[ 42*わかれをのりこえて ]

 戦闘のダメージと落下の衝撃から一時的に機能不全に陥っていたアルガダブは、どうにか意識を取り戻すことに成功した。

 そうして状況を確認しようと身じろぎした途端、その小さな動きだけで足元が揺れ、アルガダブはとっさに動きを止めた。

 何かの施設の残骸の端の部分。そのかろうじて崩壊を免れているだけの不安定な足場に、アルガダブはいた。


 動きを止めたまま、あらためて慎重に目だけを動かして周囲を見渡す。

 今自分の居る場所の下は数十メートル下までなんの足場や引っ掛かりも無い。今の自分には、その落下の衝撃を受けきれる余力はもうないだろう。

 機体の各部は深刻なダメージの大きさを訴え、もはや立って歩くことすらも困難なありさまだ。

 そのまま視線を上げると、態勢を整えた巨人が大空へと舞い上がっていくのが見える。

 しばらくの間その姿を呆然と見つめていると、ふいにすぐ傍からうめき声が聞こえ、アルガダブはそちらへと視線を向けた。


 そこにはハジーンの姿があった。

 彼女も今目を覚ました様子で、辺りを見渡している。

 重量も人間の女とさして変わらない彼女の動きでは、足場には大した影響はないらしい。


「ハジーン、無事か? この場所は長くは持たない。君は早くここを離れろ」


 そう言葉にした途端、アルガダブの胸で小さな爆発が起きた。続いて、右膝からも。

 それによって引きちぎれた右足が重力に引かれてまっすぐに落ちていき、少しの間を置いて地面にぶつかって砕ける音がこだました。


「……俺も、ここまでのようだ」


「バカ言わないで、アルガダブ。ほら、肩を貸すから立って」


 そう言ってハジーンは強引にアルガダブの巨体を持ち上げようとするも、その動きによって足場は揺れ、その一部が剥落していった。


「無理だ、ハジーン。このままでは君まで道連れになる。早く行け」


「ダメよ、何か手はあるはず。諦めないで」


 そうは言うものの、ハジーンはそれ以上具体的な案は出せないらしく、黙りこくる。

 その姿を見つめ、アルガダブは無言で、その姿をそっと押しのけようとした。

 それでもハジーンは慎重に足を踏ん張り、その場に留まろうとする。





「お前ら、何やってんだ! 早くこっちへ来い! そこはもう持たないぞ!」


 ふいにラヴィの叫ぶ声が聞こえ、二人はそちらへと視線を向けた。

 それほどの距離ではない場所。ここよりは多少安定した足場。そのすぐ傍には、グリズリーの姿も見える。

 それを見たハジーンが少しだけ表情を明るくし、アルガダブを励ますように言葉を掛ける。


「あいつ……。ほら、アルガダブ! あいつも呼んでるわ。生きましょう。生きて、アトルバーンとの約束を果たすんでしょう?」


 アルガダブはそれには答えず、ただ黙ってこちらへと必死に叫び続けるラヴィの姿を見つめる。


「……行け、ハジーン。あちらの足場も完全には安定してはいない。グリズリー・ユニットに加え、俺の重量までは支えきれはしないだろう。けれど、君一人ぐらいなら、増えたところでどうにかなるはずだ。さあ、行くんだ」


 それにハジーンは即座に抗議の声を上げようとするも、それに被せるようにラヴィも叫び声を上げた。


「どうしてそう簡単に諦めるんだ! 大丈夫だから、早く来い!」


 その瞬間、アルガダブの下で足場が嫌な軋みを上げ、大きく揺れ始めた。いよいよ限界だろう。


「早くしろよ、この分からず屋!」


 ラヴィが叫び続ける中、アルガダブはもう一度ハジーンの体を押そうと手を伸ばした。


「ハジーン、生きろ」


 その手をハジーンは払いのけ、決意を込めた眼差しでアルガダブをしっかりと見つめた。


「あなたを一人にはしないわ、アルガダブ」


 アルガダブもその瞳を見つめ返し、ゆっくりと手を下ろす。


「……そうか。それが君の決意なら」


 そのまま、足場の崩壊は始まった。

 ラヴィは叫び続け、こちらへと必死に手を伸ばし、その手を届かせるために虚空へと飛び出そうとする。

 それを、グリズリーがすんでのところで抑え、抱き止める。

 それでもラヴィは手を伸ばし続ける。自分たちを救おうとして。


「ありがとう、ラヴィ」


 掠れていく視界の中、アルガダブはラヴィにアメルの姿を重ねて見ていた。


「……さようなら、アトルバーン」





 無数の金属の衝突音が鳴り響く。そのあとには、ただただ静寂だけが残った。


「閣下……」


 慎重に遠い地の底を見下ろしながら、フリスビーが小さく呟く。

 その腕に抱かれながら、ラヴィはじっと自分の手を見つめていた。


「届かなかった……」


「お嬢様……」


 ラヴィはその手を固く握りしめると、表情を変えてフリスビーへと尋ねた。


「ビー、お前はまだ動けるな?」


「もちろんです、お嬢様」


「行こう、まだ終わってない」


 ラヴィは涙を堪え、その場に背を向けた。


「今はまだ、立ち止まれない」


「はい」





 瓦礫の山へと落ちたレディはどうにか立ち上がり、体中の土埃を払いながら周囲の状況の確認を進める。


「……クソ、滅茶苦茶だな」


 広大なクレーターの内部に遺された、複層プラットホームとその上にまばらに点在するエメラルドの研究関連設備の残骸の山。旧き文明の墓場。

 その光景に目を走らせていくと、離れた場所のステラとミツキ、ロックとフォックス、それぞれの無事な姿が確認できた。少なくとも、命の無事は。


「けれど、さすがにもう限界か。彼らはよくやってくれた」


 そして、だいぶ離れた場所にアルと、そこに向かうラヴィとグリズリーの姿。

 残る戦力は彼女たちと、自分自身。


 戦闘型ではない自分に何ができるかという話だが、やるしかない。

 レディは覚悟を決め、さらに視線を走らせていく。

 しかし、どこにもスルールの姿は見えない。


 その視線の動きは最終的に穴の中心、最深部へと辿り着いた。

 雑に造られた隔壁の山。その隙間から漏れ出てくる、燃えるような翠色の輝き。


 ふいにレディはそのプシュケーの輝きを通して観察されているような感覚を覚え、怖気を振るった。


「……ダメだ。目を覚ますな。お前の目覚めるときは、まだ今じゃない」


 その言葉を無視するように輝きは増し、地面全体が微かに揺れ始めた。





 掠れる視界の中、アルは上空のスティグマの姿を見つめていた。

 アスタリスクの発するプシュケーを貪欲に吸いこみ、さらなる力を蓄え始めている。

 その力の暴発を考えたら、もうなりふり構ってなどいられない。


 アルは残された微かな力で視線だけを動かし、自分の方へと全速力で向かってくるラヴィとフリスビーの姿を見た。


「ごめんなさい、ラヴィ。直接お別れを言う時間はもうないから。だから、ごめんなさい、さようなら」


 小さく呟き、ゆっくりと目を閉じる。





 アルは自分自身の内部で、もう一人の自分と対峙していた。


「私は、ずっと嘘をついていたんだ。自分は、アレキサンドライトじゃない、って。でも……」


 アルのその言葉を否定するように、もう一人の自分が静かに言葉を発する。


「あなたは、何も間違ってなどいません。あなたは、私とは違う個性。私とは違う心を持ち、私とは違うヒトやゴーレムとの関係性を築き、私とは違う決意と覚悟のもとに行動した」


「でも、やっぱりこの体は、あなたのものだから。あなたなら、この状況をなんとかしてくれるって信じるから」


 アルは、堪えきれない想いを必死に堪えるように自分の体を抱きしめ、言葉を続ける。


「だから、私はあなたに全てを託す」


 その言葉に、アレキサンドライトはしっかりと頷いた。


「これは、私自身の罪なのだから……。そこから逃げたいという気持ちが、あなたを生み出し、あなたに辛い思いをさせてしまうことになってしまった。申し訳ないと、思っています」


 そう言って俯くアレキサンドライトに、アルは優しく微笑み、首を横に振った。


「私は、幸せだったよ」


 アレキサンドライトは顔を上げ、アルの目をまっすぐに見つめる。

 その視線の先で、アルの体が光に溶け、消えていく。


「みんなに、よろしくね」


 その言葉を残し、アルの存在は光の中に消えていった。

 光はそのまま強さを増していき、アレキサンドライトの内部を満たしていく。





「アル!」


 瓦礫の山の上、悪路で速度が落ちたグリズリーの背を降り、ラヴィは自分の足で駆け、アルのもとへと急いだ。

 別の方向から、少し遅れてステラも同じ場所を目指して走っているのが見える。


「アル! 無事か?」


 ようやくアルのもとへとたどり着いたラヴィが叫ぶ。

 それに応えるように、アレキサンドライトはゆっくりと目を開けた。


「良かった……」


 そう心の底からの安堵の表情を見せるラヴィに対し、アレキサンドライトは少しの迷いを見せつつ、言葉を掛けた。


「ごめんなさい、ラヴィさん」


 その言葉にラヴィは何か様子がおかしいのを察知し、表情を変えて黙る。


「アルはもう……、私の中にはいません」


「どういう、ことだよ。お前は……」


「私は、アレキサンドライト」


「なんだよそれ……。何を言ってるんだよ、お前は」


「彼女は、私に想いを託してくれたのです」


「答えになってない!」


 声を荒げてそう叫ぶラヴィの姿に、アレキサンドライトは少し悲しげな表情を見せ、続ける。


「私が目覚めた時点で、イレギュラーな副人格である彼女は、消滅しました」


「なんだよそれ、なんだよそれ、なんだよそれ!」


 事実を認めたくない様子で俯き、そう呟き続けるラヴィの肩を、ようやくその場へたどり着いたステラが優しく抱きしめる。

 そんな二人に対して、アレキサンドライトは首元のペンダントを外し、差し出した。


「これを、受け取ってください」


 ステラはそれをしばらくの間じっと見つめ、ようやくその中心に埋め込まれた石の正体に気付いた様子で、声を上げた。


「この石……。これって、そうなの?」


「この小ささでは、彼女のすべてを再現することは不可能でしょう。けれど、アスタリスクは対象の願いを叶えるために、まずその対象を観察し、内部に対象の似姿を形成します。誰よりも近くで、ずっとアルのことを観察していたこの石なら」


「……アルの、バックアップ、ってこと?」


「……かもしれない、という話です」


 ステラはあらためてそのペンダントを見つめ、受け取ると、それをラヴィの手にしっかりと握らせた。

 ラヴィはそれから少しの沈黙の後、視線を上空で暴れるスティグマへと向け、そのままアレキサンドライトへと問いかけた。


「本当にお前なら、あいつを救ってやれるのか?」


 その問いに、アレキサンドライトは真剣な表情でしっかりと頷いて見せる。


「絶対に。アルが託してくれたこの想いに応えるためにも」


「……分かった。だったら、アルと一緒に、あたしの想いも託す。スティグマを頼む」


 そのラヴィの決意にステラも呼応し、続く。


「私も」


 その二人の想いも受け止め、アレキサンドライトは頷いた。


「離れてください。行きます」


 次の瞬間、アレキサンドライトの体から眩い光が溢れ、ラヴィとステラはその場を一歩、また一歩と後ずさりしながら離れた。


 すぐにその光は収まっていき、あとには、一体の巨人の姿が残されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る