第12話 君との約束
「ねえ、君さ」
昇降口を出たところで、先輩が掲示板を指さした。
「『十年前のタイムカプセルを掘り起こします』って貼ってあるけどさ。これさ、誰も覚えてなかった約束だったら、破ったことになるの?」
今日も元気に発作スタートである。
「……タイムカプセル見ただけで、その発想なんですか」
「だってほら、『二十歳になったらまた集まろうね』ってやつ、あるじゃん」
「卒アルの裏とかに書いてあるやつですね。だいたい実現しないやつです」
「そうそう。で、誰も覚えてないまま二十歳通り過ぎたらさ、その約束って“自然死”したことになるの? それとも全員で“黙って破った”ことになるの?」
信号の手前で立ち止まりながら、先輩がこっちを振り返る。
「……放課後の帰り道で考える内容じゃないですよ」
「いや、こういうのこそ帰り道で考えるもんでしょ。で、君はどっち派?」
◇ ◇ ◇
「ええと……そもそも約束ってなんですかね」
時間稼ぎも兼ねて口を開く。
「『将来こうする』って、言葉で決めるやつ……でいいですかね。相手もそれを前提に、ちょっと期待したり、予定組んだりする感じの」
「ふむ。わりとまっとうな定義」
先輩は頷きながら、指を折っていく。
「じゃあ、その定義を分解してみよっか」
「またですか」
「まただよ」
先輩は楽しそうだ。
「今の話からいくと、約束には少なくとも──」
1. 将来の行動に関する取り決めであること
2. 相手にそれを伝えて、相手が認識していること
3. 相手がそれを前提に、何かしら“期待”できること
「この三つぐらいは必要そうだね」
「まあ、そんなところですかね」
「で、“破る”ってのは?」
「約束したことを、分かっててやらないこと……じゃないですか。相手が“裏切られた”って感じたら、たぶんそれは破ってますよね」
「じゃあ逆に言うと」
先輩はくいっと眉を上げた。
「誰も覚えてない約束って、“裏切られた”と感じる人、どこにもいないよね?」
「……まあ、そうですね。誰も覚えてなければ」
「じゃあそれ、破られたって言える?」
言われてみれば、たしかに妙な話だ。
◇ ◇ ◇
信号が青に変わる。歩きながら、僕は続きを考える。
「でも、紙に残ってたらどうします?」
「紙?」
「ほら、小学校のタイムカプセルの手紙に『二十歳になったらここで会おう』って書いてあったとしますよね。みんな忘れてたけど、二十歳過ぎてからそれが見つかったと」
「うわ、一番めんどくさいパターン」
先輩は笑った。
「そのとき、『お前、約束破ったな』って言う権利はあるのか、って話?」
「そうです。記録としては残ってるけど、誰も覚えてなかった約束って……生きてるんですね。死んでるんですかね」
「いいね、“約束の死亡時刻”の話になってきた」
先輩はやけに楽しそうに言う。
「法律的な契約だとさ、“時効”があるじゃん。ある期間誰も請求しなかったら、権利が消えるってやつ」
「はい、公民でやりました」
「じゃあ、約束にも“時効”があるとしたらさ」
先輩は指で空中に線を引く。
① 約束したとき
② 期待してる期間
③ 誰も思い出さなくなった時点
「この③で、“約束の心停止”が起こるんじゃない?」
「心停止って言い方やめてください、地味に怖いです」
「君、約束に優しすぎない?」
◇ ◇ ◇
「でもさ」
先輩は続ける。
「“やろうと思えばまだ果たせる約束”と、“もう物理的に不可能な約束”ってあるじゃん」
「例えば?」
「『二十歳になったら、ここにまた集まろう』って約束を、二十五歳で思い出したとする。これって、“破った”のか、“遅延してるだけ”なのか、どっちだと思う?」
「五年って遅刻のレベルじゃないですよ」
「でも、“二十五歳からでも集まろうと思えば集まれる”よね?」
「……まあ、極端に言えば、そうですね」
「だったら、“まだギリギリ生きてる約束”だとも言える」
先輩は信号の先の公園を指さした。
「たとえばさ、『卒業したらここでまた会おう』って約束、卒業式の日に忘れてても、十年後に思い出して集合かけたら、それは“多少の遅刻で果たした約束”って言えるかもしれない」
「ものは言いようですね」
「逆に、もう相手が亡くなってるとか、学校が取り壊されて跡地がショッピングモールになってるとか」
「ありがちですね」
「そうなると、“物理的に果たせない約束”になる。その瞬間、約束は“死亡しました”って言ってよさそうじゃない?」
「……なんか、思った以上に物騒な話になってきましたね」
◇ ◇ ◇
「整理するとさ」
先輩は指を折りながらまとめる。
「約束が“生きてる”って言えるのは──」
1. 誰か一人でも覚えている
2. やろうと思えば、まだ果たせる余地がある
「この二つが揃ってる期間」
「逆に、“約束の死亡条件”は?」
「いい質問だね、君」
先輩は少し嬉しそうだ。
「たぶん、どっちか、または両方だよ」
A. 誰も覚えていない
B. 物理的・時間的に、もう果たせない
「Aは“記憶からの死”、Bは“現実からの死”。このどっちかが来た時点で、その約束は跡形もなく消える」
「消滅って言葉でよくないですか。なんでわざわざ死亡メタファーに寄せるんですか」
「そのほうがエモいじゃん」
「議論にエモさ持ち込まないでください」
◇ ◇ ◇
「じゃあ、『誰も覚えてないけど、紙には残ってた約束』は?」
僕はさっきのタイムカプセルを思い出しながら聞く。
「Aの条件は満たしてるんですよね。一回全員忘れてる」
「うん。だから、その瞬間にいったん“死亡”してる」
「死亡してるのに、手紙を見つけた瞬間によみがえる?」
「そう、“約束の蘇生”」
先輩は楽しそうに言う。
「手紙を読んで、“あ、そういえばこんなこと言ったな”って思い出した時点で、もう一度、“期待する人”がこの世界に生まれちゃうんだよ」
「ゾンビとか言い出しそうなので、そこはあえて聞かないでおきますね」
「そういう想像力は持ってていいよ」
「自分で言わせないでください」
「でもさ、その“よみがえった約束”に噛まれて──」
「噛まないでください」
「比喩だよ比喩。“じゃあ今からでもやるか”って動き出すなら、それはそれで悪くないと思わない?」
先輩は肩をすくめる。
「二十歳で果たせなかった約束を、三十歳四十歳でやり直すの、ちょっとドラマチックじゃない?」
「……まあ、フィクション的にはアリかもしれません」
「現実にやると、だいぶ気まずいけどね」
「ですよね」
◇ ◇ ◇
「でさ」
と、先輩はふっと真顔に戻った。
「一番ややこしいのは、“片方だけ覚えてる約束”なんだよね」
「……ああ」
「片方はちゃんと覚えてて、心のどこかで期待してる。もう片方は、完全に忘れてる」
「現実だと、そのパターンが一番多そうですね」
「覚えてる側からすれば、“破られた約束”。忘れてる側からすれば、“存在しなかった約束”」
「で、どっちの世界を、“公式”にするか」
「そう」
先輩は、少しだけ寂しそうな笑い方をした。
「法律的にはさ、“立証できるほう”が勝つんだろうね。録音とか、書面とか、第三者の証言とか」
「ですね」
「でも、人間関係だとさ」
先輩は小石を蹴りながら言う。
「“覚えてたほうが負け”なこと、多くない?」
「……どういう意味ですか」
「覚えてるほうが、勝手に期待して、勝手に傷ついて、相手に『そんな約束したっけ?』って言われて、さらにダメージをくらう」
「ああ……」
「忘れてたほうは、最悪“悪いのは全部自分”って罪悪感は背負うけどさ。“期待して、裏切られた”って感情よりは、まだマシなこともある」
「つまり先輩は、“覚えてる側が損”だと」
「うん。だからこそ、約束って、ある意味“自分にとって都合のいい記憶を持ち続ける罪”でもあるのかなって」
「言い方が重いです」
◇ ◇ ◇
しばらく黙って歩いたあと、先輩がふいに言った。
「じゃあさ、君」
「はい?」
「もし私と──」
先輩は少しだけ言い淀んで、言い直した。
「もし、仮にだよ。仮に」
「はい」
「『卒業しても、たまにはこうやってくだらない話しようね』って約束したとして」
「仮に、ですね」
「うん。で、十年後、君がその約束をきれいさっぱり忘れてたとする」
想像したくないが、仮の話だ。
「そのとき、その約束は“破られた”ってことになるのかな。それとも、“自然死したからセーフ”ってことになるのかな」
「……どっちにしたいんですか、先輩は」
「どっちだと思う?」
先輩はいつもの意地悪な笑い方をする。
◇ ◇ ◇
少し考えてから、僕は答えた。
「たぶんですけど」
「うん」
「“自然死だからセーフ”ってことにできたら、楽なんでしょうね」
「楽、ね」
「でも、それって結局、“忘れたもん勝ち”じゃないですか」
「たしかに」
「忘れたほうが得で、覚えてるほうが損って、なんか気に食わないです」
先輩が小さく笑った気配がした。
「だから僕は──」
言いながら、自分でも少し驚いた。
「少なくとも、覚えている間は、“死んでない約束”だと思っておきたいです」
「ほう?」
「たぶん、僕が忘れた瞬間に、その約束は本当に死ぬんですけど。それまでは、“まだ生きてるから、いつか果たせるかもしれない”ってことにしておきたい」
「それ、けっこうしんどい選択じゃない?」
「しんどいですけど」
僕は前を向いたまま続ける。
「覚えてる側が損だって分かってても、それでも覚えていたい約束って、たぶんいくつかはあっていいと思うんで」
少しの沈黙。
風の音と、遠くの車の音だけが聞こえる。
「……君さ」
先輩がぽつりと言う。
「たまに真面目なこと言うよね」
「先輩に言われたくないです」
「じゃあ、ひとつだけ決めておこうか」
先輩は、いつもの調子で笑った。
「もし本当にその“仮の約束”をする日が来たらさ。そんときは、どっちかが忘れるまで、約束は生きてるってことにしよう」
「ずいぶん一方的な取り決めですね」
「約束ってだいたいそういうもんだよ」
そう言って、先輩は前を向いて歩き出した。
こんな取り留めのない話をしながら、僕たちは、今日もいつもの帰り道を歩き続ける。
そして心のどこかで、“今はまだ、何一つ約束していない”ことに、ほんの少しだけ救われている自分に気づいた。
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