*男の人は皆、裏の顔を持っている。*

2

校舎玄関の前に貼られた紙に沢山の生徒が集まっていた。学ラン姿の男子と、セーラー服姿の女子達が楽し気に談笑している声が春の風と共にわたしの元に運ばれてきた。




ガラス張りの扉の上にはそれぞれ1年、2年、3年と大きく目立つ紙が貼られていて、その下にはクラス分け発表されたものがズラリと並んでいる。




1年前にも見た光景に驚きも無くはやる気持ちも無いままに、わたしは【2年】と書かれた紙の前へと足を運んだ。




全校生徒の人数は多くも無く少なくもない学校。3学年3クラスずつ分かれていて、男女比率は男子の方が少し多い、らしい。




家から少し遠いこの学校を選んだ理由は、ーーーー中学からの知り合いと極力会いたくなかったから。




肩掛けにしていたスクールバックの紐を直しながらも人だかりが出来ている一番後ろに立ち、自分の名前をクラス分けの紙の中から見つけていく。1組には…居ない。2組には…。




「うりは2組だな。またお前と一緒かよ。つうか2年から3年って繰り上がりだから3年間一緒っつう事だよな」




ドンとその時背中に衝撃が走った。つんのめりながらも振り返ると学ラン姿の八代 昴(やしろ すばる)がわたしの背中に引っ付くように立っていた。




真っ黒く艶やかな髪は相変わらずつんつんと毛先が跳ねていて、昴の元気な性格をあらわしているような髪型だ。




指先に引っ掛けたバイクのカギをくるくると回しながらも、わたしの背中に全体重をかけてくる、重たいよ。




「うりはちっこくて見えねえだろうから仕方なく確認しといてやったわ。お礼に後で自販機で飲み物買えよな」



「ちっこく無いよ。それに頼んで無いのに、そういうのズルい」



「どこからどう見たってチビだろうが。見てやったんだからありがとうくらい言え」




昴はそう言ってからかうようにわたしの頭をぐりぐりと片手で押さえつけてきた。やめて、身長縮んじゃう。




その手を引き離そうとしていると、昴の後ろから新の姿が現れた。昴とそっくりな顔立ち、真っ黒な髪は昴とは違いマッシュっぽい髪型で新の時折見せる妖艶な表情に良く似合ってる髪型だと思う。




八代 新(やしろ あらた)、昴の双子の弟。そしてこの二人はわたしの幼馴染で昔から仲良くしてくれている親友でもある。




「新は3組か、残念だったな」




昴がひょいと背伸びして人だかりの中から新の名前を見つけると残念そうに肩をすくめて見せた。そっか、新とはクラスが離れちゃったんだ。




「どうせ隣のクラスだろ、大袈裟なんだよ」



「つれないなうちの弟は。もう少し兄貴と離れた事寂しがってくれても良いのによ」



「ばーか、せいせいするわ」




冗談交じりにそう言った新は、ついっとわたしを見下ろすと「なーにー?お前も寂しいの?」とおかしそうに笑って言う。




「寂しいよりも不安かなー」



「何が不安なんだよ」



「だって新ってすぐ授業サボるし、面倒くさいからってお昼ご飯食べないし、後沢山の…」




そう呟いていたわたしの言葉を遮るように頭上から「あらたー」と甲高い声が落ちてきた。昴があからさまに嫌そうに顔をしかめて、視線をついっと足元に落とす。




わたしも何とも言えない気持ちで苦笑する中、新はついっと顔を上げ3年階の窓から顔を出していた女の先輩達へと顔を向けた。新はとてもモテるらしい。らしいと言うのは本人からそういう話を聞いた事が無いからだ。




だけど中学生の頃くらいから、色々な女の人と遊んでいる姿を何度か目撃していた。それは高校生になってからさらに女性の数が増したように思う。




ふと視界の中に真っ赤に色づく何かが目に入り、新の首元に視線を止めるとそこには相変わらずキスマークがついていた。それも1つや2つじゃない。




「新―!おはよー。また後でねー」



「また後でってどういう意味だよ」




げんなりした様子で呟く昴の隣で、新はフっとほほ笑むと。




「お前、誰だっけ?」




と冷たい言葉を先輩達に放ち、何事も無かった様子で校舎の中へと入っていった。




新は沢山の女の人と、たぶんきっとそういう事をしているのだと思うけど、彼女は居ないらしかった。




昴から以前少しだけ聞いた話だからわたしも詳しくは無いけれど、新の首元に絶えずつくキスマークがきっとその証拠なんだと思う。




2年の校舎玄関へと先に足を進めていた新が自らの靴箱を見つけ、スニーカーを押し込んだ隣にわたしと昴も追いついた。昴は呆れたとも、少し怒っているともとれる口調でそう窘めるけど。




首元についているキスマークの隣には指先で引っ搔いたような跡もついていた。それだけじゃなく、手首には治りかけの青い痣もある。それを視線で止めていた最中だった。




「ねえ、新任の先生の噂聞いた?」




わたし達のすぐ後ろを3年階へと向かって上がっていく数人の先輩達の声が階段を反響してわたし達の元へと届いた。




上へと向かう足は止めないまま、肩越しにそっと振り返ってみると数人の女の先輩の中に学校1美人だと噂されている片桐(かたぎり)先輩の姿があった。




アッシュ色に染めたふわりと柔らかそうな髪が肩口で揺れていた。大きな瞳が不思議そうに何度か瞬きを繰り返していて、ふとわたしの視線に気づくと顔を上げてにこりと微笑んでくれる。




わたしは慌てて頭を下げて前へと向き直った。




「新任の先生って?」



「小夜(さよ)知らないの?皆すごい噂してるよ、若くて格好いい先生が来るって話」



「へえー?何の教科の先生なの?」



「そこまでは知らないんだよね。何かの教科で当たると良いなあー」




そんな話をしながらも片桐先輩達はわたし達の一つ下の階の廊下へと消えていった。




「新任の先生の話、たぶん保健室の先生なんじゃねえかって噂で聞いた」




先輩達の声が聞こえなくなり、一瞬静まり返りそうになった場を取り持つように昴がそんな事を口にする。




わたし達は連れ立って2年の階へと足を向けた。




保健室の先生って…。




「でも岡本先生居るのに」




岡本先生というのは保健室の先生で、凄く優しい女の先生だ。優しすぎるが故、少し困った事も起きているんだけど。




「たぶん岡本先生だけじゃどうしようも出来ねえから若い男の先生を呼んだんじゃね?俺も良く知らねえけど」



「そうなんだ」




互いに色々察した上、わたしも昴も新もそれ以上は何も話さないまま目的の教室へと着いた。新とは「また後でね」と言って別れ、わたしと昴は同じ教室へと足を運ぶ。




【榎本 うり】(えのもと うり)、そう右端にシールが貼られた席は廊下側の一番後ろの席だった。開きっぱなしの廊下から別のクラスの子達の談笑がハッキリと聞こえてくる。




昴はと言えば、窓際の一番後ろの席で少し離れたその場所で「後ろの席まで一緒かよ」なんて顔をしかめていた。




スクールバックを机の端にかけたところで。




「うり、また一緒のクラスだね。3年間よろしく」




1年の時から一緒だった鈴音ちゃん(すずね)が、わたしの前の席へとどっかと腰を下ろした。黒髪のショートヘアー、サバサバとしている性格で男子にも女子にも分け隔てなく接する鈴音ちゃんは1年の頃から友達が凄く多かった。




「鈴音、うりこれからよろしくねー」



「よろしくー」




鈴音ちゃんの前へとクラスの女の子達が集まってきて、わたしもその輪の中に何となくそっと加えてもらった。




話す話は色々で、先輩達が噂をしていた新任の先生が格好いいらしいという話や、担任の先生は誰になるだろうなんて話を相槌を打ちながらも聞いていた。




暫くそんな他愛ない話をしていると「はーい、そろそろ体育館に移動してくださいねー」廊下から聞き慣れた先生の声が聞こえてきた。




1年の時担任をしてくれた香坂(こうさか)先生という美人な女の人だ。言わずもがな男子から絶大な人気を得ているらしい。




「始業式の挨拶と、新任の先生紹介があるからねーすみやかに移動してくださーい」




そんな香坂先生の声に引き寄せられるように、3クラスからそれぞれ生徒が廊下へと溢れていく。わたしも同じクラスの子達の後ろに着いて、溢れかえる生徒の波に押されるようにして体育館へと移動した。




まだ少し肌寒い体育館の中、パイプ椅子がズラリと並べられていて席順にならって椅子へと腰を下ろすと、先生達が並んでいる場所に慣れない様子でそわそわと立っている数人の見慣れない人達の姿があった。たぶん、新任の先生達なんだろうと思う。




「ねえ、どの人が新任の格好いい先生?それっぽい人居ないじゃん」




鈴音ちゃんはつまらなそうに口を曲げてそう言った。わたしは苦笑しながらもちらりともう一度新任の先生達を窺ってみる。




体育館はいつもよりも大分ザワついているように思えて、たぶんきっと皆その先生の事を噂しているんだろう。




保健室に男の先生が居ると思ったら、何となくその場には行きずらいと思うのはわたしだけなんだろうか。




新任の先生がどんな人かワクワクしている皆とは裏腹にわたしはそんな事を考えていた。




新任の先生達が並ぶその場所をボンヤリと眺める。と、突然体育館に黄色い悲鳴が沸き起こった。




「え、嘘」




わたしの隣で口を曲げていた鈴音ちゃんが驚いたようにその一点を見つめてそう呟く。急ぎ足で体育館の中へとやってきた、男の人の姿があった。




黒いスーツ姿のその人は岡本先生と連れ立って、新任の先生達が並ぶその場所へと足を向けている。




茶色の柔らかそうな髪は緩いパーマがかかっていて、ふわりと揺れた前髪が黒縁の眼鏡に重なった。




その人は新任の先生達のその場所で足を止めると他の先生達と一言二言話し前へと静かに向き直っていた。




この体育館を埋め尽くす黄色い悲鳴が何一つ自分に向けられたものだなんて気づいていない様子で。




「うり、見てやばいよっ。超格好いい」



「う、うん」




興奮した様子でがくがくと隣から肩を掴まれ揺すられる。揺れる視界の中でもう一度その人を視線に止めてみると、そのタイミングを計ったように校長先生が壇上の上へと上がっていった。




新学期の少しだけ長い挨拶が始まったけれど、生徒達は誰一人その話には耳を傾けていないようだった。皆が皆、新任のあの先生の話をヒソヒソコソコソと話し合っている囁き声がわたしの元へと届く。




格好いいね、彼女居るのかな、いくつなんだろう、何の教科担当なのかな。




そんな囁き声を察してか、校長先生の挨拶はいつもよりもほんの少しだけ短く切り上げられたように思う。




新任の先生の挨拶へと流れ、そわそわとしていた生徒達が水を打ったように静まり返った。




最初に紹介されたのは少し年のいった男の人で、落ち着かない様子で視線を彷徨わせながらも短い挨拶で終わらせていた。それから数人の挨拶が続き。




「うり、来たよ」



「ほ、ほんとだね」




がくがくと揺すられながらも壇上に上がっていくあの人を視線で追う。緊張した様子はあんまり無く、マイクの前へと立つとフっと優しく微笑んで見せた。




「初めまして青井 空(あおい そら)です。養護教諭としてこの学校に来ました。皆さんの顔を早く覚えられたらと思うので、休み時間にでも是非顔を見せに来てくれると嬉しいです」




そんな言葉をかけられて、悲鳴が上がらないわけもなく体育館中に女子生徒の叫び声が響き渡った。




***



「何だっけ、あお、青井なんちゃらって奴」



「青井空だろ」



「ああ、そいつそいつ。何かすげえ女子に騒がれてたな。あんな若いうちから保健室の先生なんてやましい気持ちしか無えに決まってんのに、顔がちょっと良いとこれだから女は馬鹿なんだよ」



「とか言って、羨ましいーとか思ってんでしょ」



「っ思ってねえよ!」




駐輪場に停めてあるバイクの前で今朝の出来事を話す新と昴をボンヤリと眺めていた。体育館中に響き渡った悲鳴に、あの人は本当に少しだけ驚いたような顔をして、満更でも無さそうに最後は笑って見せていた。




きっと明日から保健室は凄い事になるんだろう。クラスの子達も明日からあの人に会いに行くんだと皆意気込んでいた。




これじゃあ、岡本先生の時とあまり変わらないというよりもむしろ状況が悪化してる気がする。




「男の嫉妬って醜いよな」



「だから嫉妬じゃねえって」



「どうだか。それより俺、そろそろバイトだから帰るわ」




バイクに跨った新が校舎時計を仰ぎ見ながらもそう呟いた声にハっとしてわたしも顔を上げた。もうこんな時間。




「わたしもバイトの時間だから帰らないと」



「送ってってやるよ」




昴も同じようにバイクに跨るとそう声をかけながらわたしを視線で呼んだ。後ろに乗るように指示されて、どうしようかと数秒考えあぐねていると。




「昴!サッカー部の練習、人数合わせで付き合っていかねー?」




丁度グラウンドへと向かっていたサッカー部の人達からそんな声がかかった。




昴が顔をしかめ、わたしとサッカー部の人達を交互に見比べる。




部活には入っていない昴だけど、人に好かれる性格だからこうして誘われる事も多く。




「わたし、一人で帰れるから大丈夫だよ?サッカー部行っておいでよ」



「…悪い。次は送る」



「ありがとう。気を付けて帰ってね。バイクで転ばないように」



「お前みてえにドジじゃねえよ。お前こそ転ぶなよ」



「わたしそんなにドジじゃなっーーー」




言っている傍から歩き出した足が小石を踏みつけてバランスを崩した。昴が「あほか」と慌てた様子でバイクから降りて、すかさず片腕を掴んでくれて転倒するのを免れる。おかしいな、こんなはずじゃなかったのに。




「気を付けろよドジっ子」




強く掴まれた腕から昴の指先が離れていく。額を最後、小馬鹿にするように小突くと昴は「じゃあな」と手を振ってサッカー部の人達の元へと駆けて行った。




その背中がグラウンドへと消えていくまで見届けると、わたしの隣を新がバイクで横切った。片手をヒラヒラと振られ、慌てて振り替えした時にはもう新の姿は車が行きかう道を右折した後だった。




その背中の後を追うように、わたしもまた歩き出す。ふと視線の隅に見えた1階の保健室の窓にあの人の姿が夕日に照らされ映し出された。




未だスーツ姿のその人は岡本先生と親しそうに何かを話している様子だった。




優しそうな笑顔、女の人ならきっと誰もが見惚れてしまうのだろう整った顔立ち。誰からも好かれそうな優しい声音。




――――――だけどそれが全て偽りだったとでも言うように崩壊していく様をわたしは知ってる。きっとあの人だってそうなんだ。




“男の人は皆、裏の顔を持っている。”




保健室の中からふいにあの人がこちらに視線を投げたような気がして慌ててその場を後にした。




振り返る勇気は無くて、ただひたすら前だけを向いて歩き続けた。

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