第15話 潜入

「見て見て、お兄ちゃん!お父さんが昔のアルバム持ってきたよ!これ、若いころの写真だって。」

未央が遠慮もなく部屋にズカズカと入ってきて、床にアルバムを広げだした。写真は親父が学生のときのものらしく、その多くがバスケットボールのユニフォーム姿で写っている。

「あ、これカッコイイ!キャプテンのときのやつかな?」

未央が指差した、特に大きく飾られているページには、『インターハイ”優勝”』の文字と共に、勝鬨を上げる若かりし頃の親父と、その仲間たちの写真が貼られていた。

「未央、そろそろお風呂入りなさい。」

部屋に入ってきた親父に催促されると、未央は「はーい」と返事をして出ていった。

親父はアルバムを手に取り、ベッドに腰掛けた。

「今年は帰ってきたんだな。」

「翔吾は高校卒業、未央も中学卒業だからな。今年は必ず帰ると決めてたんだよ。」

「あっそ。」

オレは6年間小遣いを貯めてパンパンになった貯金箱を叩き割った。

「……翔吾。お前、本当に大学に行かなくて良かったのか?お前ほどの頭なら、ちゃんと勉強すれば簡単に合格できたはずだ。」

「いいんだよ。さっさと働きたいから。自分で金稼いで、オレは自由に生きる。親父みたいにはなりたくねえ。」

「…そうか。」

親父は穏やかに微笑んだ。オレは、そのことが無性に頭にきた。

「なあ、親父はバスケの選手になるはずだったんだろ?それがなんでこんな暮らしになってんだよ。夢を諦めて、家族作って、それなのに、自分は数年に1回しか家に帰って来れねえ。嫁と子供のATMになってるだけじゃねえか!オレはもう勝手に生きていくし、未央だってもう子供じゃねえんだ。家族に全部人生捧げてんじゃねえ。自分のやりたいようにやれよ。男だろ!」

親父は懐かしそうに眺めていたアルバムをそっと閉じた。

「…翔吾、ちょっとこっちに座りなさい。」

オレは眉間に皺をよせながら、渋々親父の隣に座った。

「母さんは立派な人だな。翔吾がこんなに自分でものを考えられるように育ててくれたなんて、俺は頭が上がらないよ。」

「………。」

「翔吾。俺はな、夢を諦めたんじゃないぞ。”新しい夢”を選んだんだ。母さんと出会って、お前が生まれて、未央が生まれて…。自分がこんなに誰かのために幸せに働けるなんて、俺は子供の頃、知らなかったんだ。今はもう、お前たちが自分の生きる道を見つけて、希望を持って生きていくのを見ていたい。それが俺の夢だ。」

「……オレには分からねえよ。」

「きっといつか、お前にも分かる日が来る。お前ほど賢く、勇敢で、誠実な男なら、いつか必ず”本当の愛”の意味が見つかるさ。」





扉を開けると、そこは大広間になっていた。

3メートルはあろうかという長テーブルがいくつも置かれ、数え切れない老若男女が茶菓子とティーカップを囲んでいる。

「あ、あっちの席が空いてますよ!あそこにしましょう!」

ジョニーは女に連れられて、壁際の席に案内された。

「わあ〜!お茶とお菓子がいっぱい!これ、自由にもらっていいの?」

「そうだよ!私のお勧めは、”白ハーブティー”!ちょっと独特な味がするけど、飲んだ後スッキリするんだ。注いであげるね!ジョニーさんも良かったらどうぞ。」

「ん、ああ…。」

ジョニーは自分のカップに注がれていく白い液体を眺めた。

(店先のメニューには無かった色だな。分からねえが、何か嫌な予感がする…。)

「あー、すまん。やっぱり黒ハーブティーに替えてもらってもいいか?あれが気に入ってな。」

「あー…そうですか?それなら、これは私がもらっちゃいますね。」

女は自分が持っていた空のティーカップをジョニーのものと交換すると、代わりに黒いお茶を注いできた。

「えー、皆様。各々お愉しみでしょうか。そろそろ全員がお集まりいただけた頃合いですので、ここで我らが”お茶会”の代表、天堂肇先生によるご挨拶をいただこうと思います。それでは、先生のご登壇です!」

広間の奥に置かれた演題から司会の男が退くと、控室のドアから恰幅の良い壮年男性が現れ、会場には割れんばかりの拍手が巻き起こった。

ジョニーはテーブルの上に指を組み、体を倒して耳を傾ける。

「いやいや、皆様。そんなに熱烈な拍手は結構ですよ。ただの紅茶大好きおじさんの耄碌もうろくスピーチですから。」

あちこちで笑いが起こる。

「今日はね、毎月恒例のお茶パーティにお越しくださって、本当にありがとうございます。お友達に誘われて初めてやってきた方もいるでしょうから、まずはこの会の歴史をお話しましょう…。」

天堂はいかにも”可愛いおじちゃん”といった話し方で、お茶会の誕生エピソードや、健康の秘訣などを、豊かなジョークを織り交ぜて紹介した。

「…というわけで私は、『健康はまず”心”から』ということを知ったわけですね。いやあ、そう考えると、お茶というのは素晴らしいものです。始めは数人で始まったこの会も、今やこんなにもたくさんの人達で賑わうようになりました。ただ飲んで健康になるのではなく、仲間たちと語り合いながら囲むテーブルがこんなに平和で”愛”に溢れたものになることを、私はもっと色々な人に知ってもらいたい。ぜひみなさんも、楽しみながら友好の輪を広げていってくださいね。それでは、私からは以上です。」

天堂が壇上を降りると、またしても壮大な拍手が送られた。

ジョニーはカップに軽く口をつける。

(流石だな。シッポを出さねえ。本当にただのお茶同好会でした、って言われても遜色ねえぐらいだ。)

女は、拍手が終わると立ち上がった。

「さあ、二人とも。初参加の人は、この後別室で先生とお話ができるの。行きましょ!」

「そうか、そいつは楽しみだ。案内してくれ。」

ジョニーは怪しげに口角を上げると、女に連れられて2階への階段を上っていった。





「では、先生のお部屋はこちらになります。今日は初参加の方が多いので、2回に分けて入室となるそうです。」

「そっかあ!じゃ、オレは後半がいいなー。それまでメイちゃんとお話しててもいいだろっ?」

翔吾は愛衣の手を握った。

「ええ。いいですよ。それでしたら、控室の方にお通ししましょう。」

二人が控室に入ると、既に数人の男女がテーブルを囲んで待っていた。その中には…。

「おあっ!アキラんとこのキーボード野郎じゃん!」

「ジョニーだ。覚えろ。呑気なもんだな。」

「どうやって来たんだよ。」

「お前がアキラにあの喫茶店の場所を教えたんだろ。勧誘スキームがザルで楽勝だったぜ。」

ジョニーは背もたれに体重を預け、愛衣に視線を移した。

「よお。また会ったな。」

「……あなたですか…。」

「俺もお茶が大好きでよぉ。”高次元のエネルギー”ってやつを体験してみたくなったんだ。」

「…そうですか。では体験してみるといいでしょう。今、”白ハーブティー”を持って来ますから。」

愛衣はプイッとそっぽを向くと、部屋の奥にあるティーポットを取りに向かった。翔吾は愛衣に纏わりついて、一緒に歩いていく。

「なあなあ、メイちゃんはさあ、どのお茶が一番好きなの?その白ハーブティーってやつ?」

「はい、少し変わった味がしますが、飲むとスッキリしますよ。」

愛衣は翔吾をさりげなく肘でどかしながら、カップにお茶を注いでいく。

「そっかあ!じゃあオレもまたいっぱい買っちゃおうかな〜!メイちゃんが儲かるなら、オレいくらでも出しちゃうよ〜!」

「えっ?」

愛衣は持っていたカップを落とした。床に散った陶器の破片が、大きな音を立てた。

「し…失礼しました…!」

音に振り返った部屋の者たちは、またすぐにそれぞれの会話に戻っていく。

「うわっ、メイちゃん大丈夫?怪我はなかった?」

「え…ええ…。」

「良かった!大丈夫、オレが淹れてあげるよ!」

翔吾は破片を拾い集めて、テーブルクロスで床を拭き取ると、愛衣の代わりに白ハーブティーを3杯カップに注いだ。

「………。」

「さ、一緒にお茶しようぜ!ジョニーもメイちゃんのお勧めを飲めばイチコロに決まってる!」

「あ、あの…!」

翔吾はトレイをジョニーのところまで運んでくると、カップをそれぞれの椅子の前に置いた。

「なんだ、騒がしかったな。」

「オレが纏わりついたせいで、メイちゃんがカップ落としちゃったんだよ。さ、これがお勧めの白ハーブティーらしいぜ。ほら、飲め飲め!」

ジョニーは湯気の立つ白い液体を、飲まずにずっと睨みつけている。

「なんだよ、自分で欲しがったくせに。じゃあオレが先にもらうぜ。」

そう言って翔吾がカップに口をつけようとした瞬間、横から伸びてきた手に腕を掴まれた。

「あれ?メイちゃん、どうしたの?」

「………。」

ジョニーはその様子を見て、静かに言った。

「お前、だな?」

「…私、…私は……。」

「…メイちゃん…?」

愛衣はジョニーと翔吾の腕を引っ張って控室を飛び出し、階段を降りて、そのまま空いていた1階の部屋に連れ込んでしまった。


「私………。」

「メイちゃん、どうしたんだよ?気分悪いのか?」

「私は…どうしても…どうしてもお金が必要なんです…!」

ジョニーは動揺する翔吾の肩に手を置き、一歩下がらせた。

「金が必要なら、他にいくらでも方法はあるだろ。あんたの器量なら、体でも売って稼げば済む話だ。」

「そんなことで済むのなら、もうやってますよっ!!」

涙ぐむ愛衣を見て、翔吾はさらにたじろいだ。

「父の…天堂肇のビジネスは、私が16になった頃にはもう、引き返せないほど多くの信者を抱えていました。大人になって父の仕事を理解したとき、私は自分が”占い”を人々の扇動に使われていることを悟りました。逃げて…自由になることも考えたけれど…5年前、シャングリラの解体時に父が背負った莫大な負債を、私も一緒に返さなければならない…。私が天に導かれた力は、そのためにあるのでしょうから…。」

ジョニーは顔色も変えずに詰め寄った。

「で?お前は父親の言う通りに、また悪行を重ねるわけか?こりゃあ確かに次元の高い”愛”ってわけだな。」

「信者の方々に罪はありません…。あなたから見れば気色の悪い団体なのでしょうけれど…彼らは私と同じように、疲れ、苦しめられ、人間の力ではどうにもできない人生の”不幸”の傷を癒やしているだけなのですから。それを私が否定することなんて、許されないんです。」

「許されない?誰がお前を許さないんだ?天堂肇がか?」

廊下が騒がしくなる。天堂の1回目の説法が終わったようだ。

「それとも、”天の導き”ってやつか?」

そいつの人生を勝手に否定する権限はない……ジョニーはその言葉を撤回した。

「俺が論破してきてやるよ。そんなもんがあるってんならな。」





藤崎は、背後のテーブルからABCの様子を伺っていた。状況は芳しくない。


「俺の…俺のせいか…?俺があのときお前を無理やりバンドに誘わなければ、こんなことにならなかったのか…?」

「…違うよ。アキラはみんなに内緒で、お金を貸してくれた。誰も悪くない。悪いのは、選択を間違えた俺自身なんだ。」

スワンはそう言って、力なく微笑んだ。

「でも大丈夫さ。アキラが波乱を呼ぶ存在だってことは、きっと天の導きが決めたことなんだ。俺の人生だってそう。だけどこの世界は、そんなに残酷なわけじゃ、きっとないんだよ。悲しみも苦しみも、何か理由があって俺たちの下にやってくる。それを乗り越えた先に、大切なものを見つけられるように、そのために受け入れるべき試練なんだ。」

俺は返す言葉も見つからない。

「俺は自分の居場所で、それを探すよ。母さんの死は、きっとそれを俺に教えてくれる”愛”だったんだと思う。どんなに挫けそうになっても、嵐が過ぎるのをじっと耐えていれば、いつか誰かが見ていてくれる。絶望が晴れる日はやってくる…。」

コボはその言葉を聞いて、ラリーの日のことをハッと思い出したようだ。

「スワン。それじゃあ、俺たちの夢はどうなるんだ?そうしてじっと耐えていて、いつかそれが叶うのか?」

「それは俺が知っていることじゃないよ。なるようになるだろうさ。この傷が癒えるまで、穏やかに過ごしていれば、きっと次の道が見えてくるんだ。」

スワンは腕時計を見て立ち上がった。

「…さ、今日は本当は総会の日なんだ。途中参加だけど、”白の祝盃”には間に合うだろう。俺はもう行くから。アキラ、久々に会えて嬉しかったよ。じゃあね。」

マズい。ジョニーには、スワンを総会に来させないよう言われている。それどころか、本人の説得に失敗してちゃ、リーダーである俺の仕事は大失敗だ。こうなれば、最終手段に出るしかない。

「ま…待てスワン!」

コボは俺と同じ考えに至ったのか、同時に立ち上がった。

「俺たちも連れていってくれ。お前が案内すれば、ゲストも入れるんだろ?騒ぎは起こさないと約束する。お前がそこまで言う組織を、実際に見て納得したいだけだ。」


3人はやや揉めたように見えたが、結局一緒に店を後にした。藤崎は深く溜息をつく。

かなり深刻な事態になった。敵組織の拠点に、あの戦力だけで立ち向かうのは危険だ。

しかし、組織を足抜けした自分では、現場内部に侵入することはできない。これ以上追跡することは難しい。単身で今からあそこに乗り込むことは不可能だ。

……この世でただ1人を除いては。

「はあ…。やむを得ないか…。」

藤崎はスマホを取り出し、電話をかけ始めた。

「…お疲れ様です。台湾からお帰りのところ、申し訳ありません。緊急事態です。」

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