take a breath like the snow

第6話 不和

 年が明けてからは、あっという間だった。短い冬休みを終えてすぐ、僕たち三年生は、最後の学力診断テストを受けた。基本的に志望校変更の最後のチャンスは、このテスト結果に依存することになる。点数の維持に辛くも成功した僕は、予定通り西高を受けることが確定した。


 1月の中旬には、私立入試もあった。滑り止めとはいえ、はじめての受験にかなり緊張してしまったけど……先日、無事に合格を知らされた。



 「交点の座標は……(4,7)か」


 2月に突入し、本命の県立入試まで一カ月を切った。迫り来るプレッシャーの中、僕は自分の部屋で勉強に取り組んでいた。ごうごうという暖房の排気音と、しゃっしゃっとノートにペンを走らせる音が、室内を満たしていた。集中して勉強したい時は、やっぱり夜に限る―


 「秋久ぁー、ちょっと入るよぉー」


 突如として静寂が打ち破られた。座ったまま振り返ると、はる姉が扉を開けて立っていた。その手には、二つのマグカップがあった。


 「ココア入れたけど、飲むでしょ?」


 遠慮なく足を踏み入れたはる姉が、僕の机にカップを置いた。ほんわりと立ち昇る湯気からは、カカオの香りがした。


 「ん、ありがと」


 軽くお礼を言ってから、ココアを口に含んだ。口内に広がる熱と甘み。こくんと飲み込むと、体の内側から温まるのが分かった。


 「うわ、二次関数」


 自分の分のココアを啜りながら、はる姉が僕のノートを覗き込んだ。


 「うん。正直一番嫌い」

 「これ、高校あがってからも出てくるから、解けるようにしときなよ」


 はる姉の言葉に、僕は「げっ」と声を漏らした。マジかよ…高校生になってからもコイツと顔合わせるのかよ……


 「あはは。でもまあ、見た感じ理解はしてるね。難しめの問題も解けてるし」


 はる姉が満足そうに頷きを繰り返した。


 「まあ、好き嫌いと実際に出来るかは別だからね」

 「なにを偉そうに~!」


 僕が得意げに胸を張ると、はる姉が頭をグリグリやってきた。


 「いてててて!やめろっ!受験生の大事な頭に……」

 「こうやってほぐしてあげてるんだよ。柔軟な発想は大切だからね」


 ひとしきり僕をいたぶった後「じゃ、頑張ってね」と言って、はる姉は自分の部屋に帰っていった。……鬼姉め、いつか絶対やり返してやる。


 思わぬ横槍が入り、さっきまでの集中が切れてしまった。僕はふと、部屋の隅に目を向ける。本や昔の玩具おもちゃなどが乱雑に突っ込まれた棚。その棚に寄りかかるようにして、リボンで結ばれた大きめの袋が置いてあった。


 綺麗にラッピングされたその中身は、毛糸のマフラーだった。イブの夜、宮村に渡すはずだった、プレゼント。


 「………っ」


 僕の胸に、鋭い痛みが走る。僕なりに一生懸命選んだプレゼントは、受け取ってもらうことすら叶わなかった。宮村の白くて小さな手に押し返され、誰の首に巻かれることもなく、袋の中で眠ったままだ。

 

 「宮村……」


 気付けば、その名前を口にしていた。宮村とは、イブ以降会ってない。学校で姿を見かけることはあっても、前のように並んで登下校をすることは、すっかりなくなってしまった。


 カチャン。僕の手から、ペンがこぼれ落ちた。見ると、指先が震えていた。寒さでかじかんだ―いや、そんなわけはない。部屋の中は、暖房による暖かな空気で満ち満ちている。



 僕の両目に、熱い雫が滲みはじめた。机にこぼれ落ちる寸前で、なんとかそれを、

瞼の奥に引っ込める。そうして床に転がったペンを拾って、僕は再び机と向き合った。



 ―入試本番まで、あと一カ月。感傷に浸る時間は、なかった。


 *


 「近頃、インフルエンザが流行っている。この学年でも感染した生徒が出ているので、手洗いうがいを忘れないように。今が一番大事な時期だからな」


 朝のホームルームで、平尾がそんなことを告げた。教室内に小さなどよめきが起こる。いつも適当に聞き流してる僕でさえ、心臓がドキリと揺れ動いた。


 インフルエンザ……そんなもので、これまでの頑張りをメチャクチャにされたら、本気で洒落にならない。僕は心の中で、感染予防の徹底を誓った。



 「1組で欠席が多いらしいぜ」


 授業の合間の休憩時間。航が放った言葉に、僕はまたしても、ドキリとさせられた。


 ……1組は、宮村の在籍しているクラスだった。


 気付けば、僕は自分の教室を出ていた。肌寒い廊下を突き進む。そういえば、昨日今日と、宮村の姿を一度も目にしていなかった。悪い予感を飲み下して、僕は窓の外から、1組の様子を覗いた。


 ……宮村の席には、誰も座っていなかった。


 それを確認した瞬間。嫌な想像が、脳内を一気に駆け巡った。


 「ねえ、ちょっといい?」

 「え?」


 扉のそばにいた男子に声を掛けた。怪訝な顔で見られたが、僕は構わず尋ねた。


 「宮村って、休み?」


 僕の質問に、男子は最初きょとんとした様子だった。軽いタイムラグの後、「あー!宮村って、あの宮村ね」と言われた。その反応に、僕は少し眉をひそめる。


 「アイツなら、昨日から休みだよ。多分インフルじゃね?」


 ―予感が当たってしまった。僕は適当にお礼を言って、とぼとぼと1組を離れた。


 「何やってんだあいつ……」


 僕はぎりぎりと奥歯を噛み締めた。この一番大事な時期に、よりによってインフルエンザだなんて。もちろん、体調管理は本人の問題だけど、それはあまりにも不憫だった。しかも宮村の場合、東京まで受験しに行くのだ。たった一人で戦うことの心許なさを埋められるのは、それこそ勉強しかないだろうに。高熱でも出していたら、勉強なんて手につくはずがない。


 「――いや…」


 待てよ。別にまだ、宮村がインフルエンザにかかったと決まったわけじゃない。季節柄、単に体調を崩しただけの可能性もある。だとすれば、いや、だとしなくても―


 ぜひ、宮村のお見舞いに行きたい。


 そう、思ってしまう僕だった。


 *


 放課後。僕は、とあるアパートを訪れていた。北向きに建っているせいか日当たりが悪く、全体的に陰惨な雰囲気を漂わせていた。軋む階段を昇って、僕は、二階の角部屋のインターフォンを鳴らした。


 誰も出てくる気配はなく、二度目のインターフォンを鳴らそうと指をかざした時。


 「はーい………って、なんでアンタが……」


 扉が開いた。中から出てきたのは、苦しそうに頬を上気させた宮村だった。


 「いや、ちょっとお見舞いに……」

 「帰れ。今すぐ帰れ。なんなら土に還れ」


 宮村が扉を閉めようとする。僕は自分の靴の先を扉の間に滑り込ませ、閉め出されるのを防いだ。


 「くっ……あんたはN〇Kの集金か……」

 「何わけわかんないこと言ってんだよ!熱で頭がイカれたのか!?」


 と、僕が叫んだ時だった。ふっ、と扉が軽くなったと思ったら、宮村がその場に屈みこんでいた。背中を丸め、ぜえぜえと苦し気な呼吸を繰り返していた。


 「宮村!大丈夫!?」


 僕は扉を開け放って、玄関に入り込んだ。パジャマ姿の宮村の背中に手を置く。


 「さわ……るな…近づくと……結城にもうつる……」


 うめくように言って、宮村が僕の手を払いのけた。強がってはいるが、明らかに体は衰弱し切っていた。


 「インフル、かかっちゃったのか?」

 「ちがう……病院で検査したけど……風邪をこじらせただけって……」


 言葉を途切らせながらも、宮村はハッキリと否定した。最悪の想定が外れ、僕は思わず、安心しそうになる。だけど、今、僕の視界に映る宮村は、かなり危険な容態だった。


 「でも…あんたにまでうつったらヤバイから…早く帰って」

 「お母さん、仕事なんだろ?誰がお前の看病するんだよ」


 僕の言葉に、宮村がキッと目つきを変えた。熱で頬が赤らんでいるのもあって、その顔は本気で怒っているように見えた。


 「なんであんたに、私が看病されなきゃなんないのよ……!」


 確かな怒りが滲んだ声に、僕は一瞬たじろいだ。その隙を突くように、宮村は僕の体を押して、扉の外に追いやった。


 「宮村……」

 「とにかく、私は大丈夫だから!もう来ないでよ!」


 ばたん、と大きな音がした。宮村は、分厚い鉄扉てっぴの向こうに消え去った。放心状態に陥ってしまった僕は、しばらくその場から動くことができなかった。

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