第10話
「あの人、足音しないから怖いんだよ」
「レフィ様は突然視力を失われたと聞きましたから余計ですね。ローレル様の指示で鈴をつけておりますが、音が気になるようなら違う音色のものもありますからおっしゃってください」
「ありがとう」
無言の中にキリカの疑問が見えて、レフィは首を傾げた。
「キリカ?」
「失礼ながらもっと横暴な人だと思っていました。ありがとうなんて、おっしゃるとは思っていなかったので。いえ、失礼なことを申しました」
キリカは正直な人間なのだろう。貴族につかえる使用人らしからぬ失言だ。
「……ローレルがそう言ったのか?」
「いえ、ローレル様はフィオ様を気遣われていただけでそのようなことは……。ローレル様に対してのフィオ様のご様子をみて……」
さっきの会話のせいだとレフィは納得した。
「そうか、そうだな。俺の態度、酷いよな。でも買われて無理矢理番にされて、そんな相手のことを好きになれるか?」
「……ローレル様がそんな――」
キリカは驚いたように言葉を濁した。
「違うって言うなら、俺を元の場所に返してくれ……。俺は待っている人がいたんだ……」
クッションにもたれて、レフィは見えない天井を見上げた。瞼の奥には優しい微笑みを浮かべた兄の姿が焼き付いている。
「私にはどうすることもできません。すみません、口出ししてしまって……。でも、フィオ様は恵まれていますよ」
好きな相手と番えず、こんなところに閉じ込められてどこがいいのかとレフィは皮肉っぽく嗤った。
「ローレルが相手だからか?」
「いえ、オメガは奴隷みたいな扱いが多いですから。そうやって理不尽だと怒れるってことは、フィオ様は恵まれていたんだなと思って……」
確かにそうだとレフィも思った。オメガの神殿に逃げ込んできた人たちの中にはもう訴える気力もないような人が多かった。
「キリカも結構言うじゃないか。俺がローレルにあんたのことが嫌だっていったら困るんじゃないのか? 思ったことをそのまま言うあんたみたいな人、嫌いじゃないけどな」
「フィオ様も変わっていますね」
クスッと笑いながら、キリカはレフィの首元を整えた。
「俺はずっといい子で生きてきた。失望されないようにと怯えてた。追い出されたら大事な人との糸が切れると知っていたから。でも糸は切れてしまった。もう戻れない。こんな痕をつけられた自分が許せない」
襟元を握って、レフィは嘆いた。
「つけたローレル様を許せないのですか?」
「……わからない。迎えに来てくれなかったから、あの人にはもう番がいるんだろうなって思ってる。運命の相手だと俺の世話をしてくれていた人は言っていた。でも多分、違ったんだ」
それでもレフィはエルネストが来るまでずっと待っていただろう。
「ローレル様は、フィオ様を『運命の番』だと信じています」
「そうなんだ。なら本当にあの人とは……結ばれない運命だったんだな」
諦められないながらも、レフィは事実を飲み込んだ。別に番でなくてもいい。文官としてあの人を支えたいと真摯に願って努力してきたことは無駄に終わったのだ。
「フィオ様……」
「そう言えば、ローレルは何の仕事をしてるの?」
キリカは気遣いながら一度整えた寝間着を脱がせ、他の服を着せていった。
ローレルのことを知らなければ自分の立ち位置も確認できないと思ってレフィは訊ねた。
「ローレル様ですか? ご本人にお聞きください」
「キリカ?」
「フィオ様とローレル様はもっと話をしたほうがいいように思われます。どうしてもとご命令されるなら……」
ローレルから話すなと言われているのだろう。キリカを困らせたいわけではない。知っても知らなくてもどうせ逃げる事はできないのだ。
「いや、いい。ローレルのことを知りたいわけじゃない。今の状況がどういったものなのか知りたいだけだ」
本心でもあったけれど、強がりでもあった。レフィは今の自分の状況を不満に思っているが、番がいるということに安心している一面もあった。
「できるだけ食べやすいものを用意いたしましたが、私が口元に運びましょうか?」
「ははっ、子供みたいだな。どういったものか教えてから手に持たせてくれ。まだ見えないことに慣れていないんだ。キリカが目をつぶって食事をするのと変わらないと思う」
「わかりました。まずはスープを。甘いカボチャのポタージュです。少し温めにしております。カップに入っています」
「ありがとう」
両手を差し出せば、キリカはスープの入ったカップを握らせてくれた。
「ゆっくりお食事なさってください。発情明けはお腹が空きますからね」
発情の間はほとんど食事をとらなくても問題がないという。オメガの発情に必要な事は交わることと眠ることだけ。
視界は戻らなかったが原因となった傷跡は痛くないし傷跡はレフィが触ってもわからなくなっていた。
キリカの手を借りながら、レフィはゆっくりと食事をとった。食べやすく、好きなものが沢山あってレフィはお腹一杯になるまで食べた。
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