第13話 逃げ出したその足で救うために
「痛い」
気付けば太陽は沈み、少しずつ星空が輝きだそうとしていた。
昔と変わらぬ夜空だが、今は昔と違って見える。
早く大人になりたくて、すぐにここから出て行きたいと思っていた俺が見上げた夜空のその先の星達は、何故だか俺を責めているように感じた。
「哀愁に浸っている場合ですか。顔腫れてますよ」
隣に座るアミラが近くの川で冷やしてきたタオルを俺の頬や目元に当ててくれていた。
酒場での喧嘩だが、こちらの圧倒的な格闘技術の前に目の前の二人を一瞬で地に伏せた。——ということはなく、互いにボロボロになりながらあちらが匙を投げる形で喧嘩は決着がついた。
お前みたいな頭のおかしな奴は二度と帰ってくるな、と切れた口元で長髪の男から怒鳴られたので、こうなるといっそ清々しい。
ただ二人分の拳を一身に受けた俺ももちろん無傷ではなく、あちこち痛む体を引きずるようにしてトライハード家の屋敷の庭の大木の下で横たわっていた。
「もっとカッコよくいく予定だったんだがな……」
「モンスター相手ならよかったかもしれませんが、喧嘩慣れしていないのすぐに分かりましたよ。けどまあ……あの場であれだけ立ち回れたら充分ですよ」
いつになく優しげな声色でアミラは語りかけてくる。
「勝手にあんな宣言したけど良かったのか?」
「それを私に尋ねる時点で凄くヘタレですね。そもそも、最初に誘ったのは私ですよ。クルスさんに相棒になってくれと言われたら本望です」
俺自身も恥ずかしい奴だと思っていたが、アミラもなかなかさらりとこちらが赤くなるような発言をしてくる。
明かりの灯らない屋敷の背に夕日が沈んでいく。今日という一日の終わりに、ここには誰も住んでないことをありありと実感した。
「なあ、相棒。少し話を聞いてくれないか」
「ええ、長い話でも構いませんよ」
気の利いた応答に、俺は微笑んだ。
「妹の話だ。……セフィアはさ、釣り道具を制作する仕事をしたいと願っていた。最低限の釣人としての知識や技術は持っていたが、どちらかと言えば不具合の出た釣り道具を整備したり後方からの魔法による武器の強化が彼女の仕事だった」
「魔法使い!
「そうだよ、才能のある妹なんだ。そんなセフィアは、後方のはずが前線に出てしまうことになった。理由は紛れもなく、足りない人員の穴埋めだ。そして、もし俺がこの家に残っていたら起こるはずがなかった事故なんだ」
記憶の中のセフィアは壊れたロッドを嬉々として修理してくれた。俺もいつか技術者になるかもしれない彼女の練習になればとよく頼んでいた。
少し息苦しさを覚えながらも、新鮮な空気を求めるように深呼吸をした。
思い出の世界に逃げようとしても、呼び覚ました記憶はトライハード家の跡取りとしての辛い日々だった。どちらかといえば、泣いたり理不尽に肩を落としている思い出の方が圧倒的に多かった。
金儲けを優先することなく、トライハード家の誇りを守る親父はあまりに高尚すぎたのだ。まだ金の亡者で保身に走る親父なら素直に嫌いになれた。だが親父が示した道標は先を照らすだけで良かったのにあまりに眩しすぎて、上手く歩くことはできなくなった。強すぎた道標に道を見失ったのだ。
「なあアミラ……。俺が逃げたから、こんな事になったと思うか?」
気が付けば、そう呟いていた。心から漏れた声だった。
命懸けでダンジョンに生息するモンスターと戦う日々、それは誇るべき仕事だった。そこから逃げた俺は、もう二度と胸を張って生きることは許されないことをしてしまったんじゃないのか。そしてその結果が、セフィアの未来を潰したのだとしたら?
「——違います、思い上がりもいいところですね」
断言されたことで否定されることを期待していた自分に気付き恥ずかしくなるが、アミラはひたすら真っすぐに俺を見つめていた。そうだ、この眼差しを受けたからこそ前に進もうと決めたんだ。
この目が俺に訴えかけてくるのだ、本当にこれでいいのですか。と。
「貴方が家出をして、それで釣りができなくなるほどクルスさんの家族は弱い方達だったのですか。クルスさんを探していた道中、トライハード家の皆さんの武勇伝……クルスの抜けた穴程度は埋めることができる、いや、実際にそれからしばらくは彼らは難なく仕事をこなしてきた。もう一度告げます、自分のせいで今回のような事件が起きた……思い上がりも甚だしいです」
ぐうの音も出ないほどの正論を前にして、反論をしようにも弱った気持ちのままでは相棒と口論する力も湧いてこない。
黙って下を向く俺にアミラは大袈裟に溜め息を吐いた。
「言い返すこともしないのですか、それならいいでしょう。勝手に自分を責めて、落ち込んでいたらいいですよ。ですが言わせていただけるなら、クルスが居ない程度で貴方の家族は息子を責めるほど弱い方達なのですか。クルスのお父様とお母様は、自分の仕事の失敗を息子である貴方に責任の所在を委ねるような弱い方なのですか」
罵声に近いアミラの言葉に、無自覚に強く拳を握っていた。そして心のままに、俺はアミラに言い返していた。
「馬鹿なことを言うな! あの人達だからこそ、俺は安心して家を飛び出すことができたんだ! あの人達は、俺やアミラが考えているほど弱い人達じゃないっ」
そこまで言って、したり顔をしたアミラと目が合う。彼女の考えが手に取るように分かり、首から上が熱を持ったように熱くなる。
あぁなんてことだろう、年下の女の子には俺はこうも簡単に掌の上に転がされてしまうのか。羞恥心で身悶えしてしまいそうだが、もしこれが相棒との交流だというなら悪くはないのかもしれない。
アミラは上品そうに両手をぽんと合わせた。静かな屋敷に、新しい展開を知らせるように手を叩く音だけが響いた。
「さぁ、相棒としての初仕事は終わりました。……ご家族大好きのクルスさんの本音が聞けたことですし、これからやることはもう決まったはずです」
火照った熱をかき消すように頭をがしがし掻き、挑戦的なアミラの視線を真っ向から受け止めた。
「目標のヒュドラを釣り上げてセフィアを助ける」
右手を拳の形にして、俺はアミラに突き出した。
「え、暴力ですか、こわ、相棒解散ですね」
「違うわ! これはあれだ、相棒同士のこれから頑張ろうぜ的な挨拶だよ」
見事にアミラの顔には”分かりませんね”という表情が浮かんでいた。
そりゃ俺だってこんな気恥ずかしい真似はしたことないが、やりたくなったし彼女とこういう相棒としての通じ合いたいと思ったのだから仕方がない。
めげずに俺は拳を突き出した。これで無視されたら、さずがに恥ずかしくて引きこもりそうだ。今引きこもるとしたら、サンテスさんの家になるかもしれないが。
「思春期のまま生きてきたクルスさんですから、こういうノリは仕方ありませんね」
こつん、と小さく拳に感触を感じた。触れた拳の先にはアミラの左の拳が重なっていた。
照れた横顔に胸の奥から嬉しさが込み上げてくるがこれで抱きしめたら、先ほどとは違う意味でコンビ解消されそうだったので、行動に移すのはやめておく。
さっとアミラは手を離すと、照れを隠すように背中を向けた。
「改めてよろしくな、相棒」
その背中に声を掛けた。アミラの背中に迷いはない、根回しに余念のない彼女のことだ、既にサンテスさんからセフィア達の情報を得ていることだろう。
「ええ、大きな弟を連れているような気分ですが……。改めましてよろしくお願いします、相棒さん」
今はアミラの軽口に口元が緩んでしまいそうなほど親近感を覚える。
行こう、アミラは希望を教えてくれた。それなら、その光を絶やすわけにはいかない。これからは、その希望を現実に変える番だ。
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