第7章 怪我の功名②

 その時、

「お、お待ち下さい!我が家の婿を連れて行かれては困ります!」

と番頭に支えられて、主人が出てきた。役人は声の方を見た。

「お前が主人だな。手代の巳之吉を密通の咎により捕える。娘も身体が回復次第、取り調べるから家から出さぬよう、心得よ」

役人はそう言うと、巳之吉に縄をかけさせた。主人が再び叫んだ。

「そ、その者は、私が認めた、娘の婿にございます!不義密通などではございません!すでに夫婦になることが決まっている者同士、少し早く赤子が宿っただけでございます。巳之吉は丁稚の頃から、真面目一途に仕事に励んできた者。この店を継ぐものとして、ふさわしいと私が決めた者です。どうか、お役人様、お咎めなきようお願いいたします!」

主人は床にひれ伏して、役人に訴えた。


 結局、役人は巳之吉を捕えることなく去った。主人が認めた婿だと言われ、相対死でもないと決まれば、捕える理由はない。

「だ、旦那様……私は……私は……」

巳之吉は何も言えず、ただ頭を土間にこすりつけて、泣いていた。

「この店の大事な孫を、父無し子にするわけにはいくまいて……それに、お前に才があるのも事実だ。これからもっと精進して、呉服問屋の主としてふさわしくなりなさい」

「は……はい。必ず、仰せのとおりにいたします……!」

巳之吉は頭を下げたまま、泣きながらそう答えた。


 「歳三、おうめもおいで」

と主人が呼んだ。歳三はうめが持ってきた着物を羽織り、声の方に行った。主人はとこに横になりながら話しだした。

「まず、礼を言わなければな。お弓を助けてくれて、ありがとう」

「いや、あの時は俺も必死だったからな……へ、へっくしょい!」

歳三がぶるっとしたので、うめは慌てて上着をかけた。濡れたままの時間が長く、風邪をひいたかもしれないとうめは心配だった。

「私は、おたなを大きくしたくて、大名家と縁のある婿養子を迎えようとしていた。そのためにおうめを武家に世話してもらうつもりだった。そのほうが、おうめの母親もよい医者にかかれると思って……我が身のことしか考えていなかったことに気付かされたよ。すまなかったね、おうめ。歳三、お前なら安心だ。おうめと一緒になって、巳之吉とお弓を助けておくれ」

主人にそう言われて、このとき歳三は、言葉に詰まった。一生、呉服屋で働く気などなかったからだ。だが、この状況ではそう言うわけにはいかない。

「あ、ああ」

と曖昧な返事をした。

「おうめも頼むよ」

主人はうめのほうを見て言った。

「はい」

とうめは返事をした。


 数日後、うめが店の裏手を掃除していると、下村が現れた。

「主人から詫び状が来たぞ。娘の婿養子が決まったそうだな」

と無表情に言った。うめが顔を上げると、

「娘ばかりか、奉公人ひとり自由に扱えんとは、この店も先が見えているな。御用達など最初から無理な話なのだ」

と言い捨てた。

「そんな……旦那様は、お優しい方なのです!お嬢様のお幸せを思ってのことです!」

うめは反論し、キッと下村を睨んだ。下村はうめのこの目が苦手な様子で、思わず目をそらし、チッと舌打ちした。

「お前も、あの男と祝言をあげるそうだな」

「え?」

「とし……何とかといったか」

「歳三さんです……祝言なんて、先の話です。あちらにはご家族やご親類が多くいらっしゃるし、私のことをわかってもらうまでは、まだ……」

そう答えたうめの表情は、少し暗かった。

「……血の繋がりや、一族のしがらみなど、鬱陶しいだけだ。男は自分の器量と才覚だけで生きていけばよいのだ。そんなものを気にしているようでは、その男、大した器ではないな。考え直したほうが良いのではないか?」

と下村は言った。

「そんな風におっしゃらないでください。人にはそれぞれの生き方があります。私は今、幸せなんです。それで十分」

とうめは言った。これから歳三といっしょに暮らすのだ。うめはそれで満足していた。


 下村はそれ以上聞かずに、

「欲のない女だ……俺は国元に戻る。せいぜい、惚れた男と今の幸せを楽しむことだ。人間、先のことはわからぬからな」

と言うとその場を去った。今度は一度も振り返らずに、通りの人混みに消えた。


 下村がいなくなったあとで、女中頭がやってきて、うめに噂話をした。

「おうめちゃん、あの時いらしていた水戸様のご家来、なんだかお役御免になったそうだよ」

「えっ?先ほど、お国元に帰られるとおっしゃってましたが……」

うめは女中頭に、下村が来た話をした。

「水戸の殿様は、将軍様のお姫様との縁談が決まって、まだ江戸にいらっしゃるって話だよ。どうやら、旦那様が出したお詫びの額が、あちらの御用人様にはご不満だったらしくてさ……詫び代わりにあんたを差し出せと言われたらしいよ。それをあのご家来がとりなしてくださって、その結果、お役を取り上げられたんだってさ」

女中頭の話を聞き、うめは愕然とした。

(下村様はわたしを庇ってくださったのだ……それなのに私は、なんて恩知らずな……)

「どうしたんだい、おうめちゃん?」

「わたし……あの方に謝らなければ……そんなこととは知らず、失礼なことを言ってしまって……私のせいでお役御免になったのなら……どうしたらいいでしょうか?」

女中頭はうめのそんな様子に少し呆れながら、

「まったく……あんたは素直な娘だねぇ。元々は、あんたに礼に来ただけのお武家様に、旦那様が軽々しく取り入ろうとなんかしたからだろう?旦那様もこれで御大層な夢はあきらめてくれるだろうさ。巳之吉は真面目で堅実な男だから、きっとお店も盛り返すよ。ちょっと気は弱いけどね」

と言った。

「でも……」

うめがまだ、心配そうな顔をしているので、

「あんたのことだから、話の中身を知ったら自分から進んで水戸様のお屋敷に駆け込んで行きそうだよ。だから、あのお侍も、あんたを助けたんだろうね。何もおっしゃらなかったのなら、それがあの方の気持なんだから、受け取ってあげるのがいいんだよ。あんたは、歳三といっしょに、これからはお嬢様をお助けしなくちゃね」

女中頭は、わざと元気な声を出してうめの肩をポンポン、と叩いた。うめは

「そうですね……」

と呟いたが、肩を落としたような、寂しそうな下村の後ろ姿が、頭から離れなかった。

(必ず藩を動かす側になる、と言ってらっしゃったあの方の目はきらきらとしていたのに……私のせいで……)

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