例え不自然な流れだとしても

-伍-


 深夜。


 そろそろ寝ようかと思っていた時間帯。



「ん!?」



 いきなりパソコンの画面がプツンと切れた。



(これは停電かな?)



 蛍光灯の電源スイッチ――夜は消している――を押しても反応がない。これは明らかに停電だろう。



(寝るか。急ぎなわけでもないし)



 明日は休みで、これといって予定もない。


 起きるのが遅くなったところで困るモノもないので、今日のところは寝てしまおうと思った。


 すると――。



「お兄ちゃん、まだ起きている?」



 懐かしい、控えめなノックと声が聞えた。



(ん? 此処に鈴が来るのは――……ああ、そうか)



 ふと、前に鈴が僕の部屋に来たのはいつだったかと遡って、例の一件に辿り着いた。



(……あれから随分と経っているな)



 例の「責任」のことを思い出す。



(もしかしたら、僕が知らないだけで彼氏が居たりするのかな?)



 家にはそれぞれ個室があるから、お互いにそう頻繁に訪れる必要もなかった。


 勿論、リビングや家の中で話はするので、例の件を意識して来なかったとも考え難かった。



「うー……もう寝ちゃったかなぁ……」


「っと! 起きているから、入って来ても良いよ」



 がちゃ……。



「その……ゴメンね。夜分遅くに……」


「や、大丈夫。気にしなくて良いよ」



(危ない危ない。昔のことを考えていて遅くなったとは言えないな……)



 幸か不幸か、真っ暗なので、鈴がどう動いているのかハッキリとは見えなかった。



(確か懐中電灯は……)



 その辺に置いておいた記憶はあるのだが――。



「ね」


「ん?」



 僕が懐中電灯を捜そうと思ったところで、鈴の声。



「電気が着かないんだけど、停電かな?」


「ああ、パソコンが落ちたからそうだろうね。で?」


「あ……えと、あのね」



 真っ暗になっていた視界が徐々に慣れて、ぼんやりながらも形を成して見えるようになってきた。


 鈴は僕の隣に居て、何か抱えているように見えた。



「……鈴、何を持ってきたの?」


「え、えっと……その、雷の大きな音がしたでしょ?」


「雷?」



 鈴に言われて首を傾げてしまう。



(そんな大きな音、したっけ?)



 正直、記憶にない。


 確かに作業に集中していた節はあるけれど、そんなに大きな音だったのだろうか?



「え、もしかして聞えなかったの?」


「うん、聞えなかったな。そうか、それで停電になったのか。なるほど」



 納得する。


 そうでもなければ、パソコンが不自然に停止するわけがないのだ。



「噓でしょ? あんなに大きな音だったのに……」



(これは非難の目をしているな? こちらは悪いことをしたわけじゃないんだけど……)



 影は見えるし、呆れている鈴の声も聞えはしたが、僕を視線で責めるのは止めて欲しい。



「……ま、雷の音に気づかなかった僕が鈍感だというのは置いておくとして、その布団は何なんだ?」



 視線が妙に鋭く突き刺さってくるので、取り敢えずは話を逸らす。


 其処で出てきたのは、パッと見えた簡易布団と毛布、当然のように枕が付いていた。



(こんなの、持ってくるだけで大変なのに……)



「あ……その――」


「其処は家族間だから通じるから良いんだけど、いい加減に慣れないと」


「うん……そう思ってはいるんだけど……」



 何の因果か、鈴は雷恐怖症に陥っている。


 それ相応の年齢になったというのに、未だにあの大きな音が怖くて仕方ないらしい。



(いつまでも一緒ってわけじゃないからな……)



 鈴は怖がりで、ちょっとした拍子で不安を感じ、誰かを捜してしまう癖がある。


 今は僕や両親と一緒に暮らしているので安心でいられているようだけれども、先々のことを思うと僕は少し不安になる。



「怖いモノは怖い、か……それじゃ、其処で寝たら良いよ」


「……ごめんね。お兄ちゃん」


「気にしてないよ。ただし、僕の寝相が悪くて眠れなくなっても知らないからね」



 いつもの調子で軽く小突いてやる。



(この辺りは昔と変わってないんだよな……)



 僕も鈴も年相応に成長しているのだが、兄妹間の秘め事はそんなに変わってはいないように思えた。



「そんなの気にしないよ。お世話になります」



 ホッとした表情を浮かべ、ペコリと一礼。


 元々軽い布団だったのか、鈴の作業が手際良いのか、僕の折りたたみベッドの用意も併せてあっと言う間に準備が整っていった。



(あれ? 鈴は寝る前、パジャマを着ていたっけ?)



 更に暗闇に目が慣れてきて、鈴の服装が見えた。



(……そうだよな。昔みたいに同じ布団で一緒に寝ているわけじゃないんだし、鈴が寝る前にどんな服を着ているかなんて覚えているわけがないか)



「ね、お兄ちゃん」


「ん?」


「今日は二人っきりだね☆」


「……あのね」



 鈴の笑顔に、冗談と分かっていてもドキッとしてしまった自分がいた。



「あはは。でも、こうして話すのも久し振りだよね。お兄ちゃん、最近は遅くまで何かやっているみたいだし、忙しいんだって思っていたから」


「あー……いや、何かに打ち込んでいるわけじゃなくて、やり始めたばかりだから、ついつい夜更けまで作業しているって感じかな」



 最近になってインターネットを利用し始めたので、色々な情報を集めている内に時間が過ぎているというのが現状だった。



「なるほど。確かに最初ってそうだよね。逆にそれを聞いてホッとしたかな」


「ホッとした? どうして?」


「だって、今日みたいなことが起きたとして、お兄ちゃんが忙しかったら頼み難くなっちゃうもの」


「……無理に急ぐ必要はないけど、雷は克服しなきゃ駄目だぞ? 兄妹なんだから頼まれるのは一向に構わないけど」


「うん。克服する努力はするつもりだけど、私だけだと挫けそうになる時だってあるでしょ? それにお兄ちゃんにお願いするのは雷が鳴った時だけじゃないだろうし」


「ふむ……」



 一理あると思った。



「そうだな。何でも少しずつ慣らしていけば良いよ。別に僕じゃなくても彼氏とか友達とかに相談しても良いんじゃない?」


「それはそうなんだけどね……友達に話すには恥ずかしいし、頼れる彼氏になってくれそうな相手も居ないからなぁ」


「……ま、僕は頼られるのは気にしないけどね。ただ、鈴が先に結婚してくれないと僕が困るんだから、其処はシッカリしてもらわないと」



(若い娘にしては、相談する相手が友達より家族というのは珍しいんじゃないか?)



 勿論、鈴自身も言っていたように、恥ずかしくて相談し難いということも分からなくはない。



(でも、あの調子だと鈴にそれらしい相手が現れるのはまだ先みたいだな……)



 だから、昔の失敗を基にネタを振ってみる。



「え? あ……まだ覚えていたんだ?」


「そりゃそうだよ。ああ、別に僕に彼女が出来たから言っているわけじゃないからね?」


「……一瞬、凄く驚いちゃった。でも、私は理想を追うから、相手を探すのは相当に遅くなると思うよ?」


「ま、それはそれで……って、夜遅いのに長話は拙いな。もう寝よう」



 気が付けば日付が変わる時間が近くなっていた。



「え? あっ、もうこんな時間なんだ……」


「ああ。ついついお喋りしてしまった……お休み」


「うん……おやすみなさい」



 明日のこともあるので、無駄話せずに就寝する。



(鈴の理想がどんなのか、少し気にはなるが……ま、細かく考えても仕方ないか)



 実際、鈴に彼氏が出来てから色々と考える――僕自身、今に至るまで相手が居ないわけだが――つもりだったので、其処は待つしかないのだろう。



「……お兄ちゃん、これは私の独り言だからね?」



 寝る直前、鈴の小さな呟きが耳に入ってきた。



「私は昔からお兄ちゃんが好き。だからきっと似ているヒトを探すと思う。でも、そういうヒトは見つからないとも思っているんだ」



 色々な意味がありそうな言葉で、本当に鈴の表情が見えなくて良かったと思った。



(しかし、何だってこのタイミングなんだよ……)



 寝付けないだろうし、動くことも出来そうにない。


 結局、僕はそのまま悶々と数時間を過ごすことになってしまったのだった……。




-陸-


「ただいま」



 家に帰ってきた時。



「あ、たった今、帰ってきたよ。うん」



 鈴がいた。


 玄関前、鈴が電話を受けているのが見えた。


 帰ってきたという鈴の台詞から、僕にも何か関係があるのだろう。



(遅くなるのかな?)



 こういうパターンが家では日常茶飯事となってきているから、大抵のことは慣れてしまっていた。



「うん、うん……気をつけてね。はい、それじゃ」



 其処で電話が切れた。



「帰り、遅いの?」


「うん。なんか会議だって」


「そっか」



 それなりの年齢になった僕達を信頼してか、両親は新しい先への進み方を検討し始めた。


 勿論、それは家族の、お互いの生活の為にである。



「夕飯はどうするか……鈴は何が食べたい?」


「あ、食材がほとんどないから外食にしなさいって。お兄ちゃんは何が食べたい?」


「……そう来たか」


「あはは。でも、先のことを考えて予め食材を用意しておきたいから、早めに買物に行かない?」


「え」


「ほら、今日中に買っておけば、後々の手間も省けるし、時間的にも余裕が出来るでしょ?」



 鈴のちょっとした閃きに舌を巻く。


 こういうのが男と女の――……いや、僕と鈴の気遣いの差なのだろう。



「買物ね。だとしたら急がないと。時間は平気?」


「うん。まだ早いからスーパーで買物した後でご飯も食べに行けるよ」


「手際良いな。鈴は良いお嫁さんになれそうだ」


「やった♪ 褒められた」


「其処で喜ぶんじゃない。僕は鈴の浮いた話の一つも聞いてないぞ?」


「う。それを突っ込まれると痛いなぁ……」



 仲の良い兄妹。


 互いに色々な話をしたし、何かにつけて馬が合う間柄だった。


 僕は鈴の出来る部分を尊敬していたし、鈴も僕との会話を喜んでいたと思う……確信は持てないけれども。




-漆-


「あ……あれ?」


「気が着いたか? おっとと。あまり動かないでくれると助かる」


「お、お兄ちゃん!? 私、どうして……?」


「風邪で体調を崩したとあれば仕方ないだろう」


「あ、そっか。私、授業の途中で……でも、それならお母さんは?」


「連絡をもらった時間帯が母さんの出勤と重なったからね。今日は僕が代役」


「大学は?」


「今日は授業がない日だよ」


「……そっか」


「色々と不便だろうけど、今日のところは緊急措置だから勘弁してくれ」


「そんなの気にしないよ……その、ちょっと恥ずかしいけどね」


「授業中だからそんなに目立たないだろう? 車までの少しの間だから我慢してくれ」


「うん……明日、友達に冷やかされたら彼氏だって言っておくね?」


「……好きにしてくれ」



 僕は鈴を抱えて歩いていた。


 鈴の通う学校の関係者入口から駐車場まで百メートル弱というところ。



「ね、これってお姫様抱っこって言うんだよね?」


「……言うな。おんぶで担がれるのは鈴も嫌だろうと思ったからこうしたんだ。寒くはないか?」


「うん、平気。でもまぁ、私はお兄ちゃんが好きだから、例えおんぶされても気にしなかったよ?」


「そういうドキッとすることを言うんじゃないの。風邪で熱が出ているんだから、無理はしてくれるな」


「ありがと。でも、無理しているって感じはないよ?」


「馬鹿を言うな。授業中に倒れているんだから、鈴の言葉には全く説得力がない」


「はは……それを言われるとぐうの音も出ないね」



 そうでなければ、いきなり抱えていくという措置を執ろうとは僕でも思わない。


 鈴が歩けるのであれば、肩を貸すなりして誘導する方法を選んだに違いなのだから。



「本当に無理はしてくれるなよ? 僕は鈴の兄貴なんだから、こういう時ぐらいは頼りにしてくれて構わないからな?」


「うん……ありがとう」



 トンと腕に鈴の頭が寄りかかってきた。



「……少しだけ眠っても良いかな?」


「ああ。構わないよ」


「ありがとう。お兄ちゃん……」



 鈴が小さな寝息を立て始めたのを確認してから、少し足早に車へと向かう。


 勿論、その振動で鈴が目を覚ましたりしないよう、最大限の工夫を凝らしながらだけれども。




 僕にとって、鈴は素敵な妹であると同時に、庇護の対象だった。


 また、いつも一緒に居て、互いを理解し合える、心の拠り所でもあった。



(互いを理解し合える、か……)



 とても仲の良い兄妹。


 普通は時間と共に意識が変わっていくモノらしいが、僕達は変わらなかったし、それが不自然だとも全く思わなかったのだった。




-捌-


「――……お兄ちゃん?」


「ん?」


「急に黙っちゃたから……」


「あ、ああ……ごめん」



 直ぐ隣から聞えた声に、僕は目を醒ました。



「どうしてかな……急に昔のことを思い出した」


「え」


「その……僕達はお互いに成る可くして成ったんだなぁって」


「お兄ちゃん……」



 鮮やかに甦る記憶があった。


 その中には一寸の紛れも感じられなかった。



「大丈夫。鈴が気にするようなことは何もないよ」


「うん……」



 僕は鈴の髪をそっと撫でた。



(鈴は僕が守る……そう決めたんだ)



 例え、それが世間一般の認識から懸け離れた、不自然な流れだと理解していたとしても。



「……」



 鈴は温かかった。


 安心しきったように瞳を伏せ、全身を丸めるようにしてこちらに寄り添ってくる。



(……おやすみ。鈴)



 彼女を愛おしく思いながら、そっと目を閉じた。


 不意に澱んできた思考の奥に、微かな輝きと暗雲とを感じながら……。

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