第17話

 キリカが復帰したのはちょうど三日経ってからだった。


「もっとゆっくりしていてもいいのに」


 発情期が終わってすぐのオメガは時折身体が火照ることがあるので、仕事をしている人でも一週間くらい休むほうがいいと発情を初めて終えた時にローレルに言われたことを思い出した。


「私はあまり余韻がないので大丈夫ですよ。それにアズが後任なので心配で……。大丈夫でしたか?」


 キリカの心配は杞憂とは言いきれなかった。


「いや、まぁ大したことじゃないよ」


 飲み物を間違えるのは普通のことで、飲み物を零したりエロ寝間着をレフィに着せたりしたくらいだ。間違えた飲み物がお酒でレフィが酔っ払ったり、エロ寝間着を着ていると気づかずローレルを迎えて盛られたりしたくらいで。たった三日で色々やらかしてくれたが、どれも些細といえば些細なことだ。

 細いため息が長かったせいか、キリカは察してくれたようだ。


「あの人はちょっと……そういう人なんです。害意はないです」

「確かに無邪気だ」


『ハゲそうだ……』か『吐きそうだ……』かわからない言葉が扉のところで立っているシードから何度か発せられて何度もレフィは笑わされた。


「一度死にかけてるんですけどね」

「おっちょこちょいで?」

「ププッ、そんなので死にたくないですね。攫われて、色々あったみたいです」

「アズも?」

「ええ、この国はオメガにとって辛い国でした。きっとそのうち住みやすくなります」


 キリカの声は明るい。オメガが日の目を見る時代がくるなんて、誰が思っただろう。


「……皆が幸せになれるといい」


 レフィは兄エルネストを心から尊敬できて嬉しかった。

「私も……あなたが納得してローレル様の番でいるほうがいいと思います」

「納得できるかな?」


 攫われてきたことを許し、解放してもらえないこと、自由がないことを諦められるとは思えなかった。


「ええ、アズが解任されていないということはあなたは優しい人です。無茶も言わないし、暴力だって振るわない。人を攻撃するのに目が見えなくてもいくらでも方法はあります。物を投げるとか、延々と愚痴を言うとか」

「そんなことをしても解決しないし、自分が困るだけじゃないか」

「そうやって考えることができる人です」


 キリカは真面目に言っているが、レフィには当たり前のことにしか思えなかった。


「ローレル様は臆病です。あんなに強くて誰よりも立派な方なのに、フィオ様に嫌われることを恐れている」

「ローレルは……許されたいとは思っていないと言っていた。それは嫌われても平気だってことじゃないのか?」


 レフィを愛しているという言葉は嘘じゃないと思うけれど、壁があるように感じる。

 目が見えなくなったことでレフィの感覚は前よりも研ぎ澄まされている。


「本当のことを言って嫌われるのが怖いのですよ。気持ちはわかります。でも私は、あなたが許す人だと思えるから……」

「本当のことって……何? ローレルがたまに匂いが違うこと? いつもはダフネの香りなのに、ローレル(月桂樹)の香りを時折感じる。薬の匂いかとも思ったけれど怪我をしている様子も見えない。それにシードからも僅かに同じ香りがしていた」


 キリカが息を飲んだことで、レフィは自分の嗅覚が間違っていないと思った。


「……ローレルとシードがそういう関係だとか言わないよね?」


 恐る恐る聞いてみる。同性のアルファ同士でもないわけじゃないから聞いてみた。


「っ! そんなわけがないでしょう!」


 キリカの焦った声が杞憂だと教えてくれた。


「よかった」

「よかったんですか? せいせいしたのにとは言わないんですね」


 漏れた本音にキリカは笑いながら突っ込んでくる。


「キリカは意地悪だな……」


 レフィだってわかっている。ローレルは番としては申し分ない男だ。レフィのことを心から愛しているのは嘘じゃないだろう。そして、レフィがもう身体だけでなく、ローレルのことを信じたいと思っていることもキリカにはわかっているのだろう。


「それほどでもありませんよ」


 褒められたようにキリカが応じる。


「納得するためにどうしたらいいと思う?」

「神殿にお連れします。やっと最近になって周囲が落ち着いてきました。今ならあなたを神殿に帰しても危なくないでしょう。神殿、で、いいのですよね?」


 確認するようにキリカが訊ねた。

 本当ならエルネストを訪ねるべきだとわかっている。けれど、未だにエルネストがレフィを覚えていると信じることができなかった。


「ああ、神殿で友達に会えたら、それでいい」


 エルネストが迎えに来るなら、きっともっと前に来ている。


「わかりました」

「でも、そんなことをしたら……キリカが怒られるんじゃないか?」

「怒られる……でしょうね。でも、これは私が決めたことです」


 キリカの声は真摯で、まるで願いを込めているように感じた。

 レフィのためだけじゃないのかもしれない。


「いつ行くの?」

「今日です。朝から罪人達の処刑が執行されているので、外の護衛が手薄なんです。他の日だと、容易にぬけだせませんから」

「罪人達の処刑?」

「ええ、オメガを人身売買にかけ、陛下の命令に背いた者達の最後の日です」

「それで護衛が手薄になるの? ローレルはやっぱり王城関係の仕事をしてるんだな」


 そうでなければ関係がないはずだとレフィは胸を張った。


「ローレル様は……」


 キリカは口を滑らせたことに気付いて、口ごもった。


「どうやって行く? 目が見えないけど、大丈夫かな?」


 敢えて追求せずにレフィは訊ねた。


「本当にあなたは……。大丈夫です。いつもと一緒。私の横を歩いて下さい」


 散策するときに最初は手を引いてもらっていたけれど、今は隣を歩いていれば手をひかれなくても怖くなくなった。キリカの気配はわかる。


「すぐに帰ってくるから手紙はいらないか。自分で書けないけど」

「いえ、私が書きます。すぐに帰ってきますでよろしいですか?」

「ああ、心配しないでって書いといてくれ。あいつ心配症だからな」


 書いても心配するだろうけど、ローレルが帰ってくるまでに帰ってくるつもりだ。


「あの方が心配するのはフィオ様のことだけですけどね」


 頬が熱くなったのを隠すようにレフィは俯いた。

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