タイムフライヤー
六月某日
いかにも頑丈そうな高級車の横に立つ、ゴツゴツした大柄の男に僕は頭を下げる。金髪の色が抜けたような長めの髪と無精髭、目が鋭い。赤いTシャツから伸びた太い腕はその気になれば僕なんか片手でポイっと放り投げるなんて容易いことだろう。別に因縁をつけられているというわけではないから心配はしないでほしい。
「いつも母がお世話になっております」
「いいえ、こちらこそ」
意志の強そうな目力のせいか彼のその風貌にも浮ついたチャラさは感じなかった。その印象通り礼儀正しくキャップを脱いで挨拶してくれる。
千明さんは派遣会社の運転手さんで、運び屋とも逃がし屋とも呼ばれている。僕はどちらかというと後者の方が気に入っているし千明さんには似合うとも思っていた。千明さんに逃がしてもらえたらきっと物凄く心強い。そんな安心感があった。
そして最近は僕の代わりに母のことをスーパーや病院まで送り迎えしてくれていた。その初日にご挨拶は済ませてあったが、今日は別件で僕自身を運んでもらうことになっている。
「お母さんが毎回お金渡そうとしてくるから辞めるように言ってください、それとなく」
「うわあ!ごめんなさい、申し訳ないです」
どうせ千円だろう。千円くらい渡したところで何になると思っているのか。お金を受け取ってもらえないとなると、そのうちお弁当を渡そうとしたりしないか心配だ。
「気持ちは嬉しいんですよ、本当に」
「申し訳ないです」
「弁当ならもらいますけど」
「そんなこと言ったら作ってきちゃうから。ああ恥ずかしい、病院の送迎バスのノリなんです絶対」
僕は早口で言い訳に言い訳を重ねる。耳の温度が上がっているのを感じる。
しかもこちらから御礼を渡したなんて知ったら鳥海社長のことだ、僕への賃金をもっと支払わなければならないとでも気を遣わせてしまうに決まっている。母さんにはよく言っておかなければならないのに、もう手遅れだ。電話ならなんとかなるだろうか。寂しくなるの嫌だな。
「あー、社長は得ができない人っすからね」
「申し訳ないです」
「いいんですよ、好きでやってんだもの。それに俺も受け取ったりしないから」
「申し訳ないです」
僕も同じ埼玉県内に住んでいるけれど、窓の外を流れるのは見慣れない
「ああいう肉屋のコロッケってウマいっすよね」
千明さんが言った。
舗装されていない道の先にお肉屋さんが見えた。そろそろお昼になるから僕も小腹が空き始めている。
「絶対ウマいです。お土産に買っていきますか?」
「いや、俺らで食いましょう」
これから会う入院患者の能力者は寝たきりに近い状態らしい。昨日急に鳥海社長から電話があって告げられた。
「明日タイムフライヤーに会っておいでよ、運転手を用意するから」
「――—タイム?」
「フライヤー」
初めて聞いた言葉が頭に入って来なかった。改めてフライヤーと聞き取れて、先日ライブハウスで目にした物を僕は思い浮かべる。
「君を過去に送る人物だよ。僕も同席したいんだけど、ちょっと君のとこの社長と会うことになっててね。代わりの者が案内するから」
「承知しました」
「お母さんの方は別の社員を護衛にやるから心配しないで」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
千明さんは安定した運転をしながらも淡々と話す。僕は一度に一つ以上のことをこなすのが下手だから運転中に人と話すのも苦手だった。そもそも人を乗せて走ること自体が怖くて、母さんを送迎するだけでも吐き気がする時があるくらい最初の頃は緊張していた。千明さんという存在に心から感謝する。彼がいてくれて良かった。
「お母さんにもう会わなくて良いんですか?」
「はい」
「寂しくならない?」
千明さんは幼い頃に家族で不慮の事故に遭っていて孤児となり、鳥海社長と同じ施設で育ったのだと聞いた。詮索はすまい。もっとも鳥海社長から聞いた限り施設での生活は善いものだったように思える。週末にはミサがあり近所の楽団がボランティアで演奏に来て一緒に讃美歌を歌う。山に登ったりキャンプをしたり、僕はそんな子供時代が羨ましかった。
「会おうと思えば向こうで若い頃の母に会えますし」
「ああ、確かに」
「・・・・・母さんは寂しそうですか?」
千明さんがブッと鼻を鳴らした後で「ごめん」と笑いを
訪れたのは山に囲まれた場所にある総合病院だった。川口駅から出ているバスに乗ると一時間以上はかかるらしく、もはや何市なのかもわからない距離にある。そこに僕を過去へ送り込む能力者がいるという。鳥海社長の派遣会社に属する能力者だ。
「ずっと入院されてるんですか?」
「ええ、去年から」
今日は点滴の日で話はできないから遠目に見るだけだと言われていた。点滴の日でなくても対話は難しいらしいのだ。
「だったら何故、社長は今日を指定したのでしょ。う?」
「説明するの面倒になったんじゃないですか?」
「ひどい」
「冗談です」
病院の駐車所に車を停めて、買ってもらったコロッケを食べていた。熱々でソースをかけなくても美味しくて、猫舌なのか千明さんはやたらと息を吹きかけているのが可愛らしい。今日は豪遊しておいでと経費を渡されている上に、夜には高級焼肉店を予約してくれたそうだ。楽しみではあるが社長からはどんなことを託されるのかと恐ろしい気持ちもある。この優遇の裏側には何があるのか。コロッケの油で高級レザーのシートを汚さないように僕は細心の注意を払う。
ただ、今日のことは、千明さんという人が母さんを任せるに足る人物であると鳥海社長が僕に伝えたかったのではないかと考えている。もしそうであったとしても、千明さんに確認してみたところで「そうだ」とは回答しないだろう。彼は照れ屋さんなのだと母が言っていた。
「千明さんにはお礼を言いたかったので、ちょうどよかったです」
「お礼なんて。律儀な親子だ」
「申し訳ないです」
それに遅かれ早かれタイムフライヤーさんには会っておく必要はあるのだろう、それは僕にもなんとなく判っていた。
********************
千明さんから渡されたプラスチックのネームホルダーには病室と患者の名前が印刷された紙が入っている。
【503号室 植村理人 27歳】
入院患者との面会に必要とのことだ。背面にはセキュリティカードも入っていた。
病院内だからか無言で進む千明さんの背中を速足で追って、くすんだピンクが基調の廊下を歩く。千明さんの一歩は大きくて力強い。
ほとんど人とすれ違うことは無かった。そういえば駐車場にも車は他に停まっていなかったな。建物全体が静かなようだ。時々窓から山並みが見えて、何回か曲がり角を通過すると千明さんが足を止めて僕を振り返る。
「ここっす」
「はい」
千明さんが少し背中を曲げて、壁に取り付けられたセンサーにセキュリティカードをかざす。ちゃんと首からぶら下げているのが微笑ましい。電子音と同時に自動扉が開いた。エレベーターの中で見た、階ごとの案内には器官名や何科であるというような区分が書かれていたが5階は空白だった。病室にも表記は見当たらない。
もしかしたら、と考えてみる。この階は鳥海社長が貸し切っているのではないか。あるいはこの病院ごと社長の持ち物かもしれない。そんな想像をして楽しんでいた。まだそうやって半信半疑に面白がりながらも、自分が飛び込んだ案件とそれを取り巻く環境を現実として受け入れつつはあった。
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