第11話 空白の日々と後悔

 家人が帰宅することのない閉ざされた屋敷の前で粘っても仕方ないので、事情を知っているらしい隣のサンテスさんの家に俺達はやってきた。

 幼い頃はよくサンテスさんを実の祖父のように慕っていたが成長するにつれて足を運ぶことも少なくなっていたサンテスさんの家に到着した。レンガの壁には年季が入ったことで記憶よりも所々色が落ちており、否が応でも時間の流れを感じさせた。

 手先の器用なサンテスさん手製の木製のテーブルに腰かけ、俺達の前にカップが置かれると対面する形でサンテスさんも座った。


 「頼む、サンテスさん。身勝手なのは承知で教えてほしいんだが、俺の家族は……どこにいるんだ」


 深刻そうにサンテスさんは唸る。

 はっとした俺は口を開きかけたサンテスさんの声を遮った。


 「ちょっと待ってほしい、今から話すのは深刻な事態なのか」


 顔をしかめて禿げた頭をぽりぽりと掻いた。

 

 「ええ、深刻です。私が旦那様の傍にお仕えしている間で、一番の危機と呼べるかもしれません」 


 そりゃそうだ、あの屋敷は子供の俺から見ても父の宝のような場所だった。手入れを欠かさず壊れた個所は金に糸目を付けずに修理をしていた。そんな屋敷を出て行くというのは、よほどの事態があったということだろう。


 「や、やっぱりか……。なあ、アミラ」


 「何でしょう、これ以上の醜態を晒すおつもりですか」


 「ドキドキするから、少し手を繋いでもらってもいいか」


 「死ぬほど気色悪いので、黙って着席してサンテスさんの言葉に耳を傾けるか家から出て行くかのどちらかを選んでください。……それに、こういう時にそういう冗談を言って自分を誤魔化さないでください」


 吐き捨てるようなアミラの言葉に痛いところを突かれた俺は沈黙をした。もしここが室内じゃなければ、足元に唾でも吐いていたような嫌悪具合だ。

 和むような雰囲気じゃないことは分かっていたのに、どうしてもこの場から逃げるような発言をしてしまう。確かにこのままでは、15歳の俺と何も変わっていないように思える。


 「あ、あの……」


 「失礼しました、サンテスさん。どうぞ、お話を再開してください」


 襟を正すようにアミラが言った。


 「すいません、冗談を言った俺が悪いです。ちゃんと真面目に聞くから、教えてください」


 困り顔をしていたサンテスさんだったが、ようやく俺がしっかりと頭を下げたことで話す気持ちになったようだ。それから、軽く茶を含んだ後におずおずと過去を語りだした。


 「一年ほど前、トライハード家の皆さんはいつものようにダンジョン釣りに出かけました。それはギルド直々の依頼でした。標的は、あのヒュドラです」


 「ヒュドラが!?」


 いくら親父達とはいえ、厄介な相手だ。依頼でもなければ、もし出現情報が出たなら釣り人達は竿を片付けて撤退するようなモンスターだ。


 「すいません、そのヒュドラとは何でしょうか」


 挙手をして尋ねるアミラ。

 あまり広く知られていないモンスターだから、この反応も当然だろう。専門ではないサンテスさんの代わりに俺が答えることにした。


 「現在、発見調査されているモンスターの九割は解毒剤が開発されている。だけど、ヒュドラの毒は解毒剤が効かないその一割に該当するんだ。厄介なのはその性質でヒュドラは体内に猛毒を生成するが、その毒は個体によって変化する。もう分かるだろ? 解毒剤を作ろうと思えば毒がいる。その毒が個体ごとに違うなら、どれだけ解毒剤を作ろうとも無駄になるのさ」


 父の死を連想したのだろうアミラはその表情に陰りを見せた。父をダンジョン釣りで亡くしたなら、最悪の想像をしてしまうのも当然だろう。

 父の犠牲と連想をしてしまい不安がるアミラには悪いが、俺はまだそこまで悲観はしていない。

 ダンジョン釣りの最中に運悪く家族が死んでしまっているなら、サンテスさんは遠回しな話し方はしない。幼い時に兄のように慕っていたパーティの一人が死んだ時もサンテスさんは子供だからと誤魔化すような真似はせずに正直に明かしてくれた。こういう順序立てて話をしようとする時は、結果以外を語る必要性があるのだ。


 「サンテスさん、親父達はその厄介な相手を釣り上げたんだな。あの連中なら、それも難しい話じゃない」


 「はい、坊ちゃんのおっしゃる通りです。ダンジョンから釣り上げたヒュドラと皆様は対峙した際、不運にもお一人が負傷してしまったことで撤退を余儀なくされました」


 隣でアミラが息を呑んだ。

 半ば予想していた展開だけに、次の発言を言い辛そうにするサンテスさんの次の言葉を促すのは俺の役目だろう。


 「ごめん、これからの話が一番言い辛いことは分かるけど遠まわしな言い方はやめてくれないか。これでも、ダンジョン釣りをやっていたんだ。覚悟はできている……誰が毒を受けたんだ」

 

 昔からサンテスさんは優しい人だ。俺やその姉妹が悪戯がバレた時や困るような事実を語る時は、逆にいつも回りくどい喋り方をする。次の発言は、俺が困ることが確定しているということだ。


 「失礼しました、はっきりと申し上げます。現在ヒュドラの毒を受け、療養をしながらも一向に効果は出ず、延命措置をするしか方法のない御家族のお名前は……セフィア様でございます」


 名前を耳にすると同時に無意識に奥歯を噛みしめた。


 「セフィアが……。あいつ、下手に魔力を使う才能あったから昔からいつも無茶ばかりしていたからな……。それに、家族を一番愛していたのもセフィアだった……」


 頭に身内の顔を思い浮かべた時にもしかしたらセフィアではないかという予感はしていたが、こういう時の勘は当たるらしい。


 「あの、セフィアさんとは……」


 珍しく質問しにくそうにアミラが挙手をした。

 当然か、身内が死にかけているのだ。短い間しか共に過ごしていないが、彼女が他人の心の痛みが分かる人間だということは知っていた。


 「セフィアは俺の妹だよ。本当だったら、釣り道具を作ることが彼女の目標のでな戦闘面は補助が専門で、どちらかというと後方で待機することに向いていた。……パーティを募集しても、ヒュドラを狙いたがる人間は少ないし、緊急の依頼なら昔から付き合いのある仲間も集まらない場合も多々ある。その結果、家族総出でダンジョン釣りを敢行し犠牲者が出た。きっと、それは――」


 ――俺が家出をしたせいだ。


 その声を発することをぐっと堪え、何か言いたそうにするアミラ達をその場に残して俺は逃げるように外へ向かおうとする。


 「待ってください、クルスさん」


 そのまま脇目もふらずに出てしまえば良かった。それなのに、俺はアミラに声をかけられて条件反射的に振り向いてしまう。


 「そんな顔をして、どこに行くつもりなのですか」


 心を見透かすようなアミラの眼差しを受けて、俺は自分の顔に触れた。


 「はは……俺に俺の顔なんて分かるわけねえだろ……」


 瞼を閉じてアミラはゆっくりと首を横に振り、そしてもう一度あの真っすぐな眼差しで俺を見据えた。


 「自分がどんな表情をしているか分からないクルスさんを一人にさせておけません。どうしても、出て行くなら一度自分の顔を目にしてください」


 何も言い返せない、ただ外に出て行くだけのつもりだった。いや、本当にそれだけか。俺は一体どんな顔をして、ただ外出しようとしていたんだ。


 「ぁ……く……悪い、アミラ……」


 ここは息苦しい、このアミラの優しさが俺の心を締め付けた。

 今度こそ、サンテスさんからも呼び止められる声を無視して俺は家の外に走り出した――。

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