2話 神様採用(2) - 絡み酒
城下は、背後から聞こえてきた声に恐怖で足がすくみ、動けなくなってしまっていた。
それはどう考えても、野良猫や、葉っぱのこすれる音などでは、説明が出来そうにない。突然、誰かが現れたと考えるのが自然だった。もちろん、後ろを振り返る勇気はない。
そのまま何もできずに立ち尽くしていると、後ろから、物音が近づいてるのに気が付いた。
それは足音のように聞こえる。
それでも、体は動かない。一歩ずつ近づいてくる足音が、すぐ後ろまで来たときに、城下の恐怖は最高潮に達した。
「ねえ、君。もしかして私の声、聞こえてたりするかな?」
「――ッ」
城下がビックリして横を見ると、満面の笑みを浮かべる女が、日本酒の瓶を片手に持って、覗き込んでいた。女は、ちょうど酔っ払いのおじさんのように、城下の肩に腕を回して寄りかかっている。
城下は動揺を悟られないように、極めて平静を装って対応する。
「あああなたはどちら様ですか?」
「お、完全に見えてるみたいだね。珍しい。私は、神様だよ」
城下は直感で、常識はずれなことが起こっていると理解しながらも、あくまで不審な酔っ払いに絡まれた体で話を進める。
「いや、そういうことではなく……。もしかして、この近所にお住まいの方ですか?」
近所の酔っ払いである可能性にわずかな望みをかけてみたが、反応を見る限り違ったようだ。
女は、急につまらなさそうな顔をした後に、城下から一旦距離を取る。
距離を取ったと言っても、寄りかかるのを止めただけで、見つめ合える距離には居座っていた。そして、さまざまな角度から、まじまじと、城下を観察して様子をうかがい始める。
ここで城下も、女の全貌を見ることができた。女は、赤い着物を着ており、それは派手すぎない程度に、
城下が「まるでどこかのお姫様みたいだ」と思って見ていると、女はニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべ、突然大きな声を出した。
「――わっ!」
「うわぁぁぁ!」
城下は思わず大声を上げて尻もちをついた。そして最後の力を振り絞って、そのまま後ずさりをする。
それを見て、女は腹を抱えて笑い出した。
城下はポカンとその様子を見つめているが、次第に警戒心が薄れ、事態を飲み込むことができるようになっていった。
「驚かして、すまなかったね」
女から手を差し伸べられると、城下はその手を取り立ち上がった。
「早速だが、君の願い事を聞かせてほしい。これのお礼に、叶えてあげるよ」
そう言って、手に持っていた日本酒の瓶を、ぐっと前に突き出して見せつけてきた。
「ちょっと待ってください。その前にあなたは一体何者なのでしょうか?」
タダより高いものはない。城下はそう思って警戒した。
日本酒一本分程度の願い事であれば釣り合うのだが、そんな些細なことは関係なかった。
「さっきも言っただろう? 私は、神様だよ。そういえば、人間からは――、何て呼ばれてたっけ?」
互いに目と目が合う。
その女、もとい自称神様はニコっと愛想笑いをすると、すぐに難しい顔になって唸りだした。
「思い、出せない……」
神様は一つ、ため息をついてから、日本酒の瓶に口をつけてゴクゴクと飲んだ。
「――じゃあ、順番に説明するしかなさそうだね」
再び距離を詰めて、また肩を組むようにして密着してきた。
やってることは厄介おじさんと同じなのだが、神様はよく見ると、きれいなお姉さん、と言えなくもない。超常現象に怯えていた先ほど度は違って、城下はこの胡散臭い自称神様に警戒心を抱きながらも、密着した柔らかな感触には抗うことはできなかった。
結局、自称神様の自分語りを延々聞かされることになるが、最後まで大人しく耳を傾け続けることになる。
「――と言う訳なんだよね」
神様が一通り語り終えるころには朝日が昇り始め、あたりはうっすらと明るくなっていた。
このとき城下はおおむね気絶状態であり、神様が何を話していたかは、ほとんど覚えていなかった。途中から公園のベンチに移動して、座りながら話を聞き始めたのが良くなかったのかもしれない。それ以降、城下の眠気はどんどん増大していった。
「そうだったんですね」
「うん、良かった。分かってくれたみたいだね」
神様は、腕を組み、満足げにうなずく。なお日本酒はすでに飲み干されており、空の瓶が地面に転がっていた。
「それで、君は何を願うんだい?」
「あー、日本酒のお礼でしたっけ?」
「まあ、それもあるけど――」
神様は立ち上がり、大きく伸びをした。朝日に照らされた後ろ姿は、少しだけ、ほんの少しだけ神々しい。
「さっきも言った通り、人間の『陽』の感情が増えれば、私の神としての力も上がるからね」
城下は、神様に見られていないにもかかわらず、目をそらしてしまった。話の内容はほとんど覚えていない。
神様が城下の方に振り返る。
「君の願いを叶えることは、私にとっても良いことなんだよ。つまり――」
「つまり?」
「ういんういんの関係、というやつだね」
「ういんういん?」
城下は思わず問い返してしまった。
「あれ? 使い方間違ってたかな?」
城下は心の中で、Win-Winのことか? と思ったが面倒なので口には出さなかった。たしかに、『お互いに利益がある』のであればそうなのだろう。
神様は、黙っている城下の顔をじっと見つめる。
その後、神様は「そういうことか」と納得したような表情を浮かべるが、城下は、もう疲労の限界で、見つめられていることに気が付いていない。
「ほとんど合ってるじゃないか。私たちはWin-Winの関係、というやつだから、遠慮しないで願いを言って――」
言い終わる前に、城下が前に倒れた。咄嗟に神様が支えて、ベンチに寝かせる。
「やれやれ、だいぶ疲れていたようだね。少し寝かせてあげよう。ついでに――」
神様はベンチに寝かせた城下に手をかざす。すると城下の体はうっすらと光に包まれた。
「これは、さあびす、だよ」
そう言うと、さっきまでそこにいた神様の姿は、跡形もなく消えてなくなっていた。
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