第21話 ヒュドラ釣り ⑦
勇ましいダリアの関の声を耳にしたアミラは、爆煙の収まったばかりで目を回しているヒュドラを睨んだ。
これからアミラは久しぶりの本来の魔法釣具ソルティアの力を解放させる。完全に制御できるかどうかアミラ自身でも怪しいところだが、それでも完全にヒュドラの首を落とすにはこの力を借りるしかない。
「行くよ、ソルティア。——ヒュドラ! お前の首を傷つけたのはこの私だ! 今からその落とし忘れた惨めな首を一本貰い受ける!」
ソルティアに衝撃波とは違う類の魔力を流し込む。感じる、ソルティアが変質しようとしている。
「ダンジョンの主とも呼べるヒュドラがたった三人の人間にここまでされるなんて、惨めで、愚図で、鈍間で、威厳の欠片すらないわね! それとも――貴方が特別弱いヒュドラなのかしら?」
どこまで言語が理解できるか分からなかったが、その時確かにソルティアはヒュドラの怒りをその刃に感じ取った。
狂気的な怒りの感情、人間よりももっとシンプルで強烈な殺意と暴力の波動をソルティアからアミラは感じ取った。
ヒュドラの感情に飲まれそうになりながら、アミラは意識を必死に保ちつつ全速力で駆け出した。
まだ視界がぼやけたままらしいヒュドラは傷だらけの全身を震わせて必死に目を開けようとしている。
さらに近づくと自然治癒の力か七割方切り裂いたと思っていた首が再度塞がろうとしていた。ただ連続で攻撃をしたことで、その傷はまだ完治が追い付いていない様子で薄く傷跡が視認できた。
目標となる損傷を受けた一本の首は頭上よりも遥かに高い位置で何度も瞬きをしている。それでもその瞳の奥には憎しみの色が燻り、正気に戻ると同時に全部の首で襲い掛かるぐらいの好戦的な気持ちはあるかもしれない。
「ここだ、ヒュドラ! お前の仇はここにいる!」
先ほどより一層の激情がソルティアを通してアミラに流れ込んでくる。人であろうとする自我に強引に潜り込み暴れようとするヒュドラの意識を飼いならすように、行き場のなくなった獣の感情を剣へと逃げ出す導線にした。
「へへ……お前の感情を変質させてもらう! 感情変質、怒り!」
——魔法釣具ソルティア。
その能力は衝撃波を放つことと、変質させる能力。剣の伸縮はもちろんだが、さらに踏み込んだ使用方法としては――剣が標的の感情を察知し、それを物理的な要素に変質させる能力である。ただし、使用者はその踏み込んだ変質能力を使用する際に一時的にモンスターの強い感情を共有することによる精神的な負担を受けるため、コントロールをするまでには相応の訓練を必要とする。
そして、今まさにそのソルティアを継承したアミラが変質能力を発動させた。
「いっけええええぇぇぇ――!」
ヒュドラから読み取った感情は燃え上がるような怒り。
怒りを読み取り変質させたソルティアの刃が炎を吹き上げた。
高温かつ高濃度の炎の刃が天高く立ち昇りそのまま地面に吸い込まれるように振り下ろされた。首が一本、さらには二本、三本と肉の焦げた臭いと共にヒュドラの首達が炎の剣の進行方向を追いかけるように落下していった。
よほど逆鱗に触れたのか、感情変質の力により増幅する炎の力はアミラが考える以上の効果を発動させた。それと同時にアミラの心の中には気も狂わんばかりのヒュドラの敵意と殺意の感情の濁流が押し寄せた。
考えていた通りヒュドラの中には九つ分の思考がある。それゆえに、一撃でヒュドラを首を落とすほどの力を手にすることができた。その代償がこれだ。
体の内側で獣が暴れまわり、自制心を喰らい尽くしていった。
僅かでも受容した怒りの感情に身を委ねれば、そのまま意識を全て奪われて自分が自分でなくなりそうだ。
ほぼ気合で目を開けて視線を動かすと、こちらの気なんて知らずに気を失うクルスの姿が視界に飛び込んできた。頼りなくて年上に思えないような相棒だが、今は彼が心を保つことのできる希望だった。
「まったく……小娘に、信頼しすぎですよ」
過去に二度の暴走をしたことがある感情変質の力だが、不思議とクルスの姿を見ると心に抜け穴ができたかのように熱く黒い感情が水桶の栓を引くようにして身体の外へと抜けていった。
「アミラ、危ないっ!」
ダリアの声がした、虚ろな意識で上を見上げると脱力したアミラを狙って残り六本のヒュドラの首が迫っていた。
今にも倒れそうなアミラに気付きダンジョンへ帰還する前に己の首の仇を討とうとしているのだろう。
そんなヒュドラの気持ちがアミラは何となく理解できた。もしモンスターからクルスが殺されて自分が片腕を失ったら、死ぬ前に相手の命ぐらいは貰っていくだろうと思った。その時に渦巻く感情はきっと痛覚を忘れるほどの憤怒だろう。だが、ソルティアから感じるヒュドラの感情は違う。——怯えだった。
強者に対しての恐れに冷静になれずにヒュドラが向かってきているのだ。
溜め息を吐いたアミラは再び感情変質を発動させる。
「大丈夫ですよ、ダリアさん。逃げる必要はありません、このまま殺します。……感情変質——恐怖」
軽く楽器でも奏でるようにアミラは右手に持ったソルティアを持ち上げた。
本当に剣の形をした楽器で演奏でもしたかのように、ざざざざと細かい粒が何かにぶつかるような音が周囲に響いた。局地的な吹雪がダリアの視界を埋め尽くしたと思った次の瞬間には、首を六本だけしか残っていなかったヒュドラは氷漬けにされていた。
巨大な氷山がそこに出来上がり、そのままヒュドラは開口したままで停止していた。超低温の氷の世界では、さすがのヒュドラも生命活動を止めていた。
「アミラ!」
駆け寄ってくるダリアに言葉を掛けようとしたが、激流のような強い感情に二度も心の中をズタズタにされたアミラは剣で体を支えて立つことが精一杯だった。
何とかダリアが倒れこむアミラを受け止めたところで、その柔らかな温もりに包まれてようやく安堵の息を漏らした。
「……後はよろしくお願いします。私とクルスさんのことは構わず、すぐに血清の用意を……」
そこまで言うのが限界で、焼き切れそうな脳みそを一秒でも早くアミラは休ませたかった。本当なら無事に解毒薬を作るところまで見ておきたかったが、そこまで我慢してしまえば廃人になるのは目に見えていた。
今回の功労者の一人を抱きしめつつ、ダリアは強く頭を撫でた。
「うん、うん、うん……よく頑張ったね、アミラちゃん。本当によく頑張ったよ! 絶対にセフィアは救うから、もう安心してお休み……」
頭や頬に温かな雫が触れることにアミラは気付いた。
意外と神経が太そうなダリアでもこんな風に泣くなんだなと他人事のように思えたので、自分の頭の中はまだまだ大丈夫そうだと思えた。
人の温もりと人を想う強さに救われた誇らしい気持ちで、ようやくアミラは全身の力を抜くことができた。
「涙は、全てが終わるまで取っておいてくださいよ……。でも、まあ……よろしく……お願いします……」
アミラの手から剣が落ちるのと意識が落ちるのはほぼ同じタイミングだった。
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