」


 家を出てからの記憶はあまりない。

 ミアハがいつものように馬車で外出し、そのあとを追おうと準備をしていたところ、ドラセリア王城から一人の使者がやってきた。

 最初はフレデリクに用があるのだと思っていたら、その使者は馬にまたがろうとしていたルナフレアを見てこう言った。


 『セルマ第一王女殿下より〈お茶会〉の誘いがございました。ご出席いただけますか?』


 ルナフレアはまず自分の後ろに誰かいないかを確認した。

 ――誰もいない。

 次に首をかしげて、五秒ほど逡巡した。

 

 『ルナフレア様、あなたへ申し上げました』


 聖母のごとき完璧な微笑で再度使者に言われ、ルナフレアはようやく事態を把握する。

 問いに対する第一声は「ほえ?」だった。


「くぅ……! 我ながら無様な姿を見せてしまった……!」


 ミアハとラディカの唐突な行動に鍛えられてきた対応力も、そのときばかりは通用しなかった。

 そこからはもう借りてきた猫のように従順に、使者の用意していた『竜車』に揺られて王城へやってきた。


「なにか粗相そそうしたっけ……」


 階段を一歩一歩登りながら日々の自分を思い返す。

 思い当たる節がまったくないではないが、不敬罪とかそういうのではないはずだ。

 一応これでも公式な場ではフレデリクをみならってふるまっている。

 レイデュラント家として、最低限の礼節は守れているはずだ。


「少なくともミアハお兄ちゃんやラディカ兄様よりはマシのはず……」


 ルナフレアは階段をゆっくりと登りながらこめかみを押さえる。

 頭痛がした。

 体調不良での早退は許されるか。


「や、やるしかない」

「ほう、なにをやるというのだ?」

「はぁう!?」


 牛歩戦術で時間を稼いでいたルナフレアの頭の上から、声がってきた。

 それは驚くほど澄んでいて、そしてひとたび聞いた者に得体の知れない幸福感をもたらすほど美しい声だった。


「ご、ごごごご」


 見上げた先、螺旋階段の手すりから顔を出してこちらを見る紺色の髪の美女がいる。

 まさしくあの公爵位叙勲式典で見た〈セルマ・ドラセリア〉第一王女だ。


「ご?」


 彼女はルナフレアを見て不思議そうに首をかしげている。

 その仕草は見た目にそぐわず無垢な少女のようでもあったが、やはり絶世の美貌だけあって色気も混じっていて、同性であるのに胸がどきどきした。


 ――ま、まずは挨拶……!


「ごきげんうるわしゅう! 王女でんきゃ!」

「――ほう」


 噛んだ。

 盛大に噛んだ。

 ルナフレアは自分の顔が炎のごとく真っ赤に染まるのを感じた。


「ふふ、うわさに聞くよりずっと愛嬌があっていい」

「うう……すみません……」

「いや、かわいらしくて良い。少し羨ましくさえある」


 ありがたい言葉だったが、ルナフレアとしてはいっそのこと自分の炎で表情を焼いてしまいたい気分だった。


◆◆◆


「あ、あのー」

「なんだ?」

「殿下はどうしてわたしなんかを王城へ……」


 今向かっているのは一般的に使われる客間ではなく、かぎられたものしか入ることができないと言われるセルマ王女の自室だった。

 正直ルナフレアとしては汗が止まらない。

 王城にお呼ばれだけならまだしも、自室までとは世も末だ。


「少し、話がしたくてな」


 そう振り向きながら言うセルマは、まさしく〈紺氷の姫君〉とうたわれるに足る冷たい美しさをたたえていた。

 一片のよごれもない陶器のような白い肌と紺色の髪。

 出るところは出て、締まるところは締まっている完璧なスタイル。


「おお……」


 無論、顔などは名画の中の美女にもまさるとも劣らない。

 いやむしろ大虐殺である。


 ――名画ここに敗れたり。


 意味不明な解説を頭の中で炸裂させていると、セルマが「適当にかけてくれ」と椅子に座るよう促してきた。

 

「あ、そういえばいつも妹が世話になっている。この場を借りて礼を言おう」

「は、はひっ! めっそうもありません!」


 お世話という言葉が隠語に聞こえた。


 ――かわいがりか? かわいがりなのか?


 かわいがった覚えはないがそこからの逆襲という図を連想した。


「あれもなにぶん王族という身分だから、対等な友人ができなくて悩んでいたのだ。そんな中、ルナフレアには学園の中で対等な友人として接してもらっていると聞く。あれもたいそう喜んでいた」

「か、かわいがりとかじゃないですよね……? 言葉どおりに受け取ってもいいんですよね?」

「かわいがり?」


 なんのことだ、と無垢に首をかしげるセルマ。

 その仕草だけでおそらく三桁を越える男を殺せるだろう。

 そんなことを思いながらルナフレアは徐々に平静を取り戻していった。


「ふうー……あ、あの、いろいろ取り乱してすみません」

「いや、私のほうこそ急に呼びたててすまない。だが、ドラゴン・レースを目前に控えた今くらいしか父の監視の目をかいくぐることができなくてな……」


 監視の目。

 

 ――ああ、過保護そうだもんねぇ……王様。


 ドラセリア王はこわもてだが娘には甘い、とのうわさがドラセリアの大衆間には広まっている。

 男児が生まれていればもう少し違かったのかもしれないが、見目うるわしい女児が二人ときて、その結果、ドラセリア王はいわゆる親ばかになった。――もちろんこれもあくまでうわさだが。

 ともあれ、これはドラセリア国民の共通見解である。

 もちろん口に出すものはいない。


「セルマ殿下は、その、お忙しくは?」

「私の方はあらかた準備が整った。まあ、伝統あるもよおしごととはいえ私はメインではないからな」

 

 十分にメインである。

 ルナフレアは心の中でツッコんでから、「もしかしたらセルマ王女は意外と天然なのかもしれない」という言葉をさらに深くみ込んだ。


「紅茶でも入れよう」

「ああ!! いやいやいや!! お気遣いなく!」

「……む、紅茶は嫌いか?」


 心底残念そうに、それでいてちょっといじけたようにセルマが言う。


 ――そのときどき出る少女らしさをなんとかしてほしい。


 今どこかで王女に思いを馳せる不届き者が三百人死んだ。

 ルナフレアはそんなことを思いながら意を決する。


「で、では、いただきます。でも自分で入れるのでお気遣いなく……」


 さすがに王女に紅茶をつがせるわけにはいかない。

 いくら内密な場とはいえ、貴族としての礼節は守る必要がある。


 と、思っていたらすでにセルマが紅茶を入れていた。


「ふふふ、私はこれでも紅茶を入れるのだけは得意なのだ」


 自信満々に言うセルマを見て、ルナフレアは思った。


 ――これは天然だ。間違いない。


 なんとなくミアハにも似ている気がした。


「あ、あの、王女殿下……それで、お話というのは」


 どうにもいたたまれなくなって、ルナフレアは椅子に腰かけながら話を戻す。


「ああ、そのことなんだが……」


 ごくり、とルナフレアは生唾を飲んだ。

 なにがきても驚くまい。

 覚悟はできている。


「……ルナフレアの兄、ミアハ・レイデュラントのことを聞きたくてな」

「……え?」


 しかし内容を聞いたルナフレアに、驚愕を閉じ込めることはできなかった。

 セルマがどこか恥ずかしそうに、それでいて好奇心に目を輝かせて告げた言葉を、ルナフレアは三度頭の中で反芻した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る