死神

「ヴィヴァンヌさま……聞いたことならあるよ」


 私の質問にロレットは大して興味のなさそうに言った。


「確かローニオンの聖女って言われてたかな?」

「ローニオンの聖女?」

「そう。ヴィヴァンヌさまがいらっしゃるのがローニオンって町だからそう呼ばれてる。まぁすごいそのまんまなんだけど」

「それで、その方は有名な方なんですよね?」

「まぁそりゃあね。グーベルクからロクに出たことのないあたしが知ってるくらいだもん」


 サクリと焼き菓子をロレットが頬張る。


「でも、なんかで戦ったとかそういう話は聞いたことないよ?」


 私の質問の意図をくみ取ってか、先回りしたように付け加える。


「聖女さまってだけで、確かローニオンには神殿か何かがあったと思うけど……なんか観光名所みたいなイメージかな? 所属も国じゃなくて教会の所属だし、シンボル的な感じ」


 有名な人物なそれなりの情報があるのかと思ったら、ロレットはそれ以上のことは知らない様子だった。

 まぁ彼女自身旅人というわけじゃないし、世界はこんな形だ。魔法がなければ伝達する手段は馬に頼ったものになるし、写真なんてものは当然望めない。過去に生きていた時のようにインターネットで調べたらある程度のことはわかる、なんてのはあるわけない。庶民にとって情報なんてものは行商人や旅人が運んでくるものがせいぜいだろう。

 それに、魔族との戦闘なんてものがこの世界ですらおとぎ話の世界なのだ。実際その力があるのかどうかなんてただの一冒険者にわかるわけはない。


「それより、拠点作りは上手くいってる?」

「ぼちぼちですね」


 そう答える私にロレットは少し不満気だった。今回のコトについてロレットはあまり出来事に入ってはこれず、私を抜いたパーティでちょくちょく依頼は受けてるものの、私に隷属した今の彼女にとって最優先事項はそれではなくなっているのだろう。


「そうだ。そう言えばこの間、魔法の使い方が随分上手くなったってお兄ちゃんに褒められたんだよ」

「貴女は私の血をほんの少しだけど飲みましたからね。能力が全体的に向上しているという可能性は考えられます」

「この調子でいけばあたしもDランクとかもっと上のランクの冒険者になれるかな?」

「冒険者として大成したいのですか?」

「ううん、全然」


 彼女は全く迷わない様子でかぶりを振った。


「あたしはいつまでもキョウカと一緒にいたい……と言うか仕えていたい。あたしは人間だからそれを活かした使われ方があるとはわかってるけどさ、やっぱりそういう面でもキョウカの役に立ちたいしさ。いざ戦争だー、ってなった時にお留守番ってのはちょっとね」

「そうは言っても貴女は人間なんですよ? いつまでも仕えるというのは難しいんじゃないですか?」


 ええーとロレットはあからさまに不平の声をあげて机に身を預けた。


「それじゃあ、人間やめて魔族になる。なにかなれる方法とかあればいいんだけどなぁ……」

「魔族になる方法?」

「そう。キョウカの血をたくさん飲むとか」

「それでも元が人間ですからね。私の血をたくさん飲んだところで中毒を起こして死んでしまうのがオチかもしれません」


 しかし、他種族から魔族への変異が出来るとしたら興味深い。

 今まで考えたことはなかったが、これが可能なら様々な利用方法がある。今度気狐に魔族になれるような術がないか探させてみるのもありかもしれない。


「探してくれるの?」


 どうやら考えが口に出ていたらしい。


「気狐さまって、参謀さんなんだよね」

「貴女のためと言うより、今後の用途拡大のためと言った方が正しいですね。駒として使えるものは使うという主義なので。貴女だけのためじゃありません」

「わかってるよ。それでも嬉しいものは嬉しい」


 そうロレットは笑った。


「それで、今回の騒動が収まったらどうするの? やっぱり魔族と人間の全面戦争?」


 この世界を牛耳る人間に対しての宣戦布告からの戦争。

 魔族のためという気持ちがないと言ったらウソにはなるが、それに踏み切るにはあまりにも情報不足だし、私の気持ちも不十分だった。

 それに第一、全面戦争なんて母が許さないだろう。

 人類がただの脆弱種族なら籠っていることはない。

 前に母はそのように言った。つまり、それだけの理由があるということだろう。さっき言った聖女さまが本当に魔族にとって天敵ならどうしようもない。調べにいく必要性はあるだろう。前世でただの小娘だった私だって戦争というものが単に強い方が勝つ、なんてものじゃないことは知っている。情報は時として単純な武力にも勝る武器になるだろう。


「勝ち目のない争いをしかけるほど馬鹿じゃありません。少なくとも聖者とやらが本当に魔族に対して強力な相手なのかどうか見極めないと」

「それじゃあさ、旅に出ようよ。私がお供するからさ」

「旅に……まぁ、それも考えておくのも良いかもしれませんね」


 しかし、ただの旅人の冒険者が聖女のことを詳しく知る……ましてや直に会うなど無理な話のように思う。

 となると今手近にあって利用出来るのはリーリラだ。その辺りのことを考えて今回の事件を終わらせなければいけない。

 便利に使うだけなら円満に今回の件を片づければ容易に出来る。彼女と私は共に魔族と戦った知己となり、今後のことについて彼女から口添えをしてもらうことだって十分可能になるに違いない。

 だが、それでは私の欲が収まらない。

 私が今こうしてせっせと人間の為に働いているのは無理矢理に彼女を組み敷くためなのだ。それが出来なければ協力などするわけがない。

 かと言って、そのようなことをした後で円満な関係は築きにくいだろう。

 しかし、ここは何があっても譲れない。楽しめなければ全ての興が冷めてしまうというものだ。

 そう考えてしまうのは自分の醜い部分と言えた。




「なるほど、下卑たお嬢さんだ」




 それはあまりにも突然の声だった。

 ばっと振り向くと同時にソレから距離を取る。

 そこにいたのはチェストの上におかしな格好で座った、特徴的なつばの帽子をかぶった、どこか道化師のような存在だった。

 黒づくめの衣装に、笑ったような仮面。それはどこか無機質な黒炭を思わせる。

 人間ではない。

 魔族?

 いや、そういった種類のモノじゃない。

 ドサリと音がしたかと思うとロレットが倒れこんでいた。


「………………」


 死んではいない。眠らされたのだろう。

 手の中で空気を弾のように圧縮し、音速に近い速度でソイツ目がけて飛ばす。が、ソレはまるで遊ぶかのようにそれをほどいてそよ風に変えてしまった。


「おまけに、手癖も悪い」

「初対面だと思うのだけど随分な言われようね」

「でも、その通りだろう?」


 ひゅっとジャンプして着地。

 そのまま右手を振ったかと思うと大鎌がその手に表れた。


「なるほどなるほど。ハインツから聞いていたけど、これはまた面白い生まれ変わりをした存在だ」

「ハインツ?」

「会ったことがあるだろう? 変わり者の死神さ」


 脳裏に人間だった頃の最期の記憶がよみがえってくる。


「確かに、骸骨にフードをかぶった自称死神には今際の際に会ったわね。前世の、だけれど」

「そう、その彼さ。君がどんな最期を迎えたかは大体知ってるけど、彼の癖というか性格なんだよ。死神なんて面白おかしくやっていれば良いのに、彼は妙に律儀で優しいところがあってね。っと、そんなことはどうでもいいや。僕は彼から君の話を聞いたんだ。アレは傾く可能性があるって」

「傾くっていうのはどういう意味かしら?」

「まぁ感覚的なものだよ。あえて言うなら感性が振り切れるって話さ」


 言ってからソレは言葉を続けた。


「どうだろう、感性が振り切れたお嬢さん。僕と一つ取り引きをしないかい?」

「取り引き?」

「今の君は確かにこの世界では強い。魔族としてね。君の母君だって君を抑えることはなかなかに難しいだろう。けど、そんな君にもジョーカーのような相手はいる」


 ひゅっと一枚のカードを飛ばされ、とっさにそれを指で挟む。

 何気なく見やって私は目を見張り、息を呑んだ。

 服装は違う。

 しかし、その人相は……。


「一条、先輩……?」


 いや、そんなわけはない。それは過去の……前世の世界だ。ここに彼女がいるわけがない。


「そう、正確に言えば彼女ではない。だが、魂の本質は同じだよ、君と同じにね」

「私と同じに彼女も記憶を受け継いでると?」

「なんだ、思ったより単純な考え方をするんだね。っと、そんなに睨まないでおくれよ」


 道化師が大げさに手を振って見せる。


「君にもわかるよう、昔君が生きていた世界にあったイデア論とやらにのっとって話してあげよう」

「イデア論というと、プラトンの論じた哲学だったかしら? この世界には時空を超越した非物体的、絶対的な永遠の実在、イデアというものが存在するという」

「その通り。簡単に言えば、君には君のイデアがあるんだ。そして、それが前の人生では秋常鏡花として想起され、この世界では月詠として想起された」

「つまりこのカードに写る女は……」

「そう、君が最も愛し、憎んだ一条千香音として前の世界では想起された存在さ。この世界ではユリアナ・ディ・パルムクランとして想起されている」


 カードをひゅっと死神に飛ばし返す。


「君のイデアは彼女のイデアととことん相性が悪いようだねぇ。前世で君はあれほどに恋い焦がれ、慕っていたにも関わらずそれは空回りし、その挙句に彼女に殺された。そして、魔族の姫として強大な力を得たこの世界でも、このまま自由奔放に遊びまわれば再び彼女に殺されるだろう」

「やはり魔族では『神の祝福』を受けしものの子孫には勝てない、と?」

「いや、君ほどの力があればハンパ者は殺せるだろう。『祝福を受けた』といっても多かれ少なかれ差があるものさ。君の一族だって、君ほどの才能を持って生まれてくる存在は実に稀有なようにね。しかし、彼女は別格。この世界で『神の祝福』を受けし存在をまとめ上げる正真正銘の聖女なんだよ。彼女に君の魔法は通じず、どんな金属さえも弾く強靭な体も彼女の前ではバターのように切られてしまう。天下無双の力だって赤子みたいなものだ」

「何が言いたい?」

「だからそう怖い目をしないでおくれよ。さっきも言ったけれど僕は取り引きを持ち掛けに来たんだ」


 コツコツと死神は部屋を歩き、遠くを見るように窓の外に目をやったが、すぐに私に視線を戻した。


「僕は君にさらなる力を与えよう。単純な力というわけじゃないケド、少なくとも君がこの世界でさらに『楽しく』生きていけるようにね。それに、彼女がこの世界でも生きていると知った以上、君の中にはどうしようもない感情が芽生えているはずだ。少なくとも、タダじゃすまさない。そう思ってる」


 その言い方に私は眉根を寄せた。何から何までお見通しということか。


「それで、仮にその取り引きに乗ったとしたら、その代わりに何を寄こせと私は言われるの? 死神らしく寿命とでも言うのかしら? 幸い私の種族は長命らしいものね。半分ほど減っても大した問題じゃないかもしれないわ」


 冗談めかして言うと、なるほどなるほど、とピエロがクスクスと笑うが、仮面のおかげでそれはカタカタと動くだけだ。


「けど、お生憎さま寿命に囚われるような生活はしていないんだ」

「では代償には何を? 相応の代償は支払わされるのがこういう話のオチだと昔から決まっているわ」

「そうだね。世の中に甘い話っていうのはそうそうないものさ。でも、僕が求める代償は簡単だ。何も難しいことじゃない。ただ――」



「――目、覚めた?」

「……ロレット?」


 次の瞬間、私の目の前にはのぞきこむようなロレットの顔があった。軽く周囲を見やると、どうやら私は彼女の膝に頭を預ける形で横になっているらしい。


「私は……眠っていたのですか?」

「眠ってたっていうのかな……? ヴィヴァンヌさまのことを聞いたら、なんか急に頭を押さえて倒れちゃったから、びっくりしちゃった」

「どのくらいそうしてました?」

「そんな長い時間じゃないよ。せいぜい五分とかそこら」

「そうですか……」


 頭をあげる。


「最近ずっとリリーラさまについてまわってたから疲れてたんじゃない? 今日は早めに寝た方が良いよ」


 その声色には純粋に心配する色があったが、そんな柔な体じゃないのは私がよく知っている。

 頭に残る変な記憶。

 死神との会話。しかも中途半端な所で途切れている。

 あれを単なる夢、取るに足らないモノと考えるか、摩訶不思議な何かが起こったと考えるべきか?

 もしあれが摩訶不思議な何かだとしたら私は力を得たのだろうか?

 逆に言えば何か代償を支払った、もしくは支払う約束をしたのだろうか?


「くそ……」


 不完全な所で記憶が途切れたのも死神とやらの思惑なら食えたもんじゃない。


「どうしたの、難しい顔して。身体のどこかがおかしい?」

「……別に、何でもありません」


 そう答えたが、何かしらの歯車は動き出したのではないかという予感があった。

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