ゲイ・パレード、前倒し開催へ

 新宿で発生した反「同性婚」デモに巻き込まれた都内大学生が暴行を受け死亡したことを受けて、東京ゲイ・パレード開催委員会は五月に開催予定だったデモを急遽、デモから一ヶ月後の四月十二日に前倒し開催することを決定した。開催委員長の橋本和孝氏は「まことに痛ましい事件が発生し、私たちは大変心を悼めています。パレードの開催を中止すべきでは無いかとの意見もいただきましたが、今回このような決定をさせていただきました。彼に対しての私たちらしい追悼とは何かというのを考えた結果です」

 パレードは新宿を出発し高田馬場までを往復する予定。

——三月十九日××新聞 二面より


          *


 集合場所である新宿中央公園は、既に多くの人が集まっていた。光は少し遅れてしまって、小走りで約束の場所へ向かった。

 光がパレードに参加するのは五回目だった。通行人として二度見物し、仕事を始めてから三回参加したが、今年は今までには無い、独特の緊張感が漂っていた。

「こっち、こっち」

 既に衣装に着替えたダイチが、ひらひらと手を振って光を呼ぶ。

「久しぶりい」

 ダイチは言いながら、今日の衣装を光に手渡した。今日のテーマは祭り装束で、普段に比べると露出は控えめだった。ダイチは光に言った。

「やっぱり今年は空気が違うかも。参加者もいつもより少ないかな」

 光は着てきたセーターを脱ぎ、裸になると腹掛けを着た。光のことを指差している人間もいる。ダイチはそういった声援全てににこにこと笑って手を振り返していた。光はそれを意に介さず、周囲を見回した。確かに人は少ないようだった。しかし、

「マスコミは逆に、倍くらいいそうだけど」

 野暮ったいポロシャツを着て古びたジーンズを履き、所在無げに肩からカメラをぶら下げている人の姿が目についた。

「また色々書かれるんだろうねえ、不謹慎とかなんとか」

「今日の衣装だって、結構ばたついてたでしょ」

「そうなんだよねえ、本当はもっと色も派手で、露出も強い格好になる予定だったんだけど」

 ダイチは一拍間を置いた。

「ああいうことがあったからねえ」

 光がベルトに手をかけると、周囲の視線を遮るような位置にダイチは移動した。光は素早くズボンを脱ぎ、股引を履いた。大きな鞄に脱ぎ終わった衣服を仕舞っていると、あー、あー、という声が、マイクのノイズとともに聞こえた。もしもし、もしもしと言っている。音量が調節されて、会場に大きく響いた。

「こんにちは。私、開催委員長の橋本です」

 ぱらぱらとまばらな拍手が起こる。マスコミは拍手はせず、用意していたカメラを委員長に向けている。無機質なシャッターの音が会場に響いた。

「今年は例年になく取材の依頼を多くいただいています。ありがとうございます。色々なご意見があるとは思いますが、まず多くの場所でこういった行いが取り上げられ、それについて議論がなされることは、私はとても良いことだと思っています」

 ビデオカメラを肩に背負った大柄な男が、一度体を縦に揺らしてカメラの位置を調節した。そのカメラマンのチノパンに浮かぶ大きな尻を、じっと見つめている男がいた。

 委員長は見ていた紙をポケットにしまった。

「まず我々に関する非常に大きなトピックとして、同性婚という話が持ち上がりました。今まで外国では積極的に議論され、一部の国では導入されてきましたが、この国では、同性婚のどの字もあがらないような情況が続いてきました。同性愛者は無いものとされるか、テレビで笑い者にされるかだったのです。そんな中、急に政府によって同性婚が成立させられそうだということになって、私も非常に驚いているところです。これはあくまで私個人の考えですが、政府には可決を急がずに、もっとゆっくりと議論をして欲しいと思っています(一部から溜息が漏れる、首を振る人の姿が見える)。勿論いろいろな意見があることを、私は知っています。これをどれだけ待ち望んだかと思っている人も、勿論いるでしょう。あと残りわずかな人生となって、それを生涯のパートナーと、婚姻という関係で結ばれた上で送りたいと思っている人もいるでしょう。ですが、私たちに今一番必要なことは、一つの問題について、じっくりと腰を据えて議論をすることではないかと思います(拍手が聞こえる。委員長はそこで、しばらくの間を置いた)。非常に、痛ましい事件が起こりました。同性婚に反対するデモが暴動に発展し、一人の未来ある若者の命が奪われました。私たちは、被害に遭われた青年に、心からの冥福を祈っています。私たちがしなければならないことは、ただ一つです。彼の死を無駄にしないこと、それだけです。しかしそれが、例えば再び暴力でなされるようなことは、決してあってはなりません。繰り返しますが、私たちに本当に必要なことは、ただ議論をすることなのです。今回このような形で開催を決めたことに関して、彼の死を利用しているというような、彼の死を悼む気はないのかという多くの批判をいただきました。我々も開催を延期するべきかと、とても迷いました。しかし我々は、あの日から一ヶ月という節目の日に、開催を早めることを決めました。私たちが確認し合ったのは、それが私たちなりのやり方なのだということです(委員長、会場を見回す)。今日も多くの方々が、思い思いの格好でパレードに参加してくれようとしています。おそらくそれについても、これから多くのところで批判があるだろうと思います。しかし私たちは、出来る限り今まで通りにパレードを開催しなければなりません。勿論今日、喪服で参加してくださっている方々もいます。それも素晴らしい、一つのやり方です。ただここで私が言いたいのは、死者をどう弔うかということにも、人それぞれのやり方があるということです。死者の前に沈黙し涙を流すことだけが、喪に服すということでは無いのです。私たちは私たちなりにやればいいのです。それを申し訳ないと思う必要は無いと、私は信じています。そしてできればそれを、彼にも理解して欲しいと祈っています。随分と長いスピーチになってしまいました。それでは今日のパレードが、滞り無く進行し素晴らしいものとなりますように」

 委員長は、一歩下がって深く頭を下げた。数秒頭をさげた後、顔をあげてもう一度周囲を見回して、退場した。間歇的に拍手が湧き、やがて会場を埋め尽くした。


 パレードの出発する時刻になった。光は車の後ろに設置された大きなステージに上がった。洋楽が流れ始め、それと不釣り合いな太鼓が、大きな音で打ち鳴らされる。太鼓を叩いているのは素人では無く、幼少期から習っている人間だということだった。8ビートに合わせて叩くことには慣れていないのだろう、最初はいくらかテンポがずれてしまっていたが、車が動きだすころにはリズムと完全に同期されていた。

 パレードは新宿中央公園を出発すると、東京都庁の前を通り、新宿駅の脇を抜け新宿二丁目へと向かった。光の記憶では、今までのパレードでは、昼間の人通りのほとんど無い二丁目を通るルートを採用したことは無かった。

 やがて画材屋の世界堂の隣を抜けると、見慣れた街がそこにあった。

 昼の街はすっかり静まり返って、深いまどろみの底に落ちている。

 そこへ、華々しいパレードの列がぞろぞろと連なって行く。パレードは狭い路地裏へ入ることはできなかったので、事件の起きた現場には直接辿り着くことはできなかった。しかし、大通りには既に多くの花が手向けられていた。

 献花台の横に二人の、その夜の街におよそそぐわない一組の夫婦が立っていた。妻はコートの胸の部分を皺がとれなくなるほど強く握り、夫はその隣に立って妻の肩に手を回している。

 先頭を歩き、予め花を準備した喪服に身を包んだ数人が白い紙に包まれた花をそこに置き、立ち止まって頭を下げて手を合わせた。夫婦も、顔に複雑な皺を寄せてから、静かに長く礼をした。

 パレードはそのまま進行し、やがて一人、目の回りに紫色のアイシャドウを囲うように塗り、青い色の口紅をつけ、リオデジャネイロのカーニバルのような服装をしたドラァグクイーンが、極彩色の花ばかりを集めた花束を流れる曲に合わせて振りながら現れた。

 そのとき彼と、妻の目があった。妻は彼(もしくは彼女)の瞳の中に沈殿した深い悲しみを見つけた。彼は次の瞬間それを振りほどくように青い口を笑みの形に変えて、その花束を真上に放った。花束は空中で散り散りになり、色とりどりの花が夫婦と、献花台へ降り注いだ。

 夫婦は花びらを浴びながら立ち去って行く彼の大きな背中に、いつまでも頭を下げ続けた。


 重低音でダンス・ミュージックを流す車のステージに立ちながら、光は小さく体を揺らしていた。すっかり春めいて暖かくなっていたが、さすがに地肌を出す服装にはまだ寒く、指先が小さく震える。

 パレードは新大久保にさしかかり、若い女性たちの間を抜けて行く。多くの女性が物珍しさに光たちを指差し、携帯電話のカメラを彼らに向ける。隣のダイチがオーバーアクションで手を振ると、喜んで手を振り返す人もいる。高齢者の中には、驚き、嫌悪の表情をあらわにする人もいた。光は寄り添って来たダイチのリズムに合わせて腰を振りながら、果たして本当に自分は結婚するのだろうか、と改めて思った。

 そうしたらもう、光は目の前のダイチの顔を見ながら思った。目の前のダイチは恍惚とした顔で音に体をゆだねている。こういうことはできなくなるのだろうか? しかし今までも、黒木はこういう自分とつき合っていたのだから、それは何も問題ないことなのだろうか。

 仕事はどうなるのだろう? 仕事は続けて良いのだろうか? いや、自分は結婚をしたとしても、別に妻になるわけでは無いんだ、と光は思った。だとしたら一体どうするのが正しいことなのだろう?

 しかし彼にそれを教えてくれる人は誰もいないのだ、少なくともこの日本には、まだ誰も。

 ダイチが心配そうな目をして光を見つめている。光は何も問題ないという顔で笑い返す。

 パレードは高田馬場に向かった。間もなく折り返し地点だ。パレードの盛り上がりもだいぶ落ち着き、歩く人々にも疲労の色が見え始めた。

 高田馬場の大きな本屋の前に、黒木がいた。光はすぐに分かった。

 光は踊るのを止め、黒木に向かって手を振った。黒木の横に立つ女性が自分が手を振られたのだと思って、笑顔で手を振り返す。黒木はじっとこちらを見つめていた。その真っ黒い目が光の意識を捉えた。

 光は初めて黒木にステージを見られたときのことを思い出した。

 周囲の人々が厭世的な、非日常的な熱気に身を任せ、光のことを見ているようで実は全く見ていないあの空気の中でも、黒木はじっと光のことを見つめていたのだ。それはあの場所に全くそぐわない行為だったので、隣の男は迷惑そうな、奇異なものを見る視線で黒木のことを何度も振り返っていた。黒木は光に視線を注ぎ続けた。

 光は黒木を見つめた。黒木は相変わらず、ずっと光を見つめ続けている。光から視線をそらすまで、その目を離すことはないだろうと光は思った。黒木はいつも光を見つめているのだ。

 ダイチがそんな光の横で、顔を西洋人みたいに歪めて腰を振っている。

 ずっと見つめ続けていてほしい、と光は思った。その視線だけが、自分を世界とつなぎ止めてくれる。その視線で俺をずっと、世界につなぎ止めていてほしい。

 世界は自分と無関係に動いている。黒木の言葉が思い出された。

 俺は黒木を世界につなぎ止めることができるだろうか?

 パレードの車はゆっくりと動いて、徐々に視界から黒木を消していく。

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