色欲

 古くをたどれば、ここは元々人間たちの城だったらしい。

 それが――どういう経過をたどったのか詳しくは説明されなかったが――巡り巡って今は魔族の城となっているようだった。

 広い湯船に身を沈めてふぅ、と息を吐く。

 天羽々斬のような非生物的な魔族や獣の色が濃い魔族はあまり風呂を使わないとのことだったが、気狐のように人型に近く、新陳代謝が比較的活発な魔族はたまに湯浴みをするらしい。とは言っても、ここは私専用の浴室のようだった。『ゴミ掃除』で身体が汚れたでしょうからと、咲耶が謁見の間を後にしてから案内してくれた。


「お湯加減はいかがでしょう?」


 声が聞こえ、咲耶が風呂場に姿を現した。

 こういう場所での作業着なのか、白襦袢のような衣装を着ている。


「ええ、悪くないわ」

「それはようございました。せっかくですので、お背中を流させていただきます」

「そんなことまでしてくれるの?」

「わたくしたち女中は全てを主である御前さまに捧げた身。そして、新たにお生まれになった姫さまにも同様にお仕えするのは当然でございます」

「拒否権は?」

「存在いたしません」


 そんな軽口が互いの口からもれ、くすくすと笑った。彼女の年を正確に知っているわけではないものの、冗談の一つも受け取れない年老いた者のようには思えない。

 洗い場で背を洗われながらなんとなく女中たちのことに話を振った。

 咲耶が傍仕えになるのかと思っていたが、この数日は私が生まれて間もないということで女中頭である彼女が付きっ切りになっていたらしい。これからは当番制で世話をしてくれるようだ。

 まぁ、考えてみれば咲耶はここにいる女中を束ねているのだ。私一人の世話ばかりするというわけにもいかないのだろう。


「………………」


 それにしても、名を与えられ、漆黒の光に包まれた時からまた少し思考が変わってきているように思う。

 ただの人間として生きていた頃は、姫という待遇に持ち上げられ、背中を流すと言われても困惑ばかりしていたに違いない。それでもなお無理にそういう場面になったら逆に気を遣ってしまっていたはずだ。


「どこかかゆいところはございませんか?」

「好い具合よ」


 それが、今はこうしてその奉仕を当たり前のように享受している。


「それより、大層驚きました」

「驚いたって、何がかしら?」

「醜鬼を排除した時のことです」

「ああ……部屋を汚してしまって悪かったわね。後の掃除が面倒だったんじゃない?」

「何をおっしゃいますか」


 咲耶がくすくすと笑う。


「我々女中の役割はそういった雑用です。わたくしたち一族は魔族と言えど非力で、知恵も凡庸。人間との戦いでもあまり役に立たず、お力になれることと言ったらこんなことくらいで、今となってはそれが喜びなのです。それに、今はこの数年ではなかったほどに胸がすっとしております」

「どうして?」

「それはもちろん、姫さまが醜鬼をあの様にしてくださったからに決まっているじゃありませんか」


 咲耶の声はどこか弾んでいた。この二日では聞いたことのない声は彼女の本当の声のように思えた。


「馬鹿力しか取り柄がないくせに連中は魔族の中でも自分たち一族は高い地位にあると愚かにも驕っていたのです。姫さまはご存じなくて当然ですが、御前さまに難癖をつけてきたことだってこれまでにも度々ありました」

「そうなの? よくお母さまも今まで放っておいたわね。お母さまだってあの程度のヤツなら簡単に処分出来たでしょうに……」

「王位の継承のこともあったのでしょう。御前さまは散々な無礼にも寛大な措置を今まで取っておりました。その結果があのつけあがり方です」

「確かにあの態度は鼻持ちならなかったわ」

「そうでございましょう? それを姫さまはこれ以上ないほど見事に粉砕してくださいました。醜鬼のやられ様もそうですが、連れの連中の呆気にとられた表情や無様な最期もあまりにも滑稽で、これほど痛快な気持ちになったのは本当に久しぶりです」


 と、不意に背中に柔らかな感触を覚えた。

 何かと思うと、咲耶が私の両肩に手を置き、胸部に豊かに実った二つの果実を私の背に押しつけるようにしていた。頬は赤く色づき、その表情は情欲に燃えているように見える。


「姫さまはこういったことはお嫌いでしょうか?」

「こういったこと、とは?」

「おわかりになっていらっしゃるのにそれを聞くのは少々悪戯ではないかと思います」


 肌に触る柔らかな感触。余裕がなくなるほどではないものの、それでも頬が微かに熱くなっているのを自分でも感じた。


「そうは言っても、私たちは女同士ではない?」

「姫さまの一族は性差などとうの昔に捨て去った種族でございます。卵核を用いた生殖方法がまさにその象徴と言えるでしょう」

「ならなおさら、そういったことを……相手の身体を求める理由がわからないわ」

「畏れ多くも申し上げますが、こういった行為は高度な知能を持った存在にとってはただの生殖行為とはわけが違います。快楽を伴った高度なコミュニケーション。そう言って良いでしょう」


 言って、さらに咲耶が胸を強調するように腕に絡みつく。

 それに私は思わず喉が鳴った。


「わたくしごときで姫さまに快楽を差し上げられるのなら、これ以上の喜びはございません」


 人間として生きてきた時、自分が男が好きとか女が好きとか意識したことはなかった。

 ただ、一条に出会い、彼女に惹かれた。

 毎日毎日彼女のことで頭がいっぱいになって、考えるだけで胸に優しい光が灯るように暖かくなった。きっとこれが人を好きになることだと理解出来た。

 そして、それが叶えば……いや、叶わなくとももっとそばにいられるようになれば、もっとこの気持ちは満たされると思った。


「………………」


 それが、待っていた結末はどうだった?


「姫さま?」


 ハッと我に返る。気がつくと、きつく下唇を噛んでいた。

 今こうして思い出すだけで吐き気が襲ってくる。

 忌々しいというレベルのものじゃない。なぜ今ここにあの女がここにいないのだろうか? いたとしたら、直にズタズタにしてやれるのに。


「も、申し訳ございません」


 咲耶が震えた声を発しながらぱっと身体を離した。


「女中の分際で分不相応な振る舞いをしたこと、どうかお許しください」


 床に手をつき、深々と頭を下げた彼女に私は慌てた。


「違うわ。これは……前世で嫌なことがあって、それを思い出していただけよ……」

「嫌なこと、でございますか?」

「ええ。思い出すだけで吐き気をもよおすくらいの忌まわしい記憶ね」

「でしたら……」


 咲耶が再び私の身体に触れる。


「わたくしがその忌まわしい記憶を新たなもので上書きして差し上げます」


 そう言って彼女は私にゆっくりと口づけた。

 小鳥同士が遊ぶようにつつき、食むようにして彼女が私の唇を味わう。

 どうすれば良いかなんてわからなかったが、不思議と身体は勝手に動いてくれた。

 咲耶の唇に応えるように動きながら、彼女を私の身体の前にもってくる。頭をそっととらえ、舌で彼女の唇をつつくと、従順な彼女はすぐに私を迎え入れた。


「んっ……ふぅ、んんぅ……」


 舌を絡めると唾液が水音を立てた。それと同時に咲耶の胸に手を伸ばす。柔らかな胸は指の動きに合わせて形を変え、それに咲耶は背筋を僅かに震わせた。

 口づけを止め、彼女を見やると、その目には熱い情欲の炎が確かに灯っていた。


「姫さまの最初の寵愛をいただけるのかと思うと、それだけで達してしまいそうです」

「大げさじゃない?」

「そんなことはございません」


 咲耶の手が私の手をとり、そっと足の間に持っていく。そこは水ではない液体ですでに濡れそぼっていた。


「この咲耶。姫さまにご満足いけるよう、誠心誠意ご奉仕させていただきます」


 言って、彼女は再び私に深く口づけた。



 今までに経験したことのない倦怠感が身体にあった。

 身には何もつけていない。互いに裸のまま布団に入り、先ほどまで体を重ね合っていた。


「申し訳ございません、姫さま」


 布団の中で咲耶は実に申し訳なさそうに言った。


「あれだけの口をきいておきながら、私では姫さまを満足させることは出来なかったようですね」

「そんなことはないわ。十分気持ち良かったもの」


 言うが、咲耶はゆっくりとかぶりを振った。


「確かに相応の快楽を感じていただけたとは思います。けれど、今の姫さまの表情を見ていれば、私では荷が重かったのだとわかります」

「………………」


 彼女の言う通りだった。

 確かに快楽はあった。それは紛れもない事実で、オーガズムらしきものも幾度か経験したと思う。

 けれど、そんな状況にもあって、まるで何か空虚なものが背にピタリと張りついているような感覚があった。

 充足感……などと簡単に言って良いのかはわからない。けれど、何かが欠けているというのは確かだったと思う。


「それは……きっと私が初めてで不慣れだったからでしょう。それか、元よりそういう性質なのよ」

「やはりお優しいのですね、姫さまは」


 布団からするりと抜け出し、咲耶は手早く服を身につけた。


「もしかしたら、姫さまのお相手は殿方の方が良いのかもしれません」

「――それはありえないわ」


 咲耶がポツリと言ったことに、私は自分でも思った以上の語調で否定していた。

 ぽかんとした咲耶に、慌てて、「いえ、私は女性が相手の方が良いと思って……」と言葉を濁した。


「でしたら、今後も伽が必要とあれば好みの女中にお申しつけください。身体の相性ということもございます。もしかしたら姫さまを満足させられる女中がいるかもわかりません」

「そうね。気が向いたらそうさせてもらうわ」


 そうは言ったものの、自分からそういったことを頼むことはないだろう。

 前世で経験したあまりにも忌まわしい記憶は未だ脳裏に張りついて離れず、こういったことをする度に寄せてはかえす波のように私を蝕むような気がしてならなかった。

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