第4話 死に急ぐ理由は今もなお


 朝ごはんを終えて、少しだけまったりしたあと、律二と力弥が訪ねてきた。

 全身からめらめらと火焔と雷電が噴き出るような律二と、不燃性絶縁体の力也が並んでいると、時空が歪んでいるかのような錯覚に陥る。

 自己紹介は滞りなく進んだ。

「貴嬢の身から、果てしない修羅を感じる……ッ! 鉄と血の熱演を、戦火を感じるぞ! さては名高き革命の志士と見た!」

「……?」

 律二は意味もなく燃え上がっているけど。

 力弥はグリセーダの出身に興味を惹かれたようで、

「あ、あ、あの、さ、サルペス将軍、って、わかるよね……?」

「ええ」

「戦場では無類の強さを誇る迅雷将軍。でも、平時は短気ですぐに部下を嬲り殺す鬼上官……って、本当なの」

 グリセーダは、故郷の話題を持ち出されても、特段顔色を変える様子はない。内心どう感じてるかはわからないけど。

「将軍は厳格な方だし、無闇やたらと暴力的なのは間違いないけれど、あの方の鉄拳が人を殺したことはまだないはずよ」

「そ、そっか……残念」

 

 グリセーダは問われれば、割となんでも答えてくれる。戦火から逃れて日本に来たことも、自虐混じりに自ら語った。

 その話を聞いた律二は燃え上がった。

「やはり俺の推量は正しかった! 貴嬢は異国の地にてその赤き瞳に捲土重来の炎を燃え上がらせているのだな!」

 違うよ。燃えてるのは希死念慮の炎だよ。僕は心中で反駁した。

「燃え上がる地! 湧き上がる血! 戦え国民、負けるな赤富士! 万歳! 万歳! ばんざーーーーーい!」

 全自動脳髄煮沸回路を搭載した我が幼馴染は、今日も絶好調のようだ。

 グリセーダはもう、呆気に取られて固まっている。

「どう? 個性的なやつらでしょ」

「え、ええ……世の中は広いのね」

「死にたくなった?」

「別に」

「なら、食材の買い出しに向かおうか。生きているうちは、食事を欠かすわけにはいかないからね」

「……この人たちも、一緒に行くの?」

「さあ? どうする?」

 二人に聞くと、どっちも行くと答えた。

 律二は非常に家庭的な革命戦士なので、近所の商店の価格設定やセールの日程などを全て把握している。連れていって損な人員じゃない。

 力弥は……頼んでいた『品物』を受け取りに行くらしい。『品物』の内容や由来は聞かない方がいいだろう。


 僕らの住む夜祭よまつり市は、市とは付くものの大した広さも人口もなく、市民の間では『江東区の面積にも負ける』という自虐が流行っている。牛蒡のように細い春哭半島はるなきはんとうの付け根に存在する40平方キロメートルの市領には、遠神田とおかんだ萬瑞寺ばんずいじという二つの町があり、町は施頭川せずがわによって隔たれている。

 川の流れは険しく、大正時代に鉄橋が架かるまで、幾度も橋が流されて、颱風の季節が到来するたびに両町の連絡は途絶えがちだったという。

 

 そのせいだろうか、僕たちが住む遠神田と、グリセーダの父母が住んでいるらしい萬瑞寺とでは、町の景観も雰囲気もかなり異なっている。

 遠神田の商業区は川沿いに並び、大型商業施設から、手頃な日用品店、さらに奥まった場所には力弥御用達の怪しい店や、103号室に住む七さんが営む占い処などのきな臭い店が櫛比する地帯もあり、治安はあまり良くないけど、散策するとなかなか楽しい。

 商業区に入り、力弥とは早いうちに別れて、僕たち三人は律二を旗頭に、青物や肉や、女の子の一人暮らしに必要な物品を揃えた。

 更に、律二は化粧品店に入ってゆく。

「……」

「どうしたのかな。幼馴染の女子力の高さに、声も出ないって感じ?」

「なぜ、あなたが自慢気なの」

「律二は料理も堪能だから、苦手なら頼ると良いよ」

「……考えてみるわ」

 やっぱり、料理の経験などないらしい。水を扱ったことのある手をしていない。

 さて、僕はどうしようか。

「どこかに行くの?」

「うん。僕は化粧品の匂いが、どうもいけない。本当は君のそばに居たいんだけど、女の子ってこういうのを吟味するとき、驚くほどの時間をかけるじゃないか。僕はあっちの書店で待ってるから、気にせずにじっくりと吟味してくれて構わないよ」

「そう」

 グリセーダは少し、ジトっとした目つきになって、

「一緒に化粧品を買いに行くような女の子がいるのね。さすが、口説き上手」

「ははは、君こそ冗談がお上手で。あの子は立派な彼氏持ち、僕なんぞは二人の後ろを黙ってついていく荷駄役に過ぎないよ」

 タネを明かせば、202号室のカップルさんのことなんだけど。そもそも僕は、無闇やたらと女の子を口説くような尻軽男子じゃない。

「あ、もし、化粧品を選んでいる最中にふと死にたくなっても、勝手に川に飛び込んだりせず、まずは僕に一報お願いね」

「はいはい」

 なんだか適当にあしらわれた気がする。


 それにしても、今日のグリセーダは、昨日とは比べ物にならないほど生き生きしている。昨日は、命を激しく燃やし尽くそうという気概に溢れていたけど、今日の炎は穏やかだ。

 それはそれでいい。

 僕は、書店の片隅のスタンドに建ててある、新聞記事を一部引っこ抜いて広げる。

 三面の、世界情勢の欄の見出しに、

『サングロシア紛争 収束へ』

 とある。

 今年の一月に始まった、ガルマンザ王国によるサングロシアへの侵略行為は、二月には商都フィブロを陥落させ、四月に国土の半分を占拠し、その後サルペス将軍の奮戦によって国境地帯まで押し返すも、物量に押し切られて遂に王都まで進軍を許し、六月二十八日、降伏の調印式が開かれた。

 ところが、その式典を武装ゲリラが襲撃し、爆弾によってサングロシア国王ルシエンテ四世と、出席していたガルマンザ王太子アンヘロが殺害された。そして、ルシエンテ四世の嫡子にして王国の正当な後継者であるユーラン王太子率いる『決死の抵抗軍』が各地で叛旗。降伏は撤回され、今もなおサングロシア国土は戦乱の渦のなか。

 彼女が死を希う理由は今も生き続けている。戦争がどのような結末を迎えるのか、僕には予想もつかないけど、きっとグリセーダの背中を押すくらいには悽愴なものとなるだろう。

 グリセーダは生きている自分を責めている。責め苛み、やがて心は塵になる。塵はただ、強い風に吹かれて消え去ることのみを望む。

 一方で、グリセーダは絶望に飲まれているわけじゃない。笑顔を失っていない。生きることを諦めたわけじゃない。

 

 つまり、生きることをやめたいという消極的理由じゃなくて、自らを罰するために敢然と死へと足を進める、極めて積極的な希死念慮を抱えているわけだ。

 誇りのために腹を切る武士のごとき矜持。死にたい、でも、生きていけない、でもなく、死ぬべきだからこそ死ぬ。

 

 それこそが、僕に足りないもの。

 僕が求めてやまないもの。

 死ぬ理由なら山ほどあるのに、自覚も自意識も過剰なまでに存在するのに、ただただ心だけが追いつかない僕を叩き起こしてくれるもの。

 最も美しい死に様。


 僕は新聞から目を離し、窓から店の向かいにある化粧品店を覗く。

 グリセーダの赤い髪は二枚の窓に隔てられてもなお目立つ。ただでさえ白い肌なのだから、唇に紅を差せばきっと映えるだろう。想像するだけで、身震いするほどの美しさ。


 そう、彼女は美しいのだ。

 僕は、彼女を死にゆく穢れなき魂として見ていたからあまり気にならなかったけど、彼女が再び死を決意するまである程度の時間が必要そうだと思い始めたいま、改めて考える。

 そう、彼女は美しいのだ。

 美しい彼女を、細かい内容はどうあれ連れ帰って隣人にしてしまったのだから、これは中々の快挙なんじゃないだろうか。

 いわゆる、爆発を願われるたぐいの。


 そしてふと、思ってみる。

 グリセーダには、愛しく想うひとがいるのだろうか。戦火を逃れて日本に来てからはそんな心境にもなれなかったろうけど、国許には心の通じ合ったひとりやふたりくらいいるんじゃないだろうか。


 そんなことを考えていると、ふと窓の外が忙しなくなった。

 化粧品店の前で、三人組がグリセーダと律二に激しく絡んでいる様子。当たり屋だろうか。このあたりは盛場らしく、活気は旺盛だがガラの悪い与太者も多く棲息している。

 律二は漢らしくグリセーダを背に庇い、両の拳を打ちつけて応戦の構えを取る。

 これは、まずい。

 グリセーダの身も心配だけど、律二は喧嘩となると見境が無くなる。

 

 血の雨を回避するべく、僕は書店を飛び出した。

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