第10章 罪人の娘
うめと歳三は、一緒に暮らしてはいたものの、正式に所帯を持ったわけではなかった。歳三には多摩の石田村に実家があり、その辺りでは『お大尽』といわれる豪農であった。親戚も多く、末弟とはいえ、歳三が嫁取りするには、兄や親戚たちの承諾が必要だったのだ。
それは、歳三がお
突然、長屋の戸が開いた。
「ちょっと、失礼しますよ」
うめが慌てて土間に降りて出迎えると、紋付き羽織を身に着けた、日に焼けた肌の男が立っていた。後ろには、下男風の男が従っていた。
「俺は多摩石田村の、土方
男は、うめをぎろっと睨むと、ぶっきらぼうに聞いた。
「は、はい……歳三さんの、兄君さま……でいらしゃいますか?」
うめが尋ねると、男は間髪入れずに答えた。
「そうだ。早速で悪いが、あんたには、歳三と別れてもらいてぇんだ。その話をしに来た」
それを聞いたうめは愕然とした。歳三からは、
「心配することはねぇ。俺が必ず兄貴たちを説き伏せる。帰ったら、お店から暇をもらって、日野に行こう。むこうで祝言を上げるんだ」
と言われていたのだ。だが、心のどこかで、こうなることもまた、想像していたうめだった。
「……どうぞ、中へ。狭くて申し訳ありませんが……」
うめは歳三の兄、隼人とその下男を中に招き入れた。
隼人は、家の中を見回し、うめの少し膨らんだ腹に目を止めた。
「腹の子は、幾月になるんだ?」
と聞くと、うめは、
「
と答えた。隼人はちっ、と舌打ちし、
「全く、だから早く手を切れと言っとったのに。あいつは……前回の奉公先といい、ろくなことをしやしねぇ……」
と小声で言った。小声と言っても、うめにはしっかり聞こえていたが。
隼人は、紙の包みをうめの前に出して聞いた。
「あんた、武家の娘だそうだね?」
「は、はい……」
うめはかしこまって答えた。隼人は、ごほん、と咳払いをし、話しだした。
「歳三から聞いとるかもしれねぇが、俺達は、あんたと歳三のことを認めていねぇ。いくら百姓の家でも、部屋住みの弟でも、罪人の娘を嫁に迎えるわけにはいかねぇんだよ。土方の家は、先祖は北条氏に仕えた武士の家系で、親戚筋には、街道の名主を務めてる
うめは黙って、うつむいていた。
「歳三だって、奉公の後には商家の婿になることが決まっているんだ」
隼人の言葉に、うめは驚いて顔を上げた。
「なんだ、歳三から聞いてなかったのかい?この前石田村に戻ってきたときに、見合いの日取りも伝えてあったんだがねぇ……武家娘を嫁にしたって、罪人の一族じゃ、武士になれるわけでもなし、甘い考えはいい加減に捨ててもらわんと。まあ、そういうわけだから、これは手切れ金だ。これで、あんたとも、あんたが生む子供とも、土方家はいっさい関係無しということにしておくれ。わかったね」
隼人はそう言って、紙包みをさらにうめの方に押し出した。
どれだけ時間がたったのだろう。すでに隼人たちは帰ってしまい、夕暮れが近づいていた。だが、明かりをともすこともなく、うめはずっとそこに座っていた。涙が自然と流れて、紙包みの上に落ちた。
「……父上……!母上……!」
うめは、小さな頃から両親に大事にされて育った。父も母も立派な人だった。父は旗本に用人として仕え、主からも信頼されていた。剣術では心形刀流の後継者候補になる腕前であった。母はそんな父を尊敬していた。父はただ、主家の跡継ぎ騒動に巻き込まれただけなのだ……たったそれだけで、罪人と蔑まれなければならないのだろうか……一生……?
うめは悔しさに、紙包みを引き裂いた。小判がバラバラと、畳の上に散らばった。
翌日は、歳三が帰る予定の日であった。うめは自分の荷物をまとめ、大家に挨拶をしに訪れた。
「おうめさん、どこか行く宛はあるのかい?」
行く宛など、あるはずはなかった。大家は、前日に隼人から言い含められたことがあったので、うめがどうするかを知りたがった。うめは軽く微笑むと、会釈して旅立った。悲しそうな後ろ姿だと、大家は思った。
(歳三さんには、おうめさんが愛想を尽かして出ていったことにしろなんて、酷い兄さんだが、頼まれたことをするしかない……)
大家は隼人に金を渡され、歳三がうめに未練を残さぬよう、説得するように言われていた。
歳三が戻ると、大家は隼人に言われた通り、うめが歳三の結婚のことを知り、怒って出ていったと伝えた。歳三は憤慨し、その日のうちに店を辞め、長屋を引き払った。だが、石田村の実家には帰らなかった。いとこであり、義理の兄である佐藤彦五郎のもとに行ったらしいということを、うめは後になって人づてに聞いた。
うめが神奈川宿にたどり着いたのは、長屋を出て、数日後のことであった。
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