第19話 ヒュドラ釣り ⑤
投入したサビキ仕掛けをそのまま放置していれば、近くの岩場に絡まり引っかかりそこで釣りは終了だ。だからこそ、糸から針にかけての操作に集中力を注がなければならない。ただ飛ばすだけではない、無数にある針をぶつけることなく目的地にまで届けるのだ。
先ほど地脈を探った時に脳内で描いた地形図を沿うように仕掛けを目的地に誘導する。
岩に引っかかると思えば集中させた意識を接触する恐れのある針先に向けて力を調整し、速度が落ちてきたと思えば枝状になった釣り針達を支える幹となる釣り糸に魔力を込めなおす。
全身に錘をぶら下げながら全速力で暗闇を駆け抜けるような状態に心身共に重圧を感じる。
盛大に零れていく魔力に息は上がり、気が抜けない操作に意識が削られ、失敗は許されないという崖っぷちの状況に発狂しそうだ。
それでも――崩れそうな体を二人がそっと支えてくれているような気がした。
この五年間一人でいたが、辛くても苦しくても今は悪い気はしない。むしろ、昔に比べてずっと視野が広がってるようにも思えた。
「頼む、届け。届いてくれっ」
らしくない、無様な釣人の姿が今の俺だ。だけど――。
「がんばれ、負けるな……クルス」
ダリアの穏やかでも芯の強い声がした。
汗で滑り落ちそうなロッドを今一度握りなおした。
「貴方なら、絶対に釣り上げることができます。信じてます、クルスさん」
顔が熱くなるのは体が辛いだけじゃない。
こっちが照れてしまうほど、一直線な言葉をアミラはいつもぶつけてくれる。ふざける時もおどけた毒舌も、俺の足がすくんだその時でさえも――。
「——もう大丈夫だ」
誰に言ったのだろう、誰に言い聞かせたつもりだろう。
自然とその言葉が漏れた刹那、仕掛けは目的地に到着した。そして、その時を待っていたかのようにヒュドラは全ての針に一気に喰らいついた。
※
正確にはヒュドラなのだが、サビキ針が一斉にダンジョン内部で暴れ始める。獲物からしてみたら餌に喰いついたかと思えば鋭い針で口内を傷つけられたら、それは当然の反応だ。
自分の手指全てをでたらめに引っ張られるような感覚だ。それを必死にひとまとめにするように分散した力を集中させる。
ここからは針が引っかかる心配だけは無くなる。後は力のまま外に釣り上げるだけだが――。
「熱っ――!」
魔法糸に何か熱湯のような液体を流し込まれるような不快感。思わず片膝をついてしまうが、抱くようにして必死にロッドを離さないようにする。
「クルスさん!」
不快感なんてものじゃない、魔力糸の芯が溶けていくような感覚。そこでようやく気付いたのは、今自分が受けているのはヒュドラの毒だ。
「毒だ……。まさか、ヒュドラの毒が魔力まで浸食することができるなんてな……」
「それなら、このままではクルスさんが……!」
魔力糸を通じて、俺の神経に毒を流し込んでくるのが分かる。魔力糸にもダメージがあるようで、少しずつ痛んできているのが感じ取れた。
このままなら、魔力糸が途中で切れてしまう可能性も出てきた。
「心配ない、アミラはそのままの態勢でいろ! 大丈夫だ、噛まれたのは魔力糸だ。俺が直接噛まれていないなら、セフィアみたいにはならないはずだ……。——ダリア、ピトンを持ってきてたよな!?」
「——もう持ってきてるよ!」
俺が苦しみだしたのを見て既に駆け出していたダリアは、その手に先端が鉤状になった鉄の棒——ピトンを握っていた。
「刺せるか!?」
「それぐらい当然だよっ」
「任せたっ」
駆け寄ってくるダリアは俺とロッドの中間の位置に滑り込むと、先が鋭利になった鉄の棒ピトンを地面に突き刺した。
すかさずピトンの鉤状になった空間の部分にロッドの中間位置を預ける。それだけで、ぐっと体が楽になってきた。
ピトンとは一見すると先が半月状の輪になっている先が鋭利な鉄の棒。ただしこの棒に魔力を込めると、どんな硬い地面や岩でも貫通し突き刺さるようになる。そして、魔力を帯びたピトンにロッドの支点を預けることにより大型モンスターを引き上げる力を補助してくれる優れた釣具だ。
今なおロッドはヒュドラをダンジョンから引っ張り続けている。ピトンのお陰か、その速度も増している気がする。それはそうだ、ダリアの魔力分のピトンの力も加わり二人掛かりでモンスターを引き上げているようなものだ。
「抵抗が激しいが……後少しだ!」
相変わらず毒の影響は残ったままだが、ピトンに片足を乗せて全身で踏ん張った。
ダリアの魔力をピトンから感じ、体内の淀んでいた魔力が少し和らいでくる。ここまでピトンに助けられた経験はないので、きっとこれはダリアの魔力の才能に助けられているのだろう。釣具屋ではなく釣人の才能も彼女にはありそうだ。
長距離を走った時のように呼吸は荒くなるものの、魔力糸の間隔から徐々にヒュドラが近づいてくるのが分かった。
「アミラ! 準備しろ、奴が出てくるぞっ」
ちらりとアミラの方向に目をやると、剣を右手に持ち腰を低くし戦闘態勢をとったアミラの姿があった。返答がない代わりに、愛剣ソルティアからは攻撃的な魔力の迸りが視認できた。
「余計なお世話だったな……。後は頼むぜ、二人とも」
地響きを建てながらダンジョンの闇から九つの首が姿を現した。
憎悪、憤慨、殺意、ありとあらゆる憎しみの形がその蛇の顔をした九つの面相に表れていた。
ざっと見ても二十メートルほどあるダンジョンの穴を削りながら出現するその姿は、昔の俺が見たモンスターの中でも上位の巨大さだ。ここでヒュドラが出たからといって、ロッドを離すわけにはいかない。まだ奴の巨体は首しか外に出ていないのだ。まだまだ釣り上げている途中なのだ。
全身が九つの大蛇で形成されており、首が二つのみ多頭で産まれる。だがヒュドラが成長していく中で、経験をしていき首が増えていくのだ。現存する目撃情報で最大は十三の頭を持つヒュドラだ。そのヒュドラを釣り上げたパーティの人数は五十人ほどだったらしい。
(考えれば考えるほど、無謀な挑戦をしているよな)
だがそれをさせてしまうのは、アミラの実直さかダリアの自信かそれとも単に俺が馬鹿だからか。今になって後悔しても遅い。馬鹿は馬鹿なりに突き進むだけだ。
腰を落として尻を地面につける。体の重さでどうこうなるものではないが、こうすうることにより魔力の流入がしやすくなる。
自然とピトンからロッドが離れ、魔力糸が出ていた先端が天辺を向き、ロッドの尻の部分が地面に接着した。ヒュドラを引き続けているロッドが真っすぐになったのは一瞬ことで、大きく湾曲しつつじりじりとヒュドラを引き上げる。
夜明けは近い、空は青く染まり、少しずつ陽光が射すことだろう。だが、その時には全ての決着がついているはずだ。
「悪いな、首の一本を妹への土産にさせてくれよ」
最後の力を振り絞りロッドを握り後方へと駆け出した。
少しずつ魔素が抜けて弱体化しつつあるヒュドラは思いのほか簡単に最後の数メートルをダンジョンから引きずり出された。そして、頭に血が昇るように意識がぐらりと傾くのはこの俺だ。
ロッドを握るこすらままならなくなり、ロッドを放り投げるようにして手放した。それと同時に魔力糸は途絶え、背後から聞こえるのはヒュドラ達の咆哮。声に差異はあれど、とても外に出て喜んでいるような声じゃないことだけは分かる。
続いて体を駆け抜けるような衝撃波の余波を感じた。
釣りが次の舞台に上がった音を耳にしながら、そのまま崩れるように俺の意識は途切れた――。
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