第24話 アットホームな会社

 室賀七海は六年前の昌義の上司だ。


 現在の年齢は推定三十代前半。

 均整の取れたスタイルと女優顔負けの小さな顔と切れ長な瞳が特徴で、職場の男性は誰もが一度は憧れる。

 しかし理路整然とした口調と融通の利かない性格ゆえに職場では怖がられ、一線を引かれる存在であった。言うなれば「触るな危険」というやつだ。

 六年前の時点では未婚。今も薬指に指輪が無いので変わってないだろう。


 そんな元上司と机を挟んで向かい合っている。


「資本金、一二三四万円。事業内容はシステムの受託開発、と。社名はまだ決まってないのか?」


「は、はい! 決まってません! 誠に申し訳ありません!」


「別に悪いことじゃないが、契約の時までには決めておけ」


「承知しましたぁ!」


 昌義は商談が始まってからずっと浅い呼吸を繰り返し、室賀が何か言うたびに肩を跳ね上がらせていた。

 そんな彼を隣に並んで座る美景と渚が怪訝に思う。


「(真田さんがビビってます)」


「(まさか遺恨のあるお店だったなんて。高坂美景、一生の不覚……)」


「(お店というよりあの人が怖いみたいですね。美人ですけど確かに目力があります)」


「(真田さんにも堂々としてますものね……)」


 久方ぶりの再会を果たした二人だが、旧交を温める素振りは一切なかった。昌義はカチコチに緊張したし、室賀は表情を一切崩さずすぐにテーブルについて受け取った資料を読み始めてしまった。


「前職は長かったようだな。やめた理由はなんだ?」


「えっと……社長の急死に伴い経営者が交代して、それで会社がブラックになってしまいまして……」


「ブラックになったから辞めた、と?」


「辞めたというか、辞めざるを得ないと言いますか……」


「そんなことで本当に大丈夫か? 会社を経営していると困難が次から次にやってくる。上役がブラックになったから尻尾を巻いて逃げるようでは先が思いやられるぞ」


「はぅ!? す、すみません……」


 理路整然と詰められる昌義。本当は違うのだが、委縮して弁明どころではない。


「(どうしましょう。真田さんが私みたいになってます……)」


「(私のせいです。なんとかしないと)」


 美景は意を決して口火を切った。


「室賀さん、誤解があります。真田さんは決して逃げ出したのではありません」


「む、そうなのですか?」


 室賀の視線が移る。美景に対してはきちんと敬語を使うが目力の強さは緩まない(もともとこういう顔なのだろうが)。

 美景は一瞬気圧されたが、深呼吸をして彼女と目を合わせた。


「真田さんは社長が代替わりしても逃げずに会社に残り続けました。新社長は無茶な納期を押し付けて現場を混乱させるのでいつも諫めていたんです。ですがそれを逆恨みされ、会社にいられなくなってしまったんです」


「ほう、そうなのか?」


「は、はい!」


 室賀の目が昌義に向く。相変わらず感情の読めない瞳に戦々恐々するばかりである。


 この時昌義は


(オフィスは貸してもらえないかもしれない)


 と思っていた。ブラック企業から逃げた軟弱者の汚名は返上できたが、上司に抗議する不届き者と室賀に見なされて信用されないと思ったのだ。

 だがその予想は良い意味で裏切られる。


「真田、成長したな」


「え?」


 空耳だろうか? 今、室賀から褒められた気がした。


「仲間のために必死に立ち向かうなんてなかなか出来ることじゃない。お前にそんな根性があるとは知らなかった。見直したぞ」


 聞き間違いじゃなかった。職場で鉄の女と恐れられる元上司は自分を称賛してくれた。彼女の部下だったころには無かったことだ。


「大家様に『頼りないから担当変えてくれ』とクレームいれられてた時代が嘘のようだ」


「その話はやめてください!」


 恥ずかしい過去を暴露されて咄嗟に赤面する。仕事が出来なかった新人時代の話を部下の女性達に聞かされるのは耐えがたい。


 それなのに不思議と悪い気はしなかった。むしろ退職した今、なぜか室賀との距離が知事全きがして居心地が良いのだ。


「よし、起業に挑戦する真田の力になってやろう」


「あ、ありがとうございます! それじゃあ早速物件を紹介してください!」


「慌てるな、真田。まずは私の提案を聞け」


 せっかちになる元部下をぴしゃりと制す。その表情はすでに仕事モードで、いつもの厳格な室賀に戻っていた。


「私の提案だが、お前はオフィスを借りるべきじゃない」


「「「へ?」」」


 オフィスを借りるつもりでやってきて、場が和んでいよいよ物件を見せてもらえる段に来たと思った矢先、百八十度違う提案をされて呆気に取られる三人。


「お前に法人向けの仕事を任せたことないからピンとこないだろうが、オフィスの賃料はとにかく高い。住宅の比じゃない。そして希望する都心の家賃はそれ以上だ。それはもうバカが付くくらい高い。そんな賃料を御社は払い続けられるか?」


 室賀の双眸がすぅっと細くなる。

 昌義は答えられなかった。賃料は当然売り上げから経費として支出するが、今のところ売り上げは事業計画書の中だけで机上の空論だ。


「経費に売り上げが追い付かないうちは手元資金から出すしかない。その状況に起業家一年生のお前は耐えられるか?」


「う……」


「だから私は敢えてオフィスを貸さない。少なくとも経営が軌道に乗るまではレンタルオフィスやコワーキングスペースを活用すべきだと思う。だがお前にも経営ビジョンがあるだろう。そのためにオフィスがどうしても必要と言うならこれ以上のお節介は焼かない。お前が納得するまでオフィス探しにとことん付き合うつもりだ。どうする?」


 情けないが、室賀の言う通りだ。毎月資金が減り続けることは想像するだけで胃が痛くなる。そんな状況で経営初心者の自分が正常な判断を下せる自信はない。

 ここでもお金のシビアな現実を突き付けられるのであった。


「それを言われると自信がないです。オフィスの件はもう一度考え直そうと思います」


「それが良い。高くつくからじっくり考えるのが得策だ」


「すみません……」


「気にするな。助言を聞き入れてもらえて嬉しいぞ」


 室賀は優しくフォローしてくれたが、見立ての甘さを思い知らされ不甲斐ないことこの上ない。


「ごめん、二人とも。頼りないところ見せちゃって」


「そんなことありませんよ。見込みが甘かったのは私も同じです。経理担当として大反省です」


「わ、私も家賃のことなんか何も考えてませんでした……う、頭が……」


 部下達からもフォローが入り、辛うじて平静を保っていられた。これで失望されたらかなりショックだった。


「やはり自己資金だけじゃ心許ないですね。信金と公庫を使いますか?」


「それもありだね。土地と家を担保に入れれば銀行からも借りられるかもしれないし」


「い、家を担保にするのはさすがにやり過ぎでは? 真田さんのリスクが大きすぎます」


「わ、私も家が無くなるのは困ります!」


 突然始まる経営会議。それを聞いていた室賀がふとある提案をした。


「家をオフィスにしたらどうだ?」


 水を打ったような静寂。やがておずおずと昌義が口を開く。


「家ってオフィスに出来るんですか?」


「出来るに決まってるだろ。士業なんかはよく自宅にオフィスを入れてるし、最近は御社のようなスタートアップも開業資金を節約するため使ってる方法だ」


「そういえば、この前のエステもマンションをお店にしてましたしね」


「その話はもう良いですから!」


 灯台下暗し。保有物件がオフィスにうってつけなことに今まで気づかなかった。

 この方法ならオフィスの構築費をほとんど節約できる。今の自分達に最良の選択であった。


「自宅兼オフィスか。家賃節約できるなら言うことなしだな。二人とも、それで良い?」


「もちろん、異論ありません。通勤時間節約できて良いですね」


「私も賛成です! 家を出ずにすぐに働けるから通勤地獄から解放されて嬉しいです」


 二人の同意も取り付けられたことで方針は決まった。これにて一件落着。

 そんな雰囲気を室賀は怪訝に思っていた。


「うん? 従業員のお二人も真田の家に住むんですか?」


「いえ、もう住んでます」


「はぁ?」


 ぽかん、と間抜けな顔をする室賀。


「真田、お前はこの二人とどういう関係なんだ?」


「え? 元同僚で、これからは経営者と従業員の関係ですよ?」


「…………美人な従業員を家に住まわせるIT企業社長……。真田よ、そういう成長はどうかと思うぞ?」


(そういうってどういう意味だろう?)


 ジトっとなぜか非難の視線を向けられて今日の商談は幕を引いた。

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