第2話 手紙

 王太子暗殺の嫌疑をかけられ、幽閉のち処刑……された私。


 なのに、私を陥れた親子がやってくる直前に刻を遡ってしまった。




 みたい。




 だって生きてる。




 空気を吸えば、開け放った窓の外に咲き誇る花のにおいを確かめられるし、食事が運ばれてくればお腹が空いていることも確かめられた。




 私はなにかの力でここにいると、考えざるを得ない。






 ここは天国ではない、のだけれど。




「申し上げにくいのですが……」




 テーブルに私の大好きなサンドイッチを並べながら、マリは切り出してきた。


 とても気が重そうだ。私と目を合わせられない。


 それもそうだろう。




 私にこの部屋を、明日出ていけと言わなければいけないのだから。




 お父さまはお母さまが死んでまだひと月も経っていないのに、次の妻を迎えると言った。


 相手には連れ子の妹もいるのだという。


 忙しい公爵が独り身では仕事の影響が出るのだろうが、早すぎると誰も思っただろう。




 その妹が使うからと、姉である私が部屋を譲るようにお父さまは使用人に言伝、新しい妻を馬車で迎えに行った。




 今日は私の誕生日だけど、きっとそんなこと頭にない。





「わかってるわ」


「すみません、お嬢さま」




 優しいマリ。泣くのをこらえている。




「あなたが謝ることじゃないわ。私は大丈夫よ」




 前はそれを聞いたとき、ひど過ぎると泣いてマリを困らせてしまった。




 部屋を譲るどころか、新しい家族が慣れるためにと理由を付けられ、私は離れにやられてしまったのだから。




 でもそれは今回も変わらない。


 私はこの部屋を、あの妹に譲らなければいけない。





「忙しい一日になるわね」




 なぜ、どうしてなんて、いまは考えていられない。




 またあの人生を繰り返す?


 冗談じゃない。


 お伽噺の本でしか読んだことのないこんな悪夢が現実なら、私はやらなきゃいけないことがある。







「マリ、この部屋の荷まとめは午後するから、ちょっと時間をちょうだい」




「え、えぇ……」




 マリは何も言わなかった。


 前みたいに、嫌だ嫌だと泣くのは、今度はしない。


 




「静かなもんね……」





 食事を終えてマリを下がらせ、一人になると私は廊下に出た。


 お母さまがいた頃は、商人や他貴族との交流でこの屋敷も賑わいがあった。




 家に帰らないお父さま。


 減らされる使用人。




 お母さまが生きていた頃から、私たちは要らないものだったのかもしれない。


 そう考えると涙が出そうになったが、泣いてる時間が惜しい。


 向かうのはお母さまの部屋だった部屋。


 扉を開くのは、お母さまが亡くなった日以来ね。





 思い出すのが悲しくて、時を閉じ込めるようにここから遠のいていた。




 大好きなお母さまが亡くなった場所。


 公爵令嬢として育ち、美しく品と知性があり、優しく愛をくれた人。


 お父さまは「公爵」の地位が欲しくてお母さまと結婚したんだと、いまならわかる。




 珍しくもない事だけれど、政略でも愛ある家庭を築く人たちも多くいるのに。


 少なくともお母さまは、お父さまのことを愛していた。


 家に帰らないのは、私たちのために仕事に追われているからだと説いていた。




「素晴らしいお父さまね」って、誇らしく笑っていた。





 突然の病。


 最初はただの咳だったのに、やがて立つこともできなくなるほど、日に日に衰弱していった。


 


 医者も原因がわからず、お母さまはお父さまの帰りを待っていたけど、看取ったのは私と数人の使用人だけだった。





 葬儀だって、とても公爵夫人のものとは思えないこじんまりしたもので、お父さまはさっさと仕事に行ってしまった。




 お母さまがいなくなったあの時に、私の幸福な人生は終わってしまった。




「あぁ、まだ香りが残ってるのね」




 胸いっぱいに、その思い出を吸い込む。


 この部屋のものはすべて燃やされてしまう。明後日には。





 壁紙すら剥がされ、無残にされた部屋のまま残された。


 それは新しく迎えた母親、ハモラの命令だったという。


 私への当てつけとしか思えなかった。





「お母さま……」




 私はベッドにもぐりこむ。


 このベッドで、何夜一緒に寝ただろう。




 大嫌いな雷の鳴る夜は、温かい蜂蜜酒を用意してくれて、私が寝られるまでとんとんと背中を叩いてくれた。




 独りは嫌と、枕持参で何度も来たけど一度も断られなかった。


 だけどあの優しい、暖かいぬくもりはもうない。





 何を持ち出そう。


 宝石類は、もうお父さまが持ち出してしまっていた。




 きっともう、売られてしまったのだろうな。




 お母さまは「これはリーディアのものよ」と口にしていたけど、宝石が納められていた宝箱を模した箱が見当たらない。




 街の古道具屋に流れているのを見つけたけど、私の自由にできるお金が少なすぎて買い戻すのは無理だった。




 お母さまの匂いに包まれると、泣き言ばかり思い浮かんでしまう。


 戻るなら、どうしてお母さまが生きている刻に戻れなかったのか。


 あふれる涙を、枕に顔をうずめて吸い取ってもらった。




「リーディア、泣かないで。あなたはいつも笑っていて」




 お母さまの声が聞こえた気がした。




「え?」




 もっと涙を吸い取ってもらおうと、枕の下に手を入れたときになにかがカサリと音を立てた。




「手紙……?」







『愛するリーディアへ』




 封筒には、私の名前が書かれている。


 筆跡は、お母さまのものだが亡くなる直前のものだろう。


 いつもの美しい文字ではなく、よれていた。




 手紙を残してくれていたこと、私は知らなかった。


 きっとハモラが用意した使用人は、見つけても家具などと一緒に処分してしまったのだろう。


 どんなことが書いてあるの?


 私は封印を解いて手紙を取り出した。





【リーディア、あなたがこれを読む頃、私はもういないでしょうね。




 私の可愛いリーディア。




 もっとあなたの成長を見たかったけど、それは叶わないみたい。




 あなたが困った時、助けてあげられるものを残すわ。




 でもそれはちょっと扱いが難しいの。




 誰にも秘密にしてね。




 この手紙も、読み終えたら燃やして。




 それはここじゃないところに預けてあります。




 あなたの大好きなものの隣にあるから、探してね。




 さようなら、リーディア。




 愛してる】






 涙がぼたぼたと手紙の上に落ち、インクがにじんだ。




「私も愛してる」




 本当は残しておきたいけど、お母さまの言う通り手紙は燃やした。




 灰になるまで見つめて考えた。


 私の大好きなものってなにか。




 いちばんはお母さま。でもその隣って? なにも思いつかない。




 私はお母さまが自分で刺繍したハンカチ、空色の花飾りのついた帽子をクローゼットから持ち出した。




 宝石ばかりか、ドレスも数着しか残っていなかった。


 せめてもの救いは、お母さまの死後に処分されたってことだけね。


 あんながらんとしたクローゼットを見たら、お母さまが悲しむもの。




「あ……」




 部屋に戻って、お母さまの帽子をかぶって鏡をのぞいてみて驚いた。




「お、幼い……わね」




 刻が戻っているなら当たり前のことだけれど、自分の容姿が戻っているのを目の当たりにすると変な感じ。




 育ってもそんなに膨らまなかった胸が、この時点ではまだまったいら。


 嬉しいような、悲しいような、複雑だわ。




 3年前の私って、こんなにみずみずしい肌の張りがあるのね。




 でも、なんか頬に肉がついているし、よく見たら顎に吹き出物が……。





 ぷにぷにと自分の頬をこねくり回して、さまざまな意味で落ち込む。


 あぁでも、斬首前の私の姿に比べたら天と地。


 もう、あんな姿にはなりたくない。





「変えなきゃ」





 過去を……いいえ、未来を変えなきゃ。




 鏡の私に誓う。


 好きなものを食べて、肌艶よく、胸にふくふく肉を付けてやる。






「それにしても、私の大好きなものってなによ」





 ドレスもお菓子もお花も好きだけど、どれも違う気がした。




 自分の荷物を選別するついでにあれこれひっくり返してみたけど、それらしいものはない。




 あまりにもバタバタしていたので、部屋に舞った埃で喉がイガイガした。




 離れは古くてじめっとしているけれど、この部屋の荷物をぜんぶ運んでも問題なかったのに半分ぐらい処分させられてしまった。


 捨てられるって知っていたら、ちゃんと選別したのに。




 あの棄てられた中に、お母さまの言うなにかがあるかもしれないなら、いま探しておかないと。




「ふぅ……」




 でも疲れた。


 空気を入れ替えて、ちょっと休憩してからまたはじめよう。




 窓を開けて、深く息を吸う。


 休憩は少しだけ。時間がない。




 もうじきマリが来て、「お嬢さま……」と涙をこらえながら私に言うから。


 この部屋のものをぜんぶは持って行けないと。




「あら、もうそんな時間?」




 窓を開けたからか、リジーがひょっこり顔を出した。




 いつも餌をあげているから、いつものようにもらいに来たのね。


 私の部屋じゃなくなったら、このリジーはどうなるのかしら。




「お前、明日からここに来てももう貰えないのよ」




 そう言ったところで、リジーに理解できるかはわからないけど伝えておく。


 私はリジー用に用意してあるナッツの瓶を開けた。


 そうするとリジーは窓枠を飛び越えて私の肩に乗ってくる。




 もふもふの頬袋にナッツをしまい込むと、ふっくらとリジーはもっと愛らしい顔になった。




 カリカリカリカリという音と、ふさふさのしっぽが耳をくすぐるけれど、私はじっとしてリジーの食事が終わるのを待った。




 お母さまが元気だったころ、二人で餌をあげていたのよね。


 リジーは私とお母さまの肩を交互に飛んで、よく私たちを和ませてくれた。




 トン、と急に肩が軽くなる。


 リジーが食事を終えて、また庭の木の巣箱に戻るのだろう。


 あぁそうだ、明日からは巣箱に餌を持っていけばいいのよね。




「どうしたの? 帰らないの?」




 いつもなら、薄情にもらうものをもらうとさっさと帰ってしまうのに、窓枠に乗ったまま私を見ている。




 さっきの通じたのかしら。




「大丈夫よ、明日からおうちに届けてあげるわ」




 ギュイギュイ。




「なに?」




 残念ながら、リジー語は私にはわからない。


 そんなつぶらな可愛い瞳で、何かを訴えられても。




「さぁお帰り。私しなきゃいけないことがあるのよ」




 ヴィヴィ。




 どうしてだか、足をタンタンとして不満を言っているようなのはわかる。


 困ったな。


 追い出すしかないか。




 窓を閉めてしまえば、帰るしかないよね。




「あ、ちょっと!」




 窓を閉めようとしたら、また私の肩に飛び乗ってくる。




 おやつを貰えないって聞いて、そんなに怒ってるの!?


 私の肩を左右行き来して、トンとさらに部屋の奥に跳躍する。




「ど、どうしたの。あ、そっちはダメよ!」




 本棚のいちばん上までとんとんと登ってしまったリジー。


 手がギリで届かない。




「あ……もしかして!?」




 リジーが身づくろいをしている後ろにあるのは、お母さまが幼い頃に何度も読んでくれた物語集。




 児童書は読まない歳になってしまったけれど、大好きな本だから本棚の一番高いところにしまっていた。


 その本の横に、見たことにない背表紙の本が並んでいる。




「そうよ、大好きなものよ……」




 なんで思い出さなかったのリーディア。


 私は踏み台を持ってきて二冊を手に取る。




「教えてくれたのね」




 リジーはまた私の肩に飛び乗り、パシパシとしっぽで私の頬を叩いた。


 まるで、なんでわからないのかと不満をぶつけたみたい。




「ありがとう、今度ご褒美持っていくわね」




 ギュイギュイと、満足したのかリジーは窓枠へ飛びうつり、そのままいつものように庭の奥に行ってしまった。




 本の表紙には何も書かれていない。


 これは、本のように見せた仕掛け箱。


 振ると、なにか入っている音がする。




 これの開け方は知っている。昔、お母様が持っていて教えてもらったことがある。


 背表紙をトントンと叩き、出てきた紐しおりを逆にひくと本の底が抜ける。





「え? 鍵?」






 ぽとりと箱から落ちてきたのは、鈍い銀色のシンプルな鍵だった。

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