第18話 キラキラをもとめて

 放課後の教室は、夕陽が差し込むと急にオレンジ色の水槽みたいになる。

 窓際の席に座ったままぼんやりしていた僕のノートに、その光が反射して、紙の上がうっすらとキラキラしていた。


「ねえ、キラキラって何だと思う?」


 窓枠にもたれかかりながら、先輩がいきなりそんなことを言った。

 制服の袖を肘までまくって、透けるような腕を夕陽にかざしている。

 そこに光が当たって、確かにちょっとだけ、キラキラして見えた。


「……唐突ですね、先輩」


「唐突な質問に耐えられてこそ、真の哲学者なのよ、後輩くん」


「僕、そんな称号いりません」


 言い返しながらも、質問は頭の中に残る。

 キラキラ。たぶん、モテる大学生のインスタとか、原宿のカフェとか、そういうイメージ。


「えーと……おしゃれで、楽しそうで、人生が順調そうな人たち、ですかね」


「それは“キラキラした人”じゃなくて、“キラキラして見える人”じゃない?」


「同じじゃないんですか」


「ぜんぜん違うでしょ」


 先輩は僕の前の席に勝手に腰を下ろした。机に片肘をついて、偉そうに足を組む。

 その仕草のほうがよっぽど“キラキラ”というより“ギラギラ”している気がする。


「じゃあ、キラキラって何なんですか」


「ふふん。そこからよ」


 先輩は、窓の外に視線を投げた。グラウンドでは、サッカー部がまだボールを追いかけている。夕陽に向かって走る影が長く伸びて、土ぼこりがゆらゆらしている。


「まず、“ギラギラ”との違いから考えてみようか」


「比較対象が出てきましたね」


「ギラギラはね、基本、飢えてるのよ」


「飢えてる?」


「何かを欲しがってるひとの光り方。お金とか、名誉とか、承認とか。目が爛々としてる感じ。あれはギラギラ」


 言われてみれば、夜の繁華街とか受験シーズンの予備校とか、浮かぶ顔はだいたい疲れている。

 たしかに「ギラギラ」は、ちょっと怖い。眩しいんじゃなくて、刺さる。


「一方、“ピカピカ”はね」


「はい」


「新品保証」


「雑ぅ!」


「でも合ってない? ピカピカって、まだ傷が付いてない光なの。ランドセル一年生

とか、新品のスマホとか。うっかり落としたらショックで寝込むやつ」


 その説明はやけに具体的ですんなり入ってきた。

 たしかに“ピカピカの一年生”は聞くけど、“キラキラの一年生”とはあまり言わない。


「じゃあ、“キラキラ”は?」


「キラキラはね……」


 先輩はそこで少し黙り込んだ。頬にかかる髪を耳にかけ、窓から差す光を指で切りながら言葉を探している。


「たぶん、割れた光だと思う」


「……割れた?」


「うん。ギラギラは一直線に飛んでくる光。ピカピカはまっさらな面で反射してくる光。キラキラは、傷とか、凸凹とか、水面の揺れとか、そういう“ノイズ”で散らばった光」


 僕は思わず、自分のノートを見下ろした。

 さっきまでただ白かった紙の上に、夕陽が斜めに入って、細かい凹凸に当たった光がちょっとだけ揺れている。


「ほら、これ」


 先輩が身を乗り出し、僕のノートを指さした。


「紙ってほんとはそんなに綺麗じゃないでしょ。繊維が荒かったり、インクの跡があったり。でも、そのざらざらがあるから、光がばらけてキラキラするの」


「じゃあ、“キラキラの人”っていうのは……傷がある人?」


「そう。傷とかコンプレックスとか、失敗歴とか。そういうのを抱えたまま、それでも前に進もうとしてる人。そこに当たった光が、見る人の目にはキラキラして見える」


 先輩の声は、いつになく静かだった。

 ふざけ半分で始まった会話なのに、急に教室の空気が変わる。夕陽が赤みを増して、黒板の端っこを燃やしているみたいだ。


「じゃあ、SNSで映えるランチとか、海外旅行の写真とかは?」


「あれは演出的キラキラ。照明さんが全力で頑張ったギラギラ寄りの光」


「酷い」


「だって、写真だけじゃ傷が分からないでしょ。苦労の皺とか、悩んで夜更かしした目の下のクマとか、うまく隠してるじゃん」


 たしかに。

 “キラキラ大学生”と呼ばれる人たちも、実際にはレポートに追われたり、人間関係に悩んだりしてるのかもしれない。

 でも、画面越しの僕らが見るのは、加工された数秒分の光だけだ。


「後輩くんは、自分が“キラキラ側”に行きたいと思う?」


「うーん……」


 改めて訊かれると、答えに詰まる。

 僕は、どちらかというと地味なほうだ。写真を撮るより撮られる方が苦手だし、パーティーで中心になるタイプでもない。


「行けるものなら行ってみたいですけど」


「じゃあさ、とりあえず“ギラギラ”目指す?」


「いや、それは胃が痛そうなので遠慮します」


「じゃあ“ピカピカ”は? 傷ひとつなく、完璧な優等生」


「それはもっと無理そうです」


「ほらね」


 先輩はくすっと笑った。

 窓の外では、サッカー部の掛け声が一段と大きくなる。最後のミニゲームらしい。


「後輩くんはね、すでにちょっと“キラキラ予備軍”なんだよ」


「はあ?」


「この前、模試でコケたときさ」


「やめてください、黒歴史」


「あのとき帰り道で、解答冊子握りしめて『死ぬほど勉強したのに』ってうめいてたでしょ。目、うるうるさせて」


「記憶を改ざんしないでください!」


「ちゃんと見てたよ。あの、“頑張ったのに届かなかった”って悔しさは、ギラギラじゃないの。ギラギラは“もっと、もっと寄こせ!”って外を向く感じだけど、後輩くんのは内側に向かってた」


 先輩の言葉の一本一本が、なぜか刺さる。

 あの日、情けなさと悔しさで、すごくみっともない顔をしていたのは自覚している。

 誰にも見られたくないと思っていたのに、よりにもよってこの人に見られていたとは。


「で、その悔しさをごまかさず、ちゃんと“恥ずかしさ込み”で抱えてる人はね、いつか光が当たったときにキラキラするの」


「……いつか、ですか」


「そう。いつか。たぶん受験の本番かもしれないし、全然違うタイミングかもしれないけど」


 “いつか”なんて、無責任な言葉だと思っていた。

 でも、先輩が言うと、不思議とすぐ先の未来にあるような気がしてしまう。


「じゃあ先輩は?」


「ん?」


「先輩は、キラキラなんですか。それともギラギラですか」


「失礼ね。私はピカピカに決まってるでしょ。常に新品同様」


「自称だけなら何とでも」


「うるさいなあ。……そうねえ」


 先輩は、机の縁に指先をトントンと当てた。

 その横顔は、いつものふざけた感じより少しだけ大人びて見える。


「私、多分、昔はギラギラだったよ」


「昔?」


「中学のとき、全部トップじゃないとイヤだった。テストも、部活も、人間関係も。負けるとすぐ嫉妬してたし」


「想像しやすいです」


「今のは禁句」


 先輩は僕の額を軽くはたいた。少し痛い。


「でも、頑張りすぎて一回メンタル折れてからさ、“全部勝たなくてもいいや”ってなった。そこからかなあ。ギラギラがだいぶ剥がれて、代わりに傷だけ残った感じ」


「……それって、しんどくなかったんですか」


「まあね。でもさ、傷ついたところにちゃんと空気通したら、そこから新しい皮膚ができるでしょ。それと一緒。少しだけ、前より柔らかくなった気がする」


 先輩の笑い方が、さっきよりも少しだけ優しくなっている。

 僕は、自分の胸のあたりがじんわり温かくなるのを感じた。


「だからね、後輩くん」


「はい」


「キラキラって、“痛かった歴史がある光”だよ。ピカピカでもギラギラでもなくて」


「痛かった歴史……」


「それを隠さずに持ってる人は、たぶん他人の痛みも少しは分かるからさ。近くにいると、こっちもあったかくなるの」


 夕陽が、そろそろ赤から紫へと色を変えようとしていた。

 教室の隅に積み上げられた椅子の金具が、最後の光を受けて、一瞬だけキラッと光る。


「でもまあ、キラキラしてるって本人は自覚ないことが多いけどね」


「そうなんですか?」


「だって、本人は傷のほうを気にしてるから。『こんなのダサい』って思ってるところに、他人は『いいね』って光を見てる」


「なんか、ずるい構造ですね」


「世界なんてだいたいそんなもん」


 先輩が立ち上がる。椅子がぎし、と鳴った。


「さて、そろそろ帰ろっか。明日も学校あるし」


「先輩、明日の小テスト勉強してないですよね」


「ギクッ」


「それ、“痛かった歴史”じゃなくて、“今まさに進行中の事件”ですよ」


「細かいこと言わないの。さ、今日のキラキラした夕陽に感謝して帰りましょ」


 先輩は、勝手に僕の鞄を持ち上げて渡してきた。

 その仕草に、なんだかんだ他人を気にかける癖がにじむ。


 教室を出ると、廊下の窓から見える空は、もう群青色に近かった。

 さっきまで教室の中を満たしていた光は、どこかに行ってしまったけれど、代わりに街の明かりが、遠くで点々と灯り始めている。


 あの一つ一つにも、それぞれの“痛かった歴史”があって、それでも今日も灯っているのかもしれない。

 そんなことを考えながら、僕は先輩の少し前を歩く背中を見つめた。


 ――もしかしたら、僕の中にも、いつか誰かに「キラキラしてるね」って笑われる日が来るのだろうか。

 そのとき、今日のこの夕陽のことを、きっと思い出すのだろう。

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