第8話 彼と少女の過去 後編

 まず地面に立てていた爪を抜いたジャバヲォックがこちらを物色するように目を細めた。

 ダンジョンへと戻ってくれ、と心の中で何度も願ったがジャバヲォックは舌なめずりをしながらこちらへ前進を開始した。

 攻撃を受けてピクリとも反応しないレイジさんに、力尽きて動けない俺。唯一動ける少女は混乱して周りが見えていない。


 余裕すら感じさせるのしのしとした足音をたてながらの近づいてくるジャバヲォックを恨めしい気持ちで睨みながら全てが終わったと思った。もう間もなく、俺もアミラ達も喰い殺されるだろう。そう覚悟した直後、ジャバヲォックは悲鳴を発してた。

 うなだれていた顔を上げるとダンジョンの前で、具体的に言うならジャバヲォックの前方で一人の男が剣を振り下ろしたところだった。


 「あぁ……父さん……」


 父の剣はジャバヲォックの血で濡れていた。

 片目を斬られたことに加え、目の前に獲物との間に颯爽と飛び込んで来た男の実力を直感で理解し、悔しそうな呻き声を上げながらジャバヲォックは再びダンジョンに戻っていった。


 「どういうことだ、クルス」


 振り返った父は鬼のような形相で俺を見ていた。感情をここまで表に出すことは珍しく、冷静な父はモンスターと相対した時も滅多に見せない表情をしていた。普通なら傷ついた息子にみせるような顔ではないだろうが、その激怒した表情を向けられる理由は嫌というほど理解できた。

 力の入らない体では自分やレイジさん達の為に謝ることもできず、そもそも動くこともできないままでいると近づいてきた父は俺の胸倉を掴んで頬を殴打した。

 俺の顔面を殴った父は掴んでいた手を離した。自然と地面に倒れこむ形になり、このまま気を失いたい気持ちになる。しかし、この事件の原因は全て俺の責任だ。自傷を求めるような気持ちで、罪悪感に溺死しそうな脆弱な意識を何とか持ち直す。


 「愚か者め、お前の自惚れが招いた結果を目に焼き付けろ」


 再び伸ばした父の手は俺の後頭部を髪の毛ごと握りしめるような力で掴んだ。物でも扱うように乱暴に投げ捨てるように地面に手放した。

 土と血と涙の味を感じながら、俺の両目はアミラのおじさんの顔を目にした。


 「ひっ――」


 レイジさんの両目からは生気が消え、青白い顔は死人そのもので、半開きの口元からは体液が溢れていた。――レイジさんは死んでいた、もう助からないのは明白だった。

 死体を目にしたことがなかったわけではない、ダンジョン釣りに向かったら偶然前の釣人達がモンスターに殺害されているのを見てしまったこともある。

 ただ今回は違う、この人の死はダンジョン釣りを侮った――全て俺の責任だ。

 浅はかな考えでパーティを組んでしまったせいで、俺はレイジさんの命とアミラの父親を奪ってしまった。

 先ほどまでは、本気で助かると思っていた。自分の命を投げうってでも救いたい命だと思っていた。しかし今となっては、もう二度と目を開けることはない。


 ——―お父さん、お父さん、お父さん!


 そんな権利すら与えられるはずがないのに少女が父の名前を呼ぶたびに俺の心を消耗させた。


 「立て」


 冷たい口調で父さんは言い放つが、両足の骨でも抜けてしまったかのように全く力が入らない。いや深層心理が立ち上がることを拒んでいるのだ。


 「立て、と俺は言ったはずだぞ!」


 首根っこを強引に引っ張られ、目の前に父さんの顔があった。怒りと情けなさが混じる表情で両目は真っ赤に充血していた。生まれて初めて見た父の顔だった。


 「目を逸らすな。あの二人に何を語ったのか知らないが、これはお前の招いた結果だ」


 父が手を離すと、俺の体は吸い寄せられるように地面に叩きつけられた。

 痛みなんてない、冷たくなった心が痛覚を感じさせてくれない。この時ほど痛みを求めたことはない、自傷してでも自責したかった。


 「ごめんなさい」


 ようやく出た言葉がそんなありきたりなものだった。


 「情けない、口先だけの謝罪で済む問題ではない。それに彼らの中では、もう終わった問題だ。何も始まらない、彼らの未来が奪われたからだ」


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。ひたすら俺は謝罪の言葉を口にし、父は呆れたように俺の体を放り投げた。

 少女とレイジさんに父は歩み寄ると、何か二、三言葉をかけた。暗くてその表情を伺うことはできなかったが、父は少女の肩に優しく手を置いた。ただ一言、父の口から読み取れた言葉は――すまない、だった。


 後でやってきたギルドの人達から心配されて、その安心感から力が抜けて意識を失った。

 その後のことは分からない、これだけの失態を犯しながら都合よく記憶を失っていたのだ。

 重要な部分の記憶だけを都合よく失った俺に残されたのは父に対する潜在的な恐怖とダンジョン移りに対しての精神的な重圧だけだった。

 決定的な事は分からないが、あの日からダンジョンへの嫌悪が増した。説明もできずはっきりとした原因も分からぬまま月日を重ねたことで、ダンジョン釣りをすることができなくなるまであの時の心に宿った不快なダンジョンに対する忌むべき感情が、過去から、ダンジョンから、背中を向けさせた。

 そうやって俺はダンジョン釣りを嫌になっていったのだ。そんな情けない理由で、ただあの日の罪から逃げるために――。


 ――俺はすべてを思い出した。

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