第11章:愛の代償

1. 千紗の微笑む未来


11月中旬、深夜の「Memories Eternal」研究所。大城戸将人は一人、巨大なシミュレータの前に立っていた。青白い光に照らされた彼の表情には、緊張と期待が入り混じっていた。


「開始」


将人の声に応じて、巨大スクリーンが輝きを増す。無数の光の粒子が舞い始め、それぞれが異なる未来のシナリオを表していた。将人の目は、それらの光の流れを必死に追っていた。


「もっと詳細に。2101年から2200年までの範囲で」


画面上の映像が変化し、より具体的な未来の姿が現れ始める。環境問題の解決、新たな科学技術の発展、社会システムの変革...。それらが目まぐるしく映し出される中、突如として一つの映像が浮かび上がった。


「これは...!」


将人の目が大きく見開かれる。そこには、千紗が幸せそうに笑っている姿があった。彼女の周りには、平和で豊かな世界が広がっている。


「千紗...」


将人の声が震える。彼は急いでキーボードを叩き、その未来のシナリオを詳しく分析し始めた。データが次々と表示される。


「この世界線では、2145年に画期的な量子操作技術が開発され...そして...」


将人の表情が複雑に変化する。喜び、驚き、そして何か深い悲しみのようなものが入り混じっていた。


「僕が...僕がいない...」


彼は気づいた。その世界では、大城戸将人という人物が存在していなかった。それでも、あるいはそれゆえに、千紗は幸せに生きていた。


窓から朝日が差し込み始める頃、将人は決意に満ちた表情で立ち上がった。


「わかったよ、千紗。僕がすべきことが」


将人は静かに、しかし確固とした足取りで研究室を後にした。彼の心には、新たな決意が芽生えていた。それは、自身の存在を消してでも、千紗と世界の幸福を選ぶという、究極の選択だった。


外では、新しい一日が始まろうとしていた。将人の最後の、そして最大の挑戦が、今まさに始まろうとしていた。



2. 心の奥底で燃える炎


11月下旬、東京の高層マンションにある将人の自宅リビング。夜景が広がる窓際に、将人は一人佇んでいた。手には千紗の写真を握りしめ、複雑な表情で見つめている。


「千紗...」将人の声は低く、震えていた。


突如、記憶が蘇る。


大学時代、研究室で熱心に議論を交わす二人の姿。初めてのデート、プロポーズの瞬間、そして...あの事故の日。


「将人くん、私ね、みんなが幸せになれる世界を作りたいの」


千紗の言葉が耳元で響く。


「僕は...僕はそれを実現しようとしている。でも...」


将人は苦悩に満ちた表情で、テレビのリモコンを手に取った。画面には、世界中のニュースが次々と映し出される。


「大城戸博士のシミュレータにより、世界平和が現実に」


「貧困撲滅、環境問題解決へ大きな一歩」


「ノーベル平和賞候補に大城戸将人氏が有力視される」


しかし、同時に批判的な意見も流れる。


「人類の自由意志は奪われたのか」


「シミュレータによる管理社会の危険性」


将人はテレビを消し、鏡の前に立つ。そこに映る自分の姿を見つめながら、彼は自問自答を始めた。


「私は本当に正しいことをしているのか?千紗の願いを叶えているのか?それとも...」


深夜、将人はベッドの上で眠れずにいた。シーツを掴む手に力が入り、額には汗が滲んでいる。


「千紗...私は...僕は...」


苦悩に満ちた言葉が、静寂の中で虚しく響く。


その時、スマートフォンが振動した。画面には「佳奈」の名前。しかし、将人はそれを無視した。


別の場所で、浩介と佳奈が話し合っていた。


「将人、最近連絡が取れないんだ」浩介の声には心配が滲んでいた。


佳奈は深いため息をついた。「私も...。あの人、きっと何か大きな決断をしようとしているのよ」


「ああ、わかっている」浩介は窓の外を見つめながら言った。「俺たちにできることは...」


「ええ」佳奈が頷く。「見守ることしかできないわね」


東京の夜景が、孤独な決断を迫られる将人と、彼を心配する友人たちを静かに包み込んでいた。新たな朝が近づく中、将人の心の中では、科学者としての使命と、一人の男としての想いが激しくぶつかり合っていた。



3. 最後の選択、迫る瞬間


12月、「Memories Eternal」の中央制御室。緊急会議のため、研究チーム全員が集められていた。空気は張り詰め、全員の視線が大城戸将人に注がれている。


将人は深く息を吸い、ゆっくりと話し始めた。


「皆さん、私たちは人類史上最大の岐路に立っています」


大型スクリーンに、未来のシミュレーション映像が映し出される。研究チームからは驚きの声が上がった。


エネルギー問題、大陸間輸送、食料、国境紛争、民族対立、様々な問題がどこにも見つからない、平和な世界。


「これは...大城戸先生が?」中村綾子が息を呑む。


将人は静かに首を振った。「ああ、そうだ。あらゆる問題が解決した世界だ」


会場に衝撃が走る。


「私は...私は間違っていた」将人の声に、深い後悔の色が滲む。「シミュレータを使って世界の問題1つ1つに対応しようとしたことは、大きな過ちだった」


チームメンバーの間でざわめきが起こる。


「ゆえに!」将人は力強く続けた。「これを最後のプロジェクトとする!」


彼は新たな計画を説明し始めた。それは、シミュレータの力を使って、世界を書き換え、あらゆる問題を解決した、すべての人々が幸せに生きられる世界線に移行するという、驚くべき内容だった。


しかし、それには大きな代償を伴うことが示されている。


「これは、狂気の沙汰です!」高橋拓也が叫ぶ。


「先生、それでは全てが...」鈴木美咲の声が震える。


しかし、将人の目には揺るぎない決意の色があった。


「心配ない。シミュレータ上は、全く問題がない。そして…すべての責任は私がとる」


研究チームの全員が息をのんだ。


「現実を書き換えるといっても、それは世界の可能性の1つに過ぎない。我々がシミュレータで1つ1つの問題をつぶしていっても、君たちも知っての通り、倫理、独裁、様々な問題がある。しかしだ」


「世界は無数の可能性に満ちている。今から行うのは、新しい世界を作るのではなく、人々の無数の選択の中から、より良い可能性を選択した未来を選びなおすだけだ」


そこで、メンバーの中で最も若い卓也が手をあげた。


「ですが、それは歴史の書き換えでは…?」


「では、君は今の世の中のままでいいと?」


「いえ、そういうわけでは…」


「このままでは、国家、世間、いろんなものに我々はつぶされる。そうなる前に、世界のあらゆる問題を解決し、幸せな未来を築くのだ」


長い沈黙の後、中村綾子が静かに立ち上がった。


「私は...先生の決断を支持します」


ほとんどの人は沈黙を保っている。


「反対者は、プロジェクトから抜けることを認める。私はそれを咎めん」


会議は深夜まで続き、最終的な計画が練られていった。議論は白熱し、時に激しい意見の対立もあったが、最終的にはチーム全員が将人の決断を受け入れた。


夜明け前、疲れ切った表情で研究所を出る将人。そこに佳奈が待っていた。


「将人くん...」


「佳奈、すまない。君たちには心配をかけてしまった」


「浩介が、言っていた通りの結果になったわね...」


佳奈は涙ぐみながら将人を見つめる。


「私が何を言っても...あなたは止まらないんでしょうね」


「悪かった。だが、これですべてが終わるんだ。もう楽になってもいいだろう?」


佳奈を見る将人の眼は優しかった。まるで大学時代に戻ったかのような穏やかな表情だ。こんな彼を見るのは何年ぶりだろう。


将人は空を見上げた。朝日が昇り始め、新しい一日の始まりを告げていた。


「さあ、最後の仕事にとりかかろう」


将人の声には、覚悟と共に、どこか安堵の色も混じっていた。彼の最終決断が、世界の運命を大きく変えようとしていた。



4. 運命を賭けた飛翔


「Memories Eternal」の中央制御室は緊張感に包まれていた。大城戸将人は、世界中の要人たちとのビデオ会議に臨んでいた。


「諸君、我々は人類史上最大の転換点に立っている」将人の声は静かだが力強かった。


画面上の各国首脳たちの表情が硬くなる。


「大城戸博士、あなたの提案は余りにも危険すぎます」アメリカ大統領が強く反対する。


「我々は、このような無謀な計画を認めるわけにはいきません」他の首脳たちも次々と反対意見を述べた。


将人は冷静に反論を試みたが、世界の指導者たちの態度は変わらなかった。


「これ以上の議論は無意味だ」中国の首脳が言い放つ。「この計画は即刻中止すべきです」


会議は決裂し、画面が次々と消えていった。


「私利私欲、自分の国や組織の利益しか考えられない連中に何がわかる...」


将人は深いため息をつき、しばらく沈黙した後、決意に満ちた表情で言った。「チーム全員に告ぐ。我々は計画を強行する」


研究チームの間に動揺が走る。


「しかし、先生...」中村綾子が心配そうに言う。


「君たちは心配はいらん。すべての責任は私にある。それに、世界が変われば、咎めるものなど誰もおらんよ」


将人の断固とした態度に、チームメンバーたちは黙って頷いた。


「シミュレータの出力を最大に」将人が命じる。


「しかし、それでは制御不能になる危険性が...」綾子が警告する。


「構わない。これが最後のチャンスだ」


大型スクリーンには、世界中の様々な指標がリアルタイムで表示されていた。そして突如、それらが激しく変動し始めた。


「各地でシステムの変更が始まっています!」高橋拓也が報告する。


世界中で予期せぬ混乱が起き始めた。金融システムが一時的に停止し、交通網が乱れ、通信障害が発生する。


「先生、このままでは...」鈴木美咲の声が震える。


将人は冷静さを保ちながら、次々と指示を出していく。「第二段階に移行。量子フィールドの再構築を開始」


しかし、事態は予想以上に深刻化していった。


「制御不能です!」綾子が叫ぶ。


将人は一瞬躊躇したが、すぐに決断を下した。「私が直接制御する」


「しかし、それは...」


「他に方法はない」


将人は特殊なヘッドセットを装着し、シミュレータと直接接続した。彼の脳波が、巨大なシステムを制御し始める。


「これで...全てが...」


将人の意識が、世界中のデータと融合していく。彼の頭の中で、無数の可能性が交錯し、新たな世界の姿が形作られていく。


外では、世界が大きく変容し始めていた。混乱は次第に収束し、新たな秩序が生まれつつあった。


しかし、それと同時に、将人の身体に異変が起き始めていた。


「先生!」チームメンバーたちの叫び声が遠のいていく。


将人の意識は、もはや現実世界にはなかった。彼は、自らの存在を賭して、新たな世界を創造しようとしていたのだ。



5. 世界を変える犠牲


世界が大きく揺れ動く中、「Memories Eternal」の中央制御室では緊迫した状況が続いていた。大城戸将人のシミュレータとの直接接続から数時間が経過し、予期せぬトラブルが次々と発生していた。


「先生!システムが不安定化しています!」中村綾子が叫ぶ。


将人の身体は激しく痙攣し、額には大粒の汗が浮かんでいた。しかし、彼の意識は既にシミュレータの中にあり、現実世界の声は届かない。


「このままでは世界が...」高橋拓也が心配そうに言う。


その時、緊急警報が鳴り響いた。


「量子場の崩壊が始まっています!このままでは...」鈴木美咲の声が震える。


将人は突如、ヘッドセットを外し、立ち上がった。その目には強い決意の色が宿っていた。


「こうなることはわかっていた。最後の調整は、現場で行う必要がある」


「先生、まさか...」


将人は黙ってうなずき、制御室を出て行った。チームメンバーたちは、彼の後を追おうとしたが、セキュリティシステムにより阻まれた。


研究所の屋上に設置された緊急発射場。将人は用意されていたプライベートジェットに乗り込もうとしていた。


その時、息を切らして駆けつけてきたのは、浩介と佳奈だった。


「将人!」浩介が叫ぶ。「やめろ、こんな無茶な...」


「浩介、佳奈...」将人は振り返り、優しく微笑んだ。「君たちには本当に感謝している」


「お願い、翻意して」佳奈の目には涙が浮かんでいた。


「もう決めたんだ。これが、僕にできる最後のことなんだ」


「将人...」


「そうだこれを」


将人が懐から取り出したチップを浩介に手渡した。


「浩介、君にしか頼めないんだ。後を頼む」


将人は学生の時に戻ったような柔和な表情で微笑んだ。しかし、どこか切なく、諦めたような表情。


「この...馬鹿野郎...!」


浩介の叫び声を聞きながら、将人は二人に背を向け、機内に入った。エンジンが始動し、ジェットは急速に高度を上げていく。


機内で、将人は再びシミュレータと接続した。通信機器を通じて、研究チームに最後の指示を出す。


「これから、量子場の中心点に向かう。そこで最終調整を行い、新たな世界線への移行を完了させる」


スクリーンには、千紗の幸せな未来が映し出されていた。それと同時に、将人の生命反応が急速に弱まっていくのが表示されている。


「先生!」チームメンバーたちの悲痛な叫び声が響く。


「心配するな。これで、全てが...うまくいく」


最後の瞬間、将人の口元に微かな笑みが浮かんだ。


「浩介、佳奈...幸せに...」


通信が途切れ、ジェットの姿が光の中に消えていった。


地上では、世界が大きく変容し始めていた。混沌が収まり、新たな秩序が生まれつつある。そして、どこかで、千紗の姿が幸せそうに微笑んでいた。


大城戸将人の壮大な計画は、彼の存在という最大の代償を払って、ついに実現しようとしていた。



6. 新たな世界の幕開け


2135年1月1日、世界は大きく変わっていた。大城戸将人の壮大な計画が実を結び、人類は新たな時代を迎えていた。


世界各地のニュース映像が次々と流れる。


「世界平和が実現し、戦争の概念が完全に消滅」


「貧困問題が解決、全ての人々に平等な機会が」


「環境問題が克服され、地球の生態系が回復」


人々の表情には、希望と幸福の色が溢れていた。しかし、誰一人として大城戸将人の名前を口にする者はいなかった。彼の存在は、新しい世界線では完全に消え去っていたのだ。


「Memories Eternal」の研究所は、今や「未来創造センター」と名を変え、世界中の科学者たちが集う場所となっていた。


新しい世界線が安定し始めた頃、浩介と佳奈は静かな公園のベンチに腰かけていた。二人の表情には、安堵と共に深い思慮の色が宿っていた。


「不思議だね」浩介が口を開いた。「世界が大きく変わったのに、僕たちだけが元の記憶を持っている」


佳奈は静かに頷いた。「そう。でも、それも将人くんが望んだことなのかもしれない」


二人は、大学時代の思い出を語り始めた。研究に没頭する将人の姿、千紗との出会い、そして彼女の突然の事故。


「あの日から、将人は変わってしまった」浩介の声に、懐かしさと悲しみが混ざる。


「ええ」佳奈は目を閉じて当時を思い出す。「でも、彼の中で千紗への想いは決して消えなかった」


浩介は深いため息をついた。「最後まで、僕は将人の考えに賛同できなかった。世界を操作するなんて、あまりにも危険すぎる」


「でも、彼の覚悟は認めたのよね」佳奈が優しく言った。


「ああ」浩介は静かに頷いた。「彼の決意の強さには、敬服せざるを得なかった」


しばらくの沈黙の後、浩介はポケットから小さなデバイスを取り出した。


「これが、将人が最後に僕に託したものだ」


「それは...」佳奈の目が大きく開いた。


「ああ、将人の記憶データだ。将人は、自分の存在を完全に消す前に、これを用意していたんだ」


「まさか、あなたは...」


浩介は静かに頷いた。「将人の遺志を受け継ぐ。それが、彼との約束だ」


「でも、それは危険じゃない?」佳奈の声に心配の色が混じる。


「大丈夫さ」浩介は微笑んだ。


「新しい世界では、将人を止められる人間が生まれることになっている。彼女がいれば将人は大丈夫。君もよく知っているだろう?」


「それって...」


「そう。それに、僕だって今度はそうはさせない。これ以上、誰かを犠牲にする世の中なんてごめんだからね」


佳奈は複雑な表情で浩介を見つめた。「わかったわ。私も、あなたの決断を支持するわ」


二人は立ち上がり、夕暮れの公園を歩き始めた。

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