第7話 街へ

「元気でね、マリ」




 クリアリと天秤の存在で気持ちに少しだけ余裕ができたから、私は笑顔でマリと別れることができた。




 マリは涙で顔をぐちゃぐちゃにしたけど、生きていれば必ずまた会える。


 絶対あなたを迎えに行く、と言葉にして言えないけど強く思った。


 私が処刑される未来が変われば、迎えに行ける。




 街には、内緒で馬車を出してもらった。




 秘密にしなくても、学友のキリカ・ハイローに会いに行くと言ったら怪しまれはしないだろうけど。




 キリカの家は街で骨董屋をやっていて、そこには何度か幾度となく訪れている。


 友達の家だもの。




 私が通っている王立学園も、このあと理由を付けて私が辞めさせられ、代わりにあの子が通うようになる。


 私は、友達のキリカとも会えなくなってしまったのよね。




 私が幽閉されても手紙をくれたけど、私からの返事は許されなかった。




 どんどん関係を絶たれて、私は病んでゆく。


 誰とも会話をしない日々は、ただただ暗闇だった。


 もうあんな闇は嫌。






 馬車は、街の入り口で下ろしてもらう。




 キリカの家は中央広場の前にあるけれど、手ぶらでは行けない。


 約束なしに行くのだから、なにか理由もいるわね。


 私は懇意にしていたドレス屋で、蒼とグリーンの縞のリボンを購入した。




 美しくのばしたキリカの黒髪に、似合いそう。




 葬儀に駆けつけてくれたキリカ。その気持ちに対してお礼に、リボンを贈ることはよくある風習だ。




 課題、お金を増やす。




 銀行に預ければいいのだろうけど、利子が入るのは先のことだし、元手が多いわけじゃないから利子だって高が知れてる。


 お父さまにも知られてしまう危険がある。




 多少はきな臭い方法じゃないと、増やすことはできそうにない。




 そういう情報は酒場で交わされているらしいけれど、私一人では店に入れてもらえない。


 一見で貴族の娘と分る成り立ちで、こんな場所にひとりで入れるわけもない。




 怖い。入ったこともない店、見たこともない世界。


 だけど、時間は待ってくれない。






 となると……。






「そこのお兄さん、いい男ね。一杯奢るわ」




 私は酒場の前にいた一人の男に声をかけた。


 体躯はがっしりとした黒髪の長身。腰に差した剣は凝った細工だから、それなりに功績を挙げたことのある騎士出身の護衛ってとこかしら。




 眼光鋭く、ちょっと話しかけづらいからか、周りに女が群がらない。




 とにかく顔立ちがいい。




 ユハスさまも整った顔立ちだと思うけど、雄々しさが強いこの男は、凛として真逆に美しい。


 まるでしなやかな肉食猛獣のような雰囲気がある。


 妙に惹かれる男だった。






 ちらちらと、開いた扉の奥、酒場の女たちは気になっている視線を送ってはいるけれど。


 話しかけるまでに至らないのは、目の鋭さのせいだろう。




「はぁ? なんだって?」




 男は高い背の上から私を見下ろし、腕組のままそう反応した。




 わかる。こんな酒場とは無縁に見える貴族の娘がいきなり、一杯奢るなんて胡散臭いもいいところだものね。






「どういうつもりだ?」




 怪しんでるという不快な顔を、まったく隠さない。


 怯みたくなったけど、この手は何度も使えない。


 私が酒場の前にいる男に次々声を掛けたら、お父さまの耳にまで入ることになるだろう。




 ちょっと若くていい見た目がいいな、と人は選んでしまったけど。




「社会勉強がしたいの」




 私が考えた「理由」を聞いて、男はますます険しい顔つきになった。




「わ、私はいずれ家を継ぐわ。学園で習わない事を学びにきたんだけど、さすがに一人では入れないから協力して欲しいの」




 誇り高い意志をあらわすため、胸を張り右手で心臓をトントンと叩きながら口にした。




 騎士なら知っているだろう、真実を告げる所作。


 嘘偽りはないという誓い。




 噓ではない。


 もしあの未来が回避できるなら私は家を継ぐ。


 正当な公爵家の継承者は私だもの。


 お父さまの仕事を受け継ぐことになる。






「イリ!」






 突然背後からした別の男の声に、びっくりして振り返った。


 そこには長い銀髪を後ろで束ねた、またまた綺麗な顔の男が立っていた。


 目の前の男よりは低いが、私よりはるかに高い背。


 腰に剣はないし身体も細いから、騎士ではないようだ。




「イリ、なんの騒ぎですか?」




 私が声をかけた男の名前は「イリ」と言うらしい。


 騒ぎにはなっていない。


 なんなら、あなたが来たことでますます女性陣の注目を浴びている。




「女性になにか失礼を?……あなたはっ」




 はじめはイリを咎める口調だったが、私の顔を見て顔色が変わった。


 知り合い? 記憶にないけど。




「モアディ」




 モアディ? 呼ばれた名前はやはり記憶にない。




「すみません、私が声を掛けました」




 はい、と挙手する。


 私のせいで責められるのは、なんだか可哀そうだ。




「あなたが……?」




 モアディと呼ばれた男も、イリの隣に並ぶ私を怖い顔で見下ろす。


 1対2で訝れては、もう無理か?






「イリ……ごにょごにょ」




 モアディが、私から視線を外さずイリになにか話している。


 内緒話は、聞き取れなかった。




「はぁん?」




 なにを耳打ちしたかわからないけど、二人とも私を見ながら警戒の姿勢を崩さない。






「すみません、無理ですね」




 これ以上は無理と私は判断して、一礼してこの場を去ろうとした。




 が。




「待てっ」




 その腕を、掴まれて止められる。




 私の腕をつかんだのはイリ。モアディはイリの行動に驚いていた。






「あ、あの……?」




 私だって戸惑う。




 イリはさっきまでの険しい顔から、口元の端を上げて何やら楽しそうな表情になっていた。




「お嬢さん。えっと……名前は?」




 問われたので、正直に答える。




「リーディア・カイゼンです」




「カイゼン……」




 カイゼン家は名門だ。名前ぐらいは聞いたことがあるのだろう。


 二人、顔を見合わせた瞳が語っていた。




「リーディア、お望み通り社会勉強、させてやるよ」




 そう言うとイリは、すっと曲げた腕を私に出した。


 私がわからないでいると、手を取ってその腕に通すように促される。




「離すなよ」




 男性と腕を組んだのは、お父さまとユハスさまだけの私は、内心戸惑いでいっぱいだったけど、背筋を伸ばして動揺を隠す。


 知らない男と、腕を組むなんてたいぶはしたないわ。




「イリッ!」




 モアディは反対のようだったが、イリはかまわず私と店内へ足を踏み入れた。








「うっ……」




 鼻につく、アルコールと煙草の匂い。


 それより不快な、値踏みすようなからみつく視線。


 私は人買いに売られるのだろうか、という恐怖が背筋を冷たくした。




 こんなに居心地の悪い場所だったのね。


 自分で選んでおきながら、げんなりした。




「ここでいいだろ」




 イリは私に椅子をひいて、そこに座るよう指示した。


 お店の人が椅子を合わせてくれるわけじゃないのね。


 いつも使用人やレストランの従業員がしてくれる事を、ここに求めちゃいけない。




 私は、言われた席に大人しく座る。


 イリは右、モアディは左に腰を下ろした。


 挟まれたわ。




「いらっしゃいっ。なに飲むんだい」




 注文したくても、ここになにがあるのか私はわからない。


 そんなじろじろ見られる事にも慣れていないから、圧迫感がすごい。




「カカふたつと、リーを。あと、干し肉とクアの盛り合わせ。腹空いてるか?」




 イリが、慣れた感じで注文をし、私に聞いてきた。


 私が首を振ると、注文は終わった。




 カカは、カカリーナの実を発酵させて作る強いお酒。リーは……なにかしら。




「はいよっ」




 ドンと私の前に置かれたグラスは、淡いブルーの液体だった。




「お酒ですか?」




 祝い事の席で出されたら口に含む位はするけど、正直お酒は苦手だ。




「酒……じゃねぇな。なんかの果汁だったかな」




「リーはこの時期にしか採れない実です。美味しいですよ」




 ここでお酒を飲まさないってことは、この二人は意外と親切なの? 下心とかないの?




 酔わせてどうこうっていう魂胆はないのかしら。


 男なのに?




「乾杯!」


「乾杯」




 よくわからない飲み物だけど、グラスを持ち上げて迫られたら、飲むしかない。




「か、乾杯……え?」




 キーンと、見た目よりも上品な音をたててグラスがかち合う。




 こんな乾杯の仕方ははじめてだった。


 グラスを持ち上げるだけじゃないのね。




 他の席でも、キーンとかち合わせている音がする。




 ここでは、この方法が常識みたいね。




「あ、美味しい」




 少しだけ口に含んでみたリーは、さわやかな風味でほんのり甘くてほろ苦い絶妙なバランスの味だった。




「え? なんで?」




 グラスの青い液体は、すーっと上から金色に変わる。






「私が魔法をかけました」






 モアディは少しも笑っていない顔でそう言った。

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