第17話 実り多き加護を

青く澄んだ小道をひたすらに歩くと、目の前に農園が広がった。

育てているのは主にビーツという深緑の手のひら程の野菜で、噛むと渋い苦みが走るが、二度三度と噛み続けると徐々にまろやかな甘みが鼻から抜ける。

マヌス以外の国でも生産されている野菜だが、全国的にマヌス産のビーツは良質とされ、国外では主に薬味なんかにして食べられているそうだ。


「あぁフィオリア、ヴェリデ様のとこに行くの?」

 色素の薄い泡のようなおかっぱ髪の女が、泥だらけの手を大きく振り上げた。

「ええそうよ。調子はどう、マグダ」

「どうもこうも、見ての通りよ。あんたと歳も変わらないのに私は毎日泥だらけ。やってられないわ」


 合いの手を入れるように家畜のグモーが呑気に鳴く。

あまりのタイミングの良さに二人して言葉を失い、花火が打ちあがったかのように笑いだす。

「あらあら、相変わらず姉妹みたいねあんた達」

「若い娘の笑い声は元気が出るよ」


 なんてことのないことでいつまでもケラケラと笑っている二人を、大荷物を抱えた老人や赤子を抱えた夫人が声をかけては通り過ぎていく。

「あーあ、私もあんたみたいに不思議な力が使えたらなぁ。神様とお話ししてこの国の英雄になって贅沢な暮らしができるのに」

「やだ。確かにヴェリデは神様だけど、私にとっては大切な友達よ。ヴェリデを私が贅沢をするための道具になんかしたくない」

「確かにそうかもしれないけど、フィオのおかげでこの国が救われたことは何度かあるじゃない。あんたの持っているその力は、やっぱり特別なのよ」


 フィオリアが物心ついた頃から、ヴェリデの姿かたちは今のままで、二人はすぐに親友になった。

子供の頃からの幼馴染だ。どちらから話しかけたとか、何がきっかけで、なんてことは覚えていない。幼馴染なんてそんなものだろう。


 海の向こうから嵐がやってくるよ。

ある日ヴェリデがそう言って怯えるものだから、どうにかしなければとフィオリアは嵐が来ることを道行く大人に言って回った。

しかし、穏やかな笑顔を向けるばかりで誰もフィオリアを信じない。

「フィオは少し感受性が強い子だからね。お友達と作り話をして怖くなったんだろう」


 母親でさえもそう言ってフィオリアを信じなかった。

どうにかしなければ。気ばかりが焦って地団駄を踏むが、当時まだ幼い少女に理路整然とことの経緯を説明できる能力などなく、そうしてただただ途方に暮れていると、案の定大嵐がやってきた。

 草や藁でできた建物は吹き飛ばされ、一年を通して大切に育ててきた作物は全滅した。


そして国の宝を失って初めて、人々はようやくフィオリアの言うことに耳を傾けたのだ。

「フィオ、嵐が来ることをどうして知っていたんだい」

「だって私、聞いたんだもの。ずっとそう言っていたじゃない」

「聞いたって誰に。言ってごらん」

「ヴェリデよ。私がそう名付けたの。大事な友達なのよ」

 その日から、虫を捕まえては友達を追いかけまわし泣かせるお転婆な少女フィオリアは、神様と会話ができる不思議な能力を持った巫女、と認識されるようになったのだ。


 こんなこともあった。

虫を追いかけ回ず時代を過ぎ心身の変化に戸惑い始めた十代の初め、いつものようにヴェリデに会いに行くと、ヴェリデはオドオドした様子でフィオリアの肩にしがみついた。

一体何事かと聞くと、「黒い異人が悪さをしにこの地にやってくる」とか細い声で呟く。


フィオリアは慌てて皆にその事を伝え、グイドにも掛け合った。

大嵐の時とは違いヴェリデとフィオリアの能力を知っている国民は、にわかには信じがたいこの少女の予言に耳を傾けたものの、信じるかどうか決めかねていた。

しかしその数日後、客人の少ないこの国にひょいと異国の男が二人やってきたのだ。

ある者は予言を信じ追い返すべきだと意見したが、またある者はせっかく来た客人をもてなさねばとかいがいしく世話をする。


しかし数日と経たぬうちに、男二人はあっけなくグイドの手によって捕らえられた。

理由は、国民に暴行を働きワシャルを強奪しようとしたから。

マヌスでしか採ることができないワシャルは希少価値の高い鉱石で、善人のような笑顔を張り付けてのこのここの国にやってきた男二人は、初めからこのワシャルを狙った盗賊だったのだ。

この事件を機に、いよいよフィオリアはこの国で最も神聖で、特別な存在となっていった。


しかし当の本人は何も変わらない。

いや、こんな能力を持って生まれたことに何らかの意味を見出し、この能力でもって国を救いたい、という気概は年々強まっている。しかし自分が特別な存在だとも、ましてやヴェリデを特別な存在だとも思わない。

彼は気が弱く臆病で、それでいて誰よりも素直でこの国を愛している。

フィオリアの大事な友人の一人だ。


「そうは言ってもねぇ、神様を友人だなんて言える時点でフィオは特別なのよ」

 マグダがふんと鼻を鳴らし、いけすかないとばかりに泥だらけの手を前に組む。

「最近何かお告げはないわけ」

 うん、とだけ答え、フィオリアは腰まで伸びる毛先をくるくると弄んだ。

「今のところはないわ。ただ他愛のない話をしているだけ」

「いつまでも平和なのは喜ばしいけど、なんだかつまらないね」

 そう言って不満げに眉を顰める友人を見て、フィオリアは愛想笑いを浮かべた。

「それじゃあ、私はそろそろ行くわ。頑張ってねマグダ」

「ええ、実り多き加護を」


 いつからか、人々はフィオリアにそう言って別れを告げるようになった。

最初はむず痒く、しかし形式的な挨拶だと認識するようになってからは何とも思わなくなり、そして今、その言葉はフィオリアに微かな罪悪感を抱かせる。

農園の畦道を進むと、家々が連なる街に出た。

分かっている。仕方がないことだと理解しているが、この国の人たちに嘘をついているという状況は、自分が思っている以上にフィオリアを苦しめた。

「不思議な力を持った旅人は、この国に災いをもたらす」


 そう飄々と言ってのけたヴェリデの言葉を、いつまでも反芻していた。

今までヴェリデの言ったことは、十中八九当たっていた。

だってヴェリデには人に見えないものが見えるし、フィオリアに嘘をつく理由などない。

だったら数か月前にふらりとやってきた青年ラントが本当にマヌスに災いをもたらすのか。


確かに彼は身なりも貧相で口も態度も悪いが、しかし、ぺブルを助けてくれた。

根っからの悪人とは到底思えないのだ。

しかし仮に彼の持つ能力がこの国を滅ぼす要因となるのならば、この国を守らなければならない身としては、彼を排除しなければいけないのか……。


「ラントお兄ちゃん、ぺブルも手伝う!」

 パドラの家の庭から蝶が舞うように陽気な笑い声がいくつも重なって聞こえた。

何をしているのか、ぺブルを含めた子供達がラントの周りをころころと駆けずり回っている。


当のラントは眉間にしわを寄せて肩をすくめ、落ちている枯葉を箒で掃いていた。

パドラに掃き掃除をするよう頼まれたのだろう。

「これは僕の葉っぱだからね」

「これはぺブルの!」

 そういう子供達は、ラントが集めた枯葉を漁っては自分の好きな場所に集めてしまう。そうして緩やかな風に巻かれ、また枯葉は方々に散っていく。

ラントの仕事を手伝うと言って、結局ラントの仕事を増やしているだけだった。

子供達のすることに怒鳴るわけでもなくもちろん愛想を振りまくわけでもなく、只々子供たちなど存在しないかのように振る舞うラントだが、冷たくしていてもどこか困惑しているような表情は傍から見ているとなんだか滑稽で、フィオリアは思わず噴き出した。


「あーフィオリアお姉ちゃんだ!」

 子供のうちの一人がどんぐりのような指をフィオリアに向けると、不意にラントと視線がぶつかった。

黒くどこまでも深い澄んだ瞳。

この国の者にはない猛々しさがあり、排他的で気怠げでありながら、何かを渇望しているような熱を帯びている。

身体の奥がピリリと痛み、フィオリアは慌てて目線を外した。


「今ね、ぺブルたちラントお兄ちゃんのお手伝いしてるの」

「そう、あまり迷惑にならないようにね」

「はーい、みのりおおきかごを!」

 ぺブルがそう言うと、子供達が続いて叫んだ。

フィオリアは子供達に笑いかけると、自分を見ているはずの異国の青年には視線を向けずに湖へ歩き出す。

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