第41話 オオカミ少年?
むかしむかし、あるところに、羊飼いの少年がいました。朝に羊を牧草地へ放し、日中は草を食む羊を見守り、時間になれば羊を小屋に戻す。来る日も来る日も、同じことの繰り返し。刺激もへったくれもありません。遊びたい盛りの少年は退屈していました。
ある日、少年は牧場の向こうに黒っぽい影を見つけました。羊を襲って食うと言われているオオカミかもしれません。生憎と少年はそれまでにオオカミを見たことがありませんでしたが、噂だけは聞いたことがあります。これは一大事。少年は大きな声を上げました。
「オオカミが来たぞ!」
すると、すぐに隣の家の爺さんがよたよたと駆けつけてきました。
「奴が出たって?!」
「はい、そこに…」
少年は牧場の向こうを指差しましたが、もう影は見えません。
「いなくなっちゃったみたいです、すみません。」
「いや、そうだろう、そうだろう。奴はすぐに身を隠す。容易に掴まるもんじゃない。」
隣の爺さんはうんうんと頷きます。
「また出ないとも限らん。見つけたら、知らせてくれ。」
隣の爺さんはそう言うと、よたよたと帰って行きました。
この出来事に、少年は何とも言えない高揚感を得ていました。自分の一声で、村の大人が駆けつけてくる。実に刺激的ではありませんか。ああ、面白い。
少年は何度もこの思い出を反芻してしばらくの間暮らしていましたが、やがて飽きてきました。そうなると、また同じことをして、大人をびっくりさせたいといういたずら心がむくむくと沸き起こってきます。黒っぽい影なんて全く見当たりませんが、少年は嘘っぱちで大声を張り上げました。
「オオカミが出たぞ!」
すると、またもや隣の爺さんが一人でわたわたと走ってきました。もっとたくさんの村人が出てきてくれたら、もっと愉快だろうに。少年は少々物足りませんが、牧場は広いし、村の方には少年の声が聞こえなかったのかもしれません。今日のところは隣の爺さんだけで我慢しておくしかないでしょう。
「奴か!」
「はい、あっちの方で見ました。もう、いなくなっちゃいましたけど…。」
少年がそう言うと、隣の爺さんはがっかりと肩を落としました。この爺さんの慌てふためきぶりと、落胆ぶりでも、十分に愉快です。少年が笑いをかみ殺していると、爺さんがぎろりと少年をにらみつけてきました。少年はドキッとして、息を飲みました。
「お前ははっきり姿を見たんだな?」
隣の爺さんに訊かれて、少年は思わずカクカクと首を縦に振りました。嘘の上塗りです。
「お前が見た奴はどんな姿だった?ここに描いてみろ。」
隣の爺さんは足元から枝を拾って、少年に渡しました。地面に絵を描けと言うのです。困ったことになったぞ、と少年は思いましたが、ここで正直に告解するわけにもいきません。見たことも無いオオカミを、想像だけで適当に描いてみます。でも、少年は絵が得意でないし、そもそもオオカミを知らないし、地面は凸凹で線を描きにくいし、少年のオオカミは実物とはてんで違ったよく分からないものに仕上がりました。
隣の爺さんはそれをじっと眺めて、腕を組みました。
「ふーむ。」
少年はドキドキです。
「どんな色だった?」
「茶色いような黒いような、暗い色です。」
「大きさは?」
「えっと、これくらいでしょうか。」
少年はあいまいに腕を広げて見せました。隣の爺さんはそれを眺めて、更に唸ります。
「そりゃ、わしが知っておる話より、随分でかいな。」
「えっ、あ、見間違いかもしれません。かなり遠かったから。っていうか、爺さんの知ってるやつは、どんなもんなんですか。描いてみてくださいよ。」
少年は、正解を教えてもらえるように爺さんをうまく誘導しました。さっきの木の枝も渡してしまいます。少年の思惑通り、爺さんはがりがりと地面を引っかきながら説明を始めました。
「頭が、こう三角でな、胴体はずんぐりして、しっぽがある。色は黒褐色。動きは素早くて、飛び上がることもあるらしい。」
「ははあ。」
少年の絵の腕前もなかなかの低レベルでしたが、隣の爺さんも大したものです。手の震えも相まって、何を描いているのやら、さっぱり分かりません。出来上がった絵は、少年のオオカミと大差ないように見えます。実際、爺さんの目にもそう映ったようです。
「うむ、同じようなもんじゃな。」
「はい。」
爺さんは鋭い目つきで牧場をぐるりと見渡しました。
「念のため、本部にも一報入れておこう。」
「ほ、本部なんてものがあるんですか。」
「当り前じゃ。次に出たら、皆総出で捜索せねばな。」
ということは、次に人を呼んだら、この爺さんだけでなくて沢山の大人がわらわらと飛び出してくるということでしょう。何の本部なのか、少年はまだ大人社会の組織には詳しくないので分かりませんが、人が多いにこしたことはありません。少年の心はまたムラムラとうずきました。
しかし、これ以上嘘を重ねると、さすがにバレるような気もします。いい加減やめておいた方が良いんじゃない?と内なる声がささやきますが、何の変化も無い毎日がダラダラ過ぎていくと、その声も小さくなっていきます。
そうして、少年はとうとう、またぞろ大声を張り上げてしまいました。
「オオカミが出たぞ!」
すると、どうでしょう。今回は隣の爺さんに加えて、何人もの大人たちがわらわらと飛び出してきました。皆、手に網や棒を持っています。オオカミというものは、網で何とかなる敵なのでしょうか。そんなものが羊を襲って食うとは思えないのですが、少年はその点はひとまず横に置いておくことにしました。何であれ、大人数が慌てて駆けつけてくる様は、少年には愉快痛快です。
「どこだ、どこだ。」
「あの辺にいたんですが、皆さんの気配で逃げちゃいました。」
少年はしれっと嘘を言います。顔が笑いそうになるのをこらえるので精いっぱいです。
しかし、今回は隣の爺さんだけが相手ではありません。強面のおじさんが、少年に向かってフンッと鼻を鳴らしました。少年はぶるっと身震いします。
「お前、本当に見たのか?マムシやトカゲを見間違えただけじゃないのか。」
「いえ、そんな。お爺さんの言ったとおりの姿のオオカミでした。」
少年は隣の爺さんをチラッと見て答えました。完璧な回答でしょう。
ところが、強面おじさんは、口を妙な形に歪めました。
「オオカミ?何言ってんだ。ニホンオオカミもエゾオオカミもとっくに絶滅している。そんなものを見たなら、また別の話になるぞ。」
「へ」
村人たちのまなざしに疑いの色が混ざり始めました。まずい雰囲気です。少年は慌てて、足元の木の枝で地面に絵を描きました。想像のオオカミではありません。前に隣の爺さんが震える線で描いた何物かです。
「頭が三角で、胴体がずんぐりで、しっぽがあって、黒褐色で。動きはすばしこかったです。」
爺さんが言ったとおりの説明も加えておきます。すると、村人たちの空気が少し緩みました。
「それなら確かに奴だが…お前、絵が下手だな。」
おじさんは呆れて、少年から木の枝を取ってがりがりと地面を削り始めました。爺さんや少年と違って、そこそこに特徴をとらえた絵を描けるようです。
「ほら、こうだろ。ツチノコって言やあ、この形と決まってる。」
おじさんが書いたのは、頭の下にくびれのある蛇のようなものでした。手も足もないし、耳もないし、こんな生き物は少年は見たことがありません。オオカミを知らない少年でも、四つ足獣のオオカミと蛇もどきのツチノコが全く違うことは分かります。
「あ、そうです、これ、ツチノコ。すみません、オオカミもツチノコも伝説の生き物なので、ごっちゃになってました。」
少年は何とかしてごまかしました。ツチノコなんて初めて聞きましたが、とりあえず話を合わせておきます。
「おいおい、しっかりしてくれよ。全然違うだろ。オオカミなら古い毛皮が村長さんちにあるけど、ツチノコはまだ誰も捕まえたことが無い幻の存在だぜ?」
「いやあ、すみません。興奮しちゃって。」
少年はてへへと笑ってごまかします。おじさんはそんな少年の頭を軽く小突くと、村人たちの方を振り返りました。
「もしかしたら、まだ近くにいるかもしれないぞ。どうだ、久しぶりに山狩りに行くか。」
「そのつもりで来たさ。捕獲用具も持ってきたしな。」
おうおう、と村人たちは盛り上がります。少年はそうっと一歩下がって、巻き込まれないように気を付けていましたが、その背をぐっと押した者がいました。
「兄ちゃんも行っとけ。第一発見者じゃろう。お前さんなら、何かツキのようなもんを持ってるに違いない」
隣の爺さんです。
「いや、でも、僕は羊が…。」
「羊ならわしが代わりに見ておこう。悲しいが、わしの足で山狩りは難しいでな。」
「でも、その、良いんですか、僕みたいな部外者が。」
「何を言う。一度でも奴を見たものは、我らツチノコ捜索本部の一員よ。」
どうやら、以前に爺さんが本部と言ったのは、このことのようです。そして、少年はその意思とは関係なく強制的に加入させられてしまいました。少年はあれよあれよという間に村人たちに囲まれ、共に森や里山に連れて行かれ、草むらやら落ち葉やらをかき分けてツチノコを探す羽目に陥っていました。結局、その日にツチノコは見つからず、少年が別の毒蛇に噛まれそうになっただけでした。羊を小屋に帰す夕方には、少年は心身ともにへとへとに疲れ切っていました。
しかも、ツチノコ捜索本部の活動はその日だけでは終わりませんでした。少年がツチノコを目撃したことになっている牧場の付近は、その後も念入りに幾度も山狩りが繰り返されました。東にツチノコを見たという人がいれば話を聞きに行って捜索し、西に出そうな森を見ればとりあえず分け行ってみる。穏やかな繰り返しの日々が懐かしいくらい、少年はツチノコ捜索に奔走するようになっていました。嘘をついて人を笑いものにした罰が当たったに違いありません。
いえ、罰ではありません。むしろ、福音かもしれません。本部の活動に参加するうちに、少年はすっかりツチノコの虜となってしまったのです。既に少年は、ツチノコが生きがいだと言ってはばかりません。仕事の合間を縫っては、嬉々としてツチノコを探してあちらの森こちらの林に出かけて行きます。それと並行して、ツチノコが暮らしやすい環境を守るため、乱開発を食い止め、自然を保全し、共存する活動を続けます。もちろん、ツチノコを活用した地域おこしも忘れてはいません。年に一度、懸賞金をかけてツチノコを探すツチノコ祭りを催し、空家を改造してツチノコに関する伝承などを集めた資料館を整えました。
「ツチノコって、本当にいるんでしょうか?」
と、無礼な新聞記者に訊かれたときも、少年…いえ、もうすっかり年を取って老人になっていましたが、彼は全く動じることなく、澄み切った眼で答えました。
「実在します。」
こうして、少年の村はツチノコと共に末永くほどほどに栄え続けましたとさ。めでたし、めでたし。
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