第18話 芸術の狼
13年前のこと…。
俺は本条の部屋で、借りたアコースティックギターをジャカジャカ鳴らしていた。
「うおっ…これ、手ェ痛くね?」
「馴れの問題だ。」
本条は俺の左手を後ろから操り、あーだこーだと言いながらコードの説明をしていく。
「…あー、もうダメだ!覚えらんねー!もっと簡単なギターとかねえのかよ。」
「アコースティックが一番簡単だ。ギターじゃなくていいのなら、こういうのもある。」
本条はベッドの下をゴソゴソと漁り、古びたウクレレを出してきた。
「ああ、そういうのでいいんだよ。真剣にやるわけじゃねえんだから。」
俺は本条の手からウクレレをかっさらうと、デタラメに弦を弾きながら歌いはじめる。
「アロ~ハ~オエ〜…」
「…お前はまず、音痴を直せ。趣味で音楽を始めるにしても、多少音感はないと遊びにならない。」
「まあ俺、音楽の成績”1”だしな…。歌が可哀想なぐらい歌えねえんだよ…。」
「先生のピアノの音に合わせればいいだけだろう。」
「合わせるってのがわけ分かんねえんだよ…!お前は声帯が鍵盤と繋がってんのか?」
「音はお前の耳に繋がる。そしてお前の耳は、脳と心を通して声帯に繋がっている。」
本条は自分がギターを構えた。
「音楽は才能の世界だ。成績”1”のやつが歌えるようになるまでには、それなりの訓練がいる。毎日少しずつでいいから、聞こえた音と同じ音を声で出す練習をしろ。」
そう言って、やつはポーンと音を1つ鳴らした。
俺は勘で声を出してみる。
「あ、今の合ってた気がするぞ。」
「そうだな。じゃあ次だ。」
本条は別の音を鳴らす。俺は勘で声を出す。
「おお、今のは絶対合ってたろ?」
「…合ってたな。」
また別の音を鳴らす。声を出す。
「………。」
「………?」
本条はギターを床に置いた。
「…アキラ。お前、どうして授業のときだけ歌えない?」
「いや、家でもたぶん歌えてたことはねえぞ?」
「…?」
俺たちは2人揃って小首をかしげた。
「まあいい、そういう偶然もある。お前が音楽に興味を持ったなら、特別に俺のCDを貸してやってもいい。」
生意気な小学6年生は、自慢のコレクションから1枚のCDを出してきた。
「”伝説の巨匠”ダニエル・パーカーのライブ音源。世界一の天才ギタリスト。俺の憧れだ。」
本条はラジカセにCDをセットすると、再生ボタンを押した。1曲目は軽快なポップミュージック。
「この曲は有名だが、誰もパーカーのようには演奏できない。誰も追いつけない。」
2曲目は涙が出るようなバラード。3曲目は燃えるようなロック。俺たちは結局そのまま、最後まで録音を聞き終えてしまった。
ラジカセの回転音が止まると、本条はCDを大事そうにケースへ戻して言った。
「…あんなプレイがしてみたい。そのときステージの上では何が聴こえて、何を感じるのか知りたい。俺はいつか大人になって、パーカーと同じ景色を見てみたい。」
*
本条はスタジオに着くと、ギターを壁に立てかけた。ギターケースの真ん中には、”D. Parker”のサインが記されている。
4人の仲間たちはそれぞれいつものようにルーティンを済ませると、演奏の準備を始めた。
「さーて、いっちょやってみるか。」
「久々の新曲ね。」
「意外と構造的な難曲のようだね。」
「フェスまで時間あるから余裕さー。」
ボーカルのイサムはマイクのボリュームをチェックすると、本条を呼んだ。
「カズ、やるぞ。」
「…ああ。」
5人はそれぞれのポジションに付き、楽器を構えた。ドラムのエマがカウントを始める。
「…ツー、スリッ!…」
素早い弱起から技巧的なリズムが繰り出される。
本条は絶妙なタイミングでベースと共にコードを弾き出すと、すぐにキーボードがイントロを奏でだす。ややあって、メロディが本条のギターへ移り、イサムはマイクを掴んで歌い始めた。
(こいつら、やはり上手い。)
新曲ということもあって、互いの息がピッタリというわけではないが、そもそも一人ひとりのレベルが完成されている。これ程の連中と同じステージに立ち続ければ、いつかそのうち、”夢の景色”に辿り着けるのだろうか。
初合わせが終わると、5人は楽譜にメモを書き込みながら、問題があった箇所についてアイデアを出し合った。修正した部分はピックアップして確認する。そしてまた調整する。これを繰り返す。
「ふむ…やはりこの構成だと、キーボードのソロがくどいようだね。」
「なら、一箇所ギターにアドリブを回せばいいんじゃないかしら?」
「カズ、このサイズで入れられるか?」
本条はギターを構え、楽譜も見ないで即興メロディを完璧な尺で試し弾きした。
「これでいいのか?」
「………。」
4人は一度顔を見合わせた後、苦笑した。
「…ほんと、お前は性格さえまともなら問題ないんだけどな…。腕だけは期待してるぜ。」
イサムはそう言うと立ち上がり、伸びをした。
「じゃ、1時間休憩にするか。…一応聞くけど、カズもコンビニ行くか?」
「俺は練習がしたい。」
「ハイハイ、じゃあまた後でな。」
4人のメンバーたちは、それぞれの荷物を置いて財布だけを携帯し、ドアを開けて通路に出た。
「…ん?何だ?あんたたち。」
「やあ、ごめん。ちょっと人に用事があって待ってたんだけど…。」
「腹立つ顔のギタリストがここにいるだろ。そいつを呼んでくれ。」
「…カズの知り合いか?」
本条がスタジオの中から外のやり取りを聞いていると、イサムがドアの隙間から顔を覗かせてきた。
「おいカズ、アキラってやつが来てるぞ。」
*
スタジオの中はかなり広く作られていて、アンプや譜面台などの懐かしいものが壁際に並んでいる。部屋の最奥、一段高くなっているステージにバンドのセッティングがされており、その段に腰掛ける本条の姿があった。
俺たちは意気込んでここにやってきたにも関わらず、何故か当の本人を目の前にすると、つい昨日ぶりに会ったかのような感覚になった。
「………お前たちか。何の用だ。」
「『何の用だ』はねえだろ。」
4人は本条の周りに集まって適当に床に座ると、あぐらをかいた。
「お前、何やってんの?」
「バンドをやっている。」
「いや、そうだけど…。」
俺はポリポリと顎を掻いた。
「借金は?」
「プロデューサーが肩代わりした。」
「プロデューサー?」
コボは顔をしかめて考えた後、思い出したように言った。
「キメラってバンドのプロデューサーか。確か、菅原ってやつだね。音楽業界では無名だけど、資産家として強引に参入したって噂がネットに書かれていた。」
「ん…?菅原…?資産家…?」
ジョニーは何かを考え込んでいる。
「借金を担保に雇われた。俺はこのバンドでメジャーデビューを目指す。」
「待てよ!それじゃ、俺たちとの約束はどうなるんだよ!」
「………なら、お前たちこそ何をしている?」
本条は脇に置いてあったギターを抱えた。
「俺は自分の夢を叶えるために努力している。お前たちは、何をしている?」
俺たちは一瞬何か虚を突かれたような気がして言葉を失ったが、すぐに言い返した。
「俺たちはお前みたいな才能はねえから、ビジネスで先に金稼がなきゃいけないんだよ…!」
「そうだよ。こっちだって、毎日必死に働いて頑張ってるんだ!」
「…なら、いつ借金を返せる?いつあの道に戻ってくる?」
本条はこれまでにないほどハッキリとした口調で言った。
「お前たち、楽器の練習はしているのか?」
4人は気圧されて押し黙った。
「俺には金のことはさっぱり分からん。だが俺はちゃんと言った。『俺は何も変わるつもりはない、俺の夢はここで終わりじゃない』と。」
「……ものには優先順位ってもんがある…!」
「お前にとって歌うことは、金を稼ぐことよりも優先順位が低いのか?」
本条は突然ギターを持って立ち上がる。
「立て。お前たち、何か1曲演奏してみろ。」
俺たちがぎょっとして顔を上げたそのとき、スタジオにキメラのメンバーたちが戻ってきた。
「ああ?あんたら、まだいたのか?」
「カズにお友達がいるなんてね〜。」
本条は無表情のまま、一度壇上を降りた。
「休憩時間はまだある。俺は今からこいつらと1曲だけ合わせる。楽器を借りる。」
それを聞くと、彼らは興味深そうに寄ってきた。
「へえ、そう。あんたたち、バンドマンだったのか。そりゃあ楽しみだ。いいぜ。ぜひ聞かせてくれよ。」
「いいねえ…。僕らも勉強になるだろうしさあ、オーディエンスになってあげるよ。」
ぐぬぬ…。こいつらは各種コンテストの優勝経歴を持つ実力者たちだ。完全にバカにされている。こうなるともう、こちらも引き返せない。
「よし、分かったよ!その代わりな、本条!俺たちがこいつらより上手かったら、うちに戻ってきてもらうぞ!」
「アキラ、流石にムチャだ!」
常識人のコボが俺を引き留める。
「…いいだろう。曲は”THE WOLF”だ。全員早く音出しをしろ。」
俺は渋る3人を無理やりステージに上げ、ポジションにつかせる。
キメラの連中は、これが本条を賭けた下剋上であることを知り、実に愉快そうに客席を並べている。一方、ステージ上では俺の仲間たちがわちゃわちゃしていた。
「うわ…ちょっと待って、スナップの感覚忘れてる…。」
「おい、このキーボード最新型かよ…。ファンクション分かんねえぞ。」
「ねえ誰か、ベースの音量チェックしてくれる?……あ、プラグ刺さってなかった。」
アンプの確認をするスワンの隣で、俺はマイクに向かって声出しをする。
「あー…あー…。」
「あれ、アキラそんな声だっけ?」
「そんな声ってなんだよ!声はお前…いつもこうだろ…。」
流石に不憫になってきたのか、客席に座っている4人はちょっと大人しくなっている。
「…もういいか?始めるぞ。」
最後に本条がステージに上がってくると、やつはギュイーン!と、遠吠えのような冒頭ソロの1音目を鳴らした。
あ……。
その瞬間、俺たちは全員同じ感覚になったのか、示し合わせたようにハッと顔を上げた。
懐かしい…。でも、懐かしくない…。
この場所は、昔俺たちが確かにいた場所だ。
だけど、そう。懐かしくなんてない。
あの道は、遠い昔に捨てた道じゃない。
呼ばれれば、俺たちはいつでも必ず全員帰って来られる。
ズン!と深みのあるベースが進路を切り拓くと、アツく精確なドラムと、したたかなキーボードが前へ出る。強烈な音の渦の中で、俺はマイクを握りしめた。
『魂の欠片が散っても
俺だけはずっとここにいる
焼けても裂かれても 俺だけはずっと
失くした欠片が還るまで
狼の声で叫び呼ぶ
またここに
全てが戻って来られるように…』
歌詞の合間、俺は本条が隣でひとつ、何か呟くのを聞いた気がした。
「『I knew it…』」
*
曲が終わると、俺たちは目が覚めたように我に返った。客席は静まり返っている。
本条は余韻で固まっている俺達を置いてステージを降り、振り返って言った。
「相変わらずだな。」
「…どうだった?思ったよりマシだったよな?」
「相変わらずだ。…コボ。リズム感は衰えなくても、筋肉は衰える。ちゃんと体を戻せ。」
「あ…う、うん。」
「スワン。お前はこの中では一番マシだが、芸がない。もっと技を研究しろ。」
「芸…?」
「ジョニー。指が頭に追いついてない。残念だ。」
「残…この野郎、俺は作曲専門だ!意趣返しか!」
「アキラ。」
俺はダメ出しの覚悟を決めて腹に力を入れた。
「あと1ヶ月だ。」
「え?」
本条はギターを置くと、後ろを向いて客席に座っていたキメラのメンバーに宣言した。
「こいつらも、1ヶ月後のバンドフェスに出る。そのときに俺がステージでこいつらと”夢の景色”を見られたら、俺は今のバンドを辞める。」
イサムは驚いて立ち上がった。
「待てよカズ!たしかにこいつらは思ったよりできるけど、1ヶ月で俺たちを越えることはない!余計な時間を割かないで、こっちのバンドに集中しろって!」
「こいつらとの合わせは必要ない。練習は全てお前たちのスケジュールに参加する。」
「……!」
イサムは暫く唸って考えたが、やがて吹っ切れたように言った。
「…いいぜ。よく考えたら、別に断る理由もねえわな。せいぜいフェスで最後の想い出でも作ってくれ。」
*
俺たちはスタジオを後にし、帰る道すがら話し合った。
「こんなことになるとはね…。」
「最後の勧誘がABCじゃなくて対バンだとは、誰も予想できないだろ…。」
コボと俺は頭を抱える。
「そもそもあいつ、フェスの結果がどうあれ、ビジネスをやるつもりはあるのかな…?」
ジョニーがスワンの言葉を聞いて立ち止まった。
「そこなんだよ。あの口ぶりからすると、キメラを抜けたとしても、借金担ぎ直してフリーターに戻るだけだぜ。バンドは俺たちとやるかもしれねえが、HOPESには絶対入らねえぞ?」
「もう、俺たちがあいつの分も借金返してやればいいんじゃない?」
「んなことするか!」
コボが冷静に割って入る。
「仮にそうしたとしても、結局俺たちにはこれからバンドをやる時間なんてないだろう。今は4人、それぞれ自分の仕事とHOPESに全ての時間を使っているんだ。やっぱりMLMの収益で借金を返済して、全員が自由になるまで待つしかない。」
「その話もそうなんだけどよお…。」
俺は話を遮った。
「まず俺たち、練習しなきゃヤバくね?本条と同レベルが集まるバンドに、1ヶ月で勝たなきゃいけないんだぞ?」
「………。」
ああ。結局最後は、時間がない。金がない。
何を取ればいい?何を捨てればいい?
俺たちはそれから、駅までの道を無言で歩いた。
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