第22話 黒



気が付くとイヴは、真っ暗な場所にいました。


「私、そりから落ちちゃったんだわ……どうしよう、ここはどこ?」


どこかを触ろうとしても、手は空を切るばかり。真っ暗で自分の姿さえも見えず、歩いているけれども歩いているのかわからない。イヴは、とても怖くなってきました。


「だれか……だれかいないの!?ここはどこ!?」


歩いても歩いてもどこにもぶつからないくらいに広いのに、声は全く響きませんでした。イヴはいよいよ泣き出してしまいます。


「だれか……どうして真っ暗なの、どうしてだれもいないの」


歩いても、走っても、泣いても、叫んでも、ここには何もありません。


一点の光もない、真っ暗な闇だけがそこにありました。



「どうしよう!だれか!」

「なあにナイト、夜くらい寝てちょうだい」

「ナタリー!どうしよう!イヴが、イヴが……」

「落ち着いて話してよ。あの子が何?」

「そりから落ちたんだ」


眠そうに眼をこすっていたナタリーが、ぴたりと動きを止めます。


「死んだの?」

「わからない!消えたんだ!そりをすり抜けて、虹の橋のなかに落ちたんだ!」

「どうしてそうなったの!?」

「わからない、普通に話をしてたんだ。イヴは願いを叶えたから、最後の日は何をしたいか、って」


ふたりは考え込んでしまいました。大きくなったとはいってもまだこども。大人に頼るしかないのです。


「パパやおじいちゃまに聞くべきね」

「そうだね、急がないと」

「私はおじいちゃまに聞いてくるから、ナイトはパパに聞いてきて!」

「わかった!」


やっと落ち着いたのか、ニコは慌てることをやめててきぱきと動き出します。しかし、ナタリーはおじいちゃまの元へは走りませんでした。



イヴは、のどが痛くなってきました。叫んでも泣いても、まるでなにも起こらないのです。時間もわからず、ただ恐怖を持て余していました。


「ジンジャー……ルーク……ニコ……」


真っ暗闇の中で、友達の顔が浮かびます。


「パパ……ママ……」


今ならもう、帰れるのならどっちでもいい。どっちでもいいからとにかくここから帰りたい、そう思いました。しかし現実は非情で、暗闇が揺らぐことはありませんでした。


「きっとバチが当たったんだわ……帰りたいのに帰りたくないなんて、わがまま言うから……」


立ち止まるとどこまでも落ちていくような気がして、イヴはずっと歩き続けていました。


「……帰りたい」


どっちに、なんて、今はもう贅沢だという気持ちになっていました。


楽しかった日々も、アッシュと会ったことも、遠くへ消えていくような感覚に陥り、イヴはとうとう膝をつきました。


「…………」


真っ暗闇は、イヴを飲み込んだまま。



「パパはまだ帰ってない、ナタリーはおじいちゃんに聞いてくれたかな」


ニコは、ニコラウス家のリビングをうろうろと落ち着かない感じで歩いていました。待つというのは辛く、走ってでもいないと落ち着かない気持ちです。


「だめだ、遅すぎる。僕もおじいちゃんのところへ行った方がいいな」


ニコは、広い屋敷の中を走っておじいちゃんの部屋へ行きました。


「ナタリー?来てないが……そんなに慌てて、一体どうしたんだ、ニコ」

「イヴが……友達が、虹の橋に消えたんだ!」

「なんだって?」

「そりをすり抜けるように落ちて、虹の橋へ消えて行っちゃったんだ!」


ニコは、イヴのことをかいつまんで話します。話を聞くにつれ、おじいちゃんの顔はどんどん険しくなっていきました。


「その子は……迷いの闇に落ちたのかもしれない」

「迷いの闇?」

「誰でも迷うことはある。でも、もっと大きな、身を引き裂くような迷いを前にした時、迷いの闇という場所に落ちることがあるんだそうだ。私も、言い伝えでしか知らないが……」

「それって、帰ってこれるの?」

「わからない……」


嫌な静かさが背筋を撫でるようでした。そしてニコは、今更思いだして聞きました。


「ナタリーが、来てない?」



「ジンジャーと一緒にいたかった」


もし時間が経っていてこのままお別れなんてことになったら、どれだけ泣いても気が済まないことでしょう。


「ルークとの約束も果たしたかった。カイさんに、パパが喜んでくれたことも伝えたかった。最後の日をニコたちと過ごしたかった……」


どれだけ呟いても、闇が晴れることはありません。


と、その時でした。


「…………なにか、音がするわ」


気のせいではありません。どこからか、かすかな音が聞こえてきます。


「……鈴の音……?」


それも、だんだんとイヴの方へ近づいてきます。


「ニコ……ニコなの!?返事して!ニコ!!」


鈴の音はキラキラと輝くそりをも連れてきて、イヴの前へ降り立ちました。


「ニコ!?」


白い髪のサンタが、こちらへ一歩踏み出します。


「まあ、私も『ニコ』ってことにはなるのかしらね」

「ナタリー!?」



あれからニコは虹の橋で、イヴが落ちたあたりをずっとぐるぐるしていました。


「イヴ……きっと、迷ってたんだ。それくらい、クリスマスタウンのことを好きでいてくれたんだ。僕が、最後の日の話なんてしなければよかった!」


ニコはイヴの街へ会いに行けるけど、それはニコだけ。イヴが仲良くなったたくさんの人は乗せてはいけない。ニコだって、きっとこれから忙しくなって、たくさんは会いに行けない。


「イヴ……」


虹の橋は、闇なんて知らないかのように淡く輝くだけです。



「ナタリー?」

「ええ。あなた、迷いの闇に落ちちゃったようね」

「迷いの、闇?」

「あなたにもあったんでしょう。身を裂くほどの迷いが」


迷い。イヴには痛いほどわかっています。


「ナタリーにも、迷いがあるの?」


ここにいるということは、ナタリーにも迷いがあるということ。


「そうね、あったわ」

「今はないってこと?」

「そうね」

「じゃあ、どうしてここに?」

「私は、迷ったままでいることを決めたの。だからいつでもここへ来られるし、こんな暗闇に負けたりしない」


イヴは、目からうろこが落ちました。迷ったままでいることを決めた、とは、一体どういうことなのでしょうか。


「私は、ナイトを利用してニコラウスを目指していいのか、ずっと迷ってた。自分が落ちこぼれになりたくなくてナイトを落ちこぼれにしていいのか、ずっと迷ってた。そして7才の時、ここへ落ちた」

「戻れたの?怖くなかった?」

「最初はね。でもすぐに気づいたの。ここは、なにものにも左右されずに迷える場所だって」

「どういうこと?」

「ここには何もない。五感も役に立たない。あるのは自分の意識だけ。あるのは自分の迷いだけ。ここは、迷いを断ち切る場所……誰も知らないだろうけどね」


イヴは相変わらず自分の姿も見えなくて、でもナタリーもナタリーのそりも見えるのが不思議でなりませんでした。


「ねえ、どうしてナタリーの姿は見えるの?」

「大事なのは、希望を持つことよ」

「希望……」

「なにかあるんじゃない?迷うのは、どっちにも希望があるからのはずよ」


イヴは目を瞑って想います。クリスマスタウンのこと、元の世界のこと。


クリスマスタウンにはニコや、女の子の姿をして動いているジンジャーやみんながいて。

元の世界にはパパやママやみんながいて、部屋を開ける鍵があって。


イヴの体が光を帯び始めました。


「どっちにも、やりたいことがあるの」

「あなたは決めないといけないようね」

「うん。でも、もう決めたわ」

「へぇ……ニコがあなたのこと気に入るの、わかる気がするわ」

「え?」

「ほら、決めたのなら声に出しなさい。この闇に響くように」


イヴは頭の中で言葉を選んで纏めます。


「私、ちゃんと自分の世界に帰るわ。クリスマスタウンで最高の一日を過ごして、ちゃんと、みんなにお別れを言いたい!」


その瞬間、イヴから広がるようにして辺りが淡く虹色に光り出しました。虹の橋です。


「ほら、こっち乗りなさい。落ちるわよ」

「ありがとう、ナタリー」

「落ちたら困るだけよ」


そうっと乗ってみましたが、今度はそりから落ちませんでした。しっかりとイヴを支えながら虹の橋を渡ります。


(進むって、嬉しいと似てるわ。寂しさと希望が一緒になってるんだもの)


虹の彼方から、もうひとつ、何か光がやって来ます。光はなにか叫んでるようでした。


「あれナイトじゃない?」

「えっ!ニコ!?」

「イヴ!?よかった無事で!!」


ナタリーはニコのそりの隣へくるっと回り込みます。


「ごめんね、僕が無神経なことを言ったから……」

「ニコは悪くないわ!私が早く決心しなかったからなの!」

「どっちも悪くないんだったら謝るのやめたら?面倒よ。じゃ、私帰るから。イヴ、ニコのそりに移ってくれる?」

「あ、うん!ナタリー、本当にありがとう」

「私もサンタなんだから、あなたの幸せだって願うのよ」


2人は、ナタリーがいてよかったなと思いました。ナタリーがいなかったら、街について帰るまで謝り合っていたかもしれないからです。そして、イヴはナタリーを、本当に素敵な女の子だと思いました。


「本当に、無事でよかった」

「ニコ、私、ちゃんと向こうへ帰るわ」

「……うん」

「だから明日は、ずっと一緒にいてくれる?」

「……うん」

「ニコが泣いてるのも、私のことが好きだからよね?」

「……うん」

「私が泣いてるのも、ニコのことが大好きだからよ」


あと一日。

大事に悔いなく過ごそうと、イヴはその夜、遅くまで考えていました。


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