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2025年5月28日 06:05 編集済
これは考えさせられました。全てに通ずる事と思いますが、物事は 関連という動態 で成立する所があるとおもっています。エッセイを始めとして本や芸術作品、ゲームなど、享受した者それぞれのエンディングがあり、そこでそれぞれの完成体を成すように思います。極論、その本に興味がある自分 が在る事で そこにある本 が成立し、その逆も同時に起こっている。その関連が無ければ、両者共に地球上のひとつの物質に過ぎないと思っています。
作者からの返信
コメントありがとうございます。改めて書いたのを読み返すと捏ね回すように悩んでいてお恥ずかしい限りです。"関連という動態"は仰る通りと思います。端的に言うと本質の構造ですよね。一方で、自分の自由とその様態を探し、作品の多層性にも思いを馳せます。ともあれテクストに対して読み手、鑑賞者にも自立性はあると思うので自由に感じて欲しいとも思います。
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これは考えさせられました。全てに通ずる事と思いますが、物事は 関連という動態 で成立する所があるとおもっています。
エッセイを始めとして本や芸術作品、ゲームなど、享受した者それぞれのエンディングがあり、そこでそれぞれの完成体を成すように思います。
極論、その本に興味がある自分 が在る事で そこにある本 が成立し、その逆も同時に起こっている。その関連が無ければ、両者共に地球上のひとつの物質に過ぎないと思っています。
作者からの返信
コメントありがとうございます。改めて書いたのを読み返すと捏ね回すように悩んでいてお恥ずかしい限りです。"関連という動態"は仰る通りと思います。端的に言うと本質の構造ですよね。一方で、自分の自由とその様態を探し、作品の多層性にも思いを馳せます。ともあれテクストに対して読み手、鑑賞者にも自立性はあると思うので自由に感じて欲しいとも思います。