35年前に行けるボタンがあったら押す?


 期待を裏切ることになるかもしれないが、はっきり言ってしまえばその人物とはもっと以前から面識があった。おまえらがいう一年前に【35年前に行けるボタンがあったら押す?】というスレッドを立てた人物のことだ。


 は僕の知り合いが立てたもので、僕自身そのことを知らされたのは最初のスレを見た半年も後ということになる。興味があれば少しだけお付き合い頂けるだろうか。





*****   *****   *****   ***




 一年前あのスレを立てたのは僕が務める会社の取引先の社長だった。不思議な男だとは以前から思っていた。あくまで漠然と思っていただけだったのだが。


 彼は経歴を鑑みても、どんなに若く見積もっても四十代の後半といった年齢であるはずだが、どうしても三十代の前半にしか見えなかった。しかも僕が高卒で入社した時から見た目が変わらないままだ。これはこうなってから気が付いたことだ。今思えば。


 色が白くて眼鏡をかけていて、その他の特徴といえばとても静かに話すことくらいだろうか。これは内緒だけど足の裏みたいな顔をしている。


 いつも無難なスーツ姿は一見して“大手本屋か百貨店の社員さん”といった風貌だった。パートのおばちゃんからタメ口を聞かれても怒らないような大らかさと親しみやすさを醸し出しているような。そんな彼の経営する派遣会社ではいつも大量のコピー用紙を発注してくれていた。それだけにコピー機も頻繁に詰まって、それを修理するのが僕の仕事だった。




「いつもすまないね」

「いいえ、いつもありがとうございます」

夏海ナツミくん、この後時間ある?」

「大丈夫ですよ」




 この後は配達があるだけで、それも急ぎではなかったから時間があると言えば嘘にはならない。年度変わりでもない限り強烈な繁忙期というものは経験したことが無かった。いつも通りの静かな声で尋ねられた時は発注の追加があるのだろうと思っていた。修理のついでに文房具の受注をして帰るのは珍しいことではないからだ。ボールペンの替え芯一本からでも承ります。




「じゃあちょっと、コーヒーでも飲んでいきなよ」

「え?」




*****   *****   *****   ***




 奥の社長室へ通されるなんて初めてのことで、他の会社でも経験したことは一度も無い。確かに鳥海社長とは気心が知れている部分はあるが個人的な話があるわけでも無いだろう、気まぐれで労ってくれているのだという程度にしか思っていなかった。勧められるままにソファに座ると鳥海社長はにこやかに話し始める。





「社長とはよくここで話すんだ」

「あ、うちのですか?」

「そう、君んとこの」




 僕はこの高級なソファを絶対に汚すまいということにだけ集中していた。気を付けて作業しているから服にも手にもインクなんて付いていない筈だけれど、どうしても落ち着かない。汚してしまいでもしたら一体お給料の何か月分を失ってしまうのか考えるだけで背筋が伸びた。




「そんなに緊張しなくていいよ。うちの社員なんて靴履いたまま上るよ」

「どんな」



 どんな教育してんですか。思わずそう問い質したくなる。誰かが土足で上がったソファに今座っている点も複雑な気分だった。



「夏海くん」

「はい」


「35年前に行けるけど、もう戻って来られないボタンがあったら押す?」



「―――—―あっ、申し訳ありません!」

 



 珈琲を吹いてしまった。そのくらい唐突で衝撃的な問いかけだった。




「気にしないで」



 社長が動じることなく内線をかけると、すぐに事務のお姉さんがダスターを持って駆け付けてくれる。よく行き渡っていると感じる。



「ビックリさせちゃったね。ごめんごめん」

「いえ、じゃあ社長もあのスレに?」

「うん。だってあのスレ俺が立てたんだもん」




 釣られてくれてありがとう。


 社長は少年のような笑顔を浮かべた。





******   *******   ******   ***





「このことは夏海くんに頼みたかったんだ」

「であれば、初めから」



 あんな手の込んだことをしなくても。偉い人の気持ちなんて僕には理解できないんだろうな。




「それじゃ面白くないじゃないか」




 それを聞いて、偉い人の気持ちは一生かかっても理解できないと確信した。




「それに直接話しても真面目に聞いてもらえるとは思えなかったんだ」

「―――――それは確かにそうです」



 急に何を言い出すんだと恐怖を覚えたに違いない。取引先の社長の戯れに巻き込まれるなんて漫画でもない限り、心理テストか僕を試そうとしているのか、―――――だとしたら何の為に?


 そんなことも思い浮かばないほど不思議と僕はこの状況を受け入れていた。どうしてかわからないけれど「鳥海社長このひとならばやりそうだな」くらいに何ら違和感もなく、僕がこんな提案を自然に受け入れているのは前置きがあったからに他ならない。目撃者が多数いるということも理由になるかもしれない。恐るべしネット掲示板。


 それでも不思議な点はある。




「僕は―――――可哀相だから選ばれたんですか?」




 生きていても残念だからとか、いなくなっても誰も困らないとか。それらはもうずっと頭の中にあったことだ。


 何かに当選したり誰かに選ばれたことなんて無いのは当然だと受け入れて生きてきた。だから選んでもらえるなんて―――生まれて初めてだから俄かに信じられないでいた。代表だとかそんなことには無縁であるなどと、今こうなるまで考えたことも無いくらい。


 



「そんなわけないだろう」



 いつになくはっきりとした声の大きさで社長は答えた。嬉しくなかったと言えばそうではない。むしろ否定して欲しくて出た言葉だったのかもしれない。



「夏海くんは条件に相応しいんだ」




 抜擢されるなんて、そういったこととは無縁に過ごしてきた。それを差し引いても僕なんか



 僕は恵まれない子だった。望まれず生まれてきてしまった子。惨めさを抱えて生きてきた。消えたいと思ったことなんか何回でもあるよ。もしかしたら鳥海社長にはバレていたのかな。



「その時代には生まれていない人が望ましくてね。それに君は真面目だし信用できるし、人に流されたりしないところも良い。何より有意義に過ごしてくれると思ってるから」




 僕はそんな風に見えるのだろうか。褒められたのも初めてだと気が付いて、なんだか照れ臭くなってしまい軽口をたたく。




「信用していいんですか?」



 僕のことなんか。休憩時間は一時間なのにファミレスにそれ以上いたりしますよ。僕はそういう人間なんです。




「そういうところだよ、そんなこと考えるところが君は」




 真顔だった鳥海社長がニヤリと笑う。



 狐に抓まれるというのはこういう気持ちをいうのだろうか。こんなチャンスを与えられたことが信じられない。普通だったらきっと、こんな話自体を信じられないだろうに何故か僕は信じていた。行きたい、僕は過去に行きたい。




 ただ一つだけ気がかりもある。




「僕がいなくなったら、母のことが心配なんです」




 姉からも母のことを頼まれていた。母とは一緒には住んでいないが近くにはいる。足が悪いから買い物や病院へは車に乗せて出かけていた。僕がいなくなったらどうしたらいいのだろう。それに災害などがあった場合にはどうしたら。




「任せておけ」



 社長は自分の経営する会社について説明を始めた。ここからはまた耳を疑うような話になってくる。この会社で派遣しているのは特殊スペックを持った 


―――———例えば、聞いたことがあるものではサイコメトラーであったり。現実味のあるところで言えば超身体能力を持った殺さないアサシンであるとか、見た情報を一瞬で暗記するスパイであったり、どんな遠い音でも聞き分けるデビルイヤーであったり。そういう職人さん達のいる会社とのことだ。


 自分の頭か耳にバグが生じたのではないかと疑いそうになる。それから、それほどの人材が多数いるのなら僕よりも適任がいたのではないだろうかと少し考えたが、すぐに答えは出た。


 そうした有能な人材は手離さずに近くに置いておきたい心情が想像できた。僕は社長にとって手駒として手頃なのだ。


 そうか。そう考えるとこんな突飛な話にも逆に真実味が帯びてくる。

僕は




「金銭的な面では君への給与とは別に、君への給与という形でお母様へ振込むようにするよ」

「ややっこいですね、助かりますけど」

「まあそうだな。あとは不便しないように日常的に社員を送るから、身の安全に関しても約束する。今よりも快適になると思うよ」

「よろしくお願いします」




 保証する。ではなく、約束すると言ってくれたことは嬉しかった。僕もまた鳥海社長のことは信用している。僕には取り得なんて何もないけれど、人を見る目にだけは自信がある。だから人間関係で失敗することはそう無かったんだ。おまえらに詳しく聞いてもらえないのが勿体ないよ。






―――――――――― ――――― ―――





―――――さあ、話せるのは此処からだ。何処まで信じてもらえるかわかんないけどね。



「時間を移動できる能力を持った人がいる」



「やっぱり、そうでしたか」とはならなかった。



 就業時間中に交わされる目上の人との会話でなければ、ああ、はいはい。と聞き流してしまっているだろう。




「ただ、ハイリスクなんだ。非常に」

「そうでしょうね」



 通常できないことをやるからには、そういうこともあるだろう。想像もつかないので質問したいことも沸いてこず、頷いて話を聞くだけだった。




「うまく説明できないんだが、その能力者は移動した分だけ年を取ってしまうと考えてほしい」

「相対性理論ですか?」



 適当に言ったわけではないが、そんな理論があった気がする。双子の片方が宇宙に行ったら、地球に戻ってきた時にどちらかが老け込んでしまっているとかいないとかいう話を読んだことがあったような。




「そうかも、俺はバカだからわかんないんだけどさ」

「一緒ですね」




 鳥海社長は目を細めた。少年のような表情に刻まれた目尻の皺が年齢を少しだけ感じさせた。




「で、経過は違うんだけど結果的にはまさに夏海くんが言った通りなんだ。その能力者は力を使うたび物理的に消耗してしまうことが明らかになった。その代わり自分以外の物質も時間を移動させることができるとも判明してる」




 それで誰かを送り込もうというわけか。目が合うと社長が頷いた。




「ただし1回きりだ。一緒に行くのは不可能だから連れて帰ってくることはできない」

「生きてさえいれば現代まで辿り着けます。戻りたければですけど」

「君の、そういうところだよ」


 

 社長は今度はニヤリと笑う。



「いくつかやってほしいことはあるんだけど難しいことじゃない。その他は本当に自由に過ごしてもらっていい、何の縛りも無いよ」



 あのスレッドを思い出す。自分より10も20も年上かと思われる大人たちの、顔も知らないおまえらの吐き出した後悔と未練と心残りを。




「やってくれるかい?」

「はい。承知しました」


「君ならそう言ってくれると思ってたんだ」




 こんなチャンスは自分だけではなく誰かの為にも使いたかった。そうすれば自分が生まれてきてしまったことに意味を持たせることができる気がした。




*****   *****   *****   ***





 テキストに書き留めていた文章は全て書き込みが済んだ。閲覧人数は増えたり減ったりしながら300前後に落ち着いている。応援してくれる言葉や持って行った方が良いものを書き込んでくれた人達には後で返事をしようと思っている。お釈迦様の言うように悪意は受け取らない。予定通り十二時を回って七月になっていた。ここからは質問に答えるぜ。




【>いつから行くんだ?】


【八月一日】


【今から一ヶ月後にボタンを押す】





[キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!]

[イッチ!!]

[マジだった]

[やばい鳥肌が]




 暗黙の了解だろう、おまえらがという単語をなんとなく避けていたのは察知していた。


 僕が本当に去年あのスレにいた者か検証するのが目的か、あるいは一年前のスレを知っているおまえらを篩にかける為もあったのだろうか。あのスレが存在したことを確かめたかったというのが一番なのではないかと僕は思っている。


 こんなところで場慣れなんてしてもしょうがないんだけどさ、でも嬉しかった。あのスレにいたおまえらに何かできるかもれないって思ったら嬉しかったんだよ。今まで遠くから見てただけの、この妙な一体感に参加できたことに感動すらしているんだぜ。

 




【 だから、おまえらのできなかったことを俺に託せよ 】





[うぉぉぉおー]

[この>1になら釣られても構わない]

[サンキュー、イッチ]

[やっぱあのスレあったんだよな]

[やだ、目から汗が]

 















🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼🐼




 ここまでお読みいただきありがとうございます。




“あのスレ”に居合わせた彼らを繋ぐ合言葉をひっそり募集します。チーム名みたいになると嬉しいですが、そうでなくても何でも結構ですので、ダサいのください。後半の大事な場面クライマックスで登場させたいので思い付いた方はコメント欄にご記入いただければ幸いです。


 応募作は全て作中で登場させていただきますが、一番ダサいことを言った方が優勝です。



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