第15話

「アズと申します、レフィオレ様。フィオ様とお呼びするように言われております」


 選ばれて急いでやってきたのだろう。シャンシャンとキリカとは違う音色の鈴をつけた男の子が小走りでやってきた。オメガにしても高い変声期前といっても頷ける声だった。気配からして青年と言うより少年のようにレフィは感じた。


「はい、フィオと呼んでください。アズと……もう一人。誰?」


 レフィは目が見えなくなってから、人の気配に敏感になった。それに気付いたのは初めてだったけれど、アズの後ろにアルファの気配があった。


「よくわかりましたね。護衛のシードと申します」


 ローレルくらいの年の男だ。


「アズはオメガでシードはアルファ?」

「はい。キリカと違ってアズは護衛ができません。私は扉の前で黙って立っているだけなのでご挨拶は不要かと思っておりました。不快に感じたのなら謝罪いたします」


 ローレルがここに入れるものは厳選しているらしいのでシードも信頼していいのだろう。


「キリカは護衛も兼ねていたの?」


 細い割に力があるとは思っていたけれど、オメガに護衛の仕事というのは珍しい。 疑問はシードが察して答えてくれた。


「キリカは二次性徴が遅かったのです。仕事を始めて二年目にオメガだとわかって、その後はベータと偽っていました。オメガの人権が保障された今なら元の仕事に戻れるのですけどね」


 レフィは瞳を瞬いた。一瞬シードが何を言っているのかわからなかった。


「オメガの人権が保障された? そんなこと無理だ」


 レフィにしてみれば、太陽の上がる位置が反対になったほどの衝撃だった。


「いえ、前王がお亡くなりになった時に即位された新国王が発布されました。国全体に浸透するには時間が掛かるでしょうけど、発令後もオメガの人身売買をしていた貴族や富豪は軒並みしょっ引かれてます」


 たった三ヶ月ほどのことだ。そんな短期間で世の中が変わっていることを知ってレフィは驚愕した。しかもそれを成したのは、兄のエルネストなのだ。


「それじゃあ、俺も、……目が見えていたら仕事ができるのか? それにオメガに人権があるのなら、ここから出ることだって……」


 指先が震えた。無駄だと思いながら勉強を続けていたのは、エルネストを支えたかったからだ。貴族や既得権益を守ろうとするものたちの反発が大きいことはレフィでもわかった。今、こんな時だからこそ、支えたいと思うのに。


「……目が見えていたら、そうですね。まだ不安定ではありますが、もう二、三年もしたらオメガということで仕事を奪われたり、身体を奪われたりすることはなくなるでしょう。……ここから出たいのですか?」

「そ、それは……出ていくとかそういう……」


 一瞬、頭にローレルが過った。顔もわからないというのにしょんぼりした彼の姿を思い浮かべて、レフィは言葉を濁した。 


「フィオ様、あなたがここから出て行かれたら、へ……」

「アズ!」


 シードの声でアズがビクッとしたのがわかった。レフィも久々に聞いた鋭い声に心臓がひっくり返るかと思った。頭に怪我をしてから暴力に身体が怯えてしまうようになってしまったようだ。


「へ……へ、変になってしまいますよ」


 意味がわからないが、アズが必死なのはわかった。


「ローレルが?」

「はい。あの方はフィオ様がいなくなったら変になって、皆が困ってしまいます」

「アズ、お喋りはそれくらいにしなさい」


 ため息をついて、シードが命じた。


「申し訳ありません。フィオ様、お食事の仕方はキリカに習っております」


 そう言ってアズは自信満々で世話をしてくれた。頑張っているのがわかるからレフィは何も言わなかったが、早くキリカが帰ってこないと大変なことになりそうだと思った。


「私がお世話をしたほうがマシだと思うのですが、ローレル様が嫌がるのでしばらく耐えてもらえますか? あなたを任せられる人材がいなくて……」


 シードはそう言って、アズが零したお茶を拭いた。扉の前の護衛はできそうにない。


「シード様、それは私がします」

「アズ、そこは口じゃないぞ」


 シードに意識を移したアズが、レフィの頬にリンゴを押しつけてくる。リンゴだとわかったのは匂いのせいだ。


「あ、あれ?」

「アズ、フィオ様に集中しなさい。フィオ様に怪我をさせたら、お前の首が飛びそうで、私はおちおちトイレにもいけないぞ」


 笑いながら本音を漏らしたシードは拭いた布を持って立ち上がった。


「シード、あんたの身体から……ローレル(月桂樹)の葉の匂いがする」

「そんなことはありませんよ。私の香水はフレグラントオリーブです。なぁ、アズ?」

「はい、秋に咲くトゲトゲの木と一緒なのです」


 誇らしげに笑った気配を感じて、二人が番なのだと思った。

 オメガは匂いを纏わない。それは自分のフェロモンがあるからだ。アルファの男は番った後、オメガのフェロモンと同じ匂いを纏う。

 ローレルの匂いはダフネ、自分自身ではわからないがレフィのフェロモンと似た香りがするのだろう。なのに時折ローレル(月桂樹)の葉の匂いがするのは、レフィの他に囲っているオメガがいるからだと思っていた。けれど、シードはアルファだ。シードの番であるアズは、ギザギザの葉の花の香りだというならあの香りはどこでうつってくるのだろう。

 何故ローレルはダフネ以外の香りを纏うのだろう。そして、誤魔化してはいるけれど、目の見えないレフィには確かにシードからローレル(月桂樹)の葉の香りを感じていた。 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る