第9話 ライバル出現!?



『どうしてこんなところにいるんだい』


耳の穴から入ってきた低く深い声は、一気に指先にまで伝って、ダルシーは魔法をかけられたように動けなくなりました。

ラルフはクスッと笑うと、一歩下がり元の位置に戻りました。その時、艶々の柔らかい白い髪がダルシーの頬を撫でました。



『珍しいね。どうして人間のお嬢さんがこんなところに?』


長い腕を伸ばしダルシーの頭についた羽をとると、今度は少し高い青年らしい声で尋ねます。

つまんだ羽根にふっと息を吹きかけると、羽根は一瞬で砂になりました。

ラルフが動くたびに、甘い、果物のような匂いがダルシーの鼻先をくすぐります。

ラルフは、メルヴィンがキッチンへ向かったのを確認すると家の中に一歩足を踏み入れて、『どうして?』ともう一度問いかけました。青みを帯びた乳白色の瞳で見つめられると、ダルシーの体はさらにカチコチになります。



『ちょっと訳あって一緒に暮らしておるんじゃよ。‥‥ご苦労さん、これお駄賃。よいしょっ』


キッチンから出てきたメルヴィンはラルフから荷物を受け取り、重たそうに引っ張り上げながら運びました。

『ふっ』と気合を入れ、それをテーブルの上にドカンと置くと、袋の中からコルクで蓋された試験管を取り出しました。



ラルフは質問を止めません。


『恋人でなければ友人?どこから来たの?君は何者?彼は今まで、誰ひとりとして人間をこの森に入れたことはないのに。どんな手を使って入り込んだんだい』


『いや、私は、その‥‥』


ぎゅっと服の裾を掴んだダルシーの手に、さらに力がこもります。目の前のラルフに緊張しているのもありましたが、それとは別にもうひとつ理由がありました。

ダルシーは、いくら考えてもラルフの質問に答えられないのです。

記憶が無いせいで自分がどこから来たのか、一体何者なのか、分からないのです。

ここでの生活が楽しくてすっかり忘れていましたが、急に現実をぽんっと目の前に置かれて、少し困惑してしまいました。

体は固まっていますが、頭はフル回転しています。なんと答えるのが正解か、ダルシーは必死に考えました。


"私は何者"

"どこからきたの"


迷路に迷い込み、頭の中が重たくなる感覚に襲われたその時でした。

奥の扉が開き、ピエロカラーのブラウスに着替えたエディが部屋から出てきました。


「余計な詮索をするなラルフ」


少し強い口調で注意をすると、玄関横のクローゼットからジャケットを取り出し、着ようか悩み始めました。


『詮索だなんて、僕は挨拶をしてるんだよエディ。マナーを守れと言ったのは君だろ。これから長い付き合いになるだろうし。ちなみに今日は暖かくなるからジャケットは要らないよ』



エディはラルフの言葉を全く耳に入れない様子で、クローゼットの鏡を覗き込み、頬についたまつ毛を指で払っています。



『ねぇ、あなたはエディのお友達?』


ダルシーがラルフにした質問に、すかさずエディが答えます。



「友達なもんか。こいつの両親もこいつも元々悪魔の使いだったんだ。嘘つきカラスと同じくらい信用できないよ」



『それは10年以上も前の話だ。ほら、見てよ。改心してこんなに真っ白になったんだ、カラスなんかと一緒にしないでくれ。それに今は君たちの使いとして汗水流して食糧を運んでやっているじゃないか。これでもまだ僕を信じられないって言うのかい?』



「そう簡単に変わるかな。残念だけど僕は用心深いし、根に持つタイプでね。君たち一族がしたことを忘れることはできないんだ」



椅子にどさりと腰掛け、レースアップシューズの紐を結びながらエディは冷たく言い放ちました。

慣れた手つきできれいな蝶々結びを作ると、ラルフをしっしっと外に追いやり、自分も一緒に外に出ます。家から追い出されたラルフは、負けじと外からダルシーに声をかけます。


『ところでお嬢さん、今日のご予定は?よかったら空の上を案内するけど』


盾になるエディから顔を覗かせ、ラルフは尋ねました。


「ダメ!彼女は今から記憶屋での仕事で忙しいんだ!君に付き合ってる時間はない。用が済んだならさっさと帰るんだな」


語勢を強め、エディが割って入ります。そしてくるっと振り返ると、人差し指をダルシーの顔の前に立て、「着いて行っちゃダメだよ!」と念押しし、薄絹のマントを羽織り怒った様子で森へ歩いて行きました。



その場に取り残されたダルシーとラルフ。

ラルフは『まったく、頑固な人だと』と呆れたように首を横に振りました。


『でも、あなたのことを完全に嫌っている訳じゃないみたい。エディがあんな風にスラスラ口答えするのは、心のどこかでは許している証拠でしょ。エディは友達じゃないなんて言ってたけど、本当は仲良いんでしょ?』



ダルシーが人懐っこく尋ねました。

エディは、本当に嫌いな人には一切口をききません。ダルシーは最初の頃、何度も無視され続けました。だから、ふたりのテンポの良いやりとりを見て、古い友人なのではと考えたのです。

ラルフは『え?』と少し驚き、すぐに『あー』と何かを理解したように声を発しました。



『いいや。幼馴染でなければ、友人でもないよ。その純粋な瞳に答えられなくて申し訳ないけど、きっと本当に僕のことが嫌いなんだ。彼が必死になっていたのは、君のことを取られたくなかったからだよ』



ラルフの言葉にダルシーは、どういうこと?と、何も気づいていない様子です。

ラルフはフッと微笑みました。そして勢いよく両手を広げると、指先からワサワサと羽が生え始め、ラウルの両腕はあっという間に翼へと早変わりしました。


『今度はエディがいない時に誘いにくるよ』


そう言って見事なウィンクを落とすと、広げた翼を大きく羽ばたかせます。

強い風がダルシーとラルフめがけて吹いてきました。体を押されるほどの強風に、腕で顔を隠すダルシー。

すぐにバサバサと空を泳ぐ音が聞こえて見上げると、ラルフは白い鳥に姿を変え、雲の向こうへ飛んでいってしまいました。







ダルシーが家に戻ると、メルヴィンは記憶屋へ向かう準備を済ませていました。

ラルフから受け取った野菜や肉は、すでに冷蔵庫に片付けたようです。

テーブルの上には、5本の試験管と1冊のメモ帳とペンが置かれていました。

ダルシーが『こんな格好で入ってもいいの?』とワンピースを広げると、本の山を漁りながら『なんでもよいよ』と答えます。


『あぁ、あったあった』と一冊の本を引っこ抜くと、山の一部が崩れ床にドサドサと落ちました。


『よし行こう』


メルヴィンは山が崩れたことを特に気にしていない様子です。ダルシーは落ちた本を拾うとテーブルの上に積み上げ、メルヴィンの後を追いました。



記憶屋はすぐ隣、3人が暮らす家と全く同じ蜂蜜色の煉瓦造りの建物です。

鍵を差し込んだメルヴィンは、何かを思い出したようにダルシーの方を向いて確認しました。


『いいかい、ダルシーさん』


『中のものには絶対に触らない!』


こう言いたいんでしょとダルシーは、小指を立てて約束の合図を送ります。


『やれやれ、君には敵わんな。それじゃあどうぞ、暗いから足元気をつけて』


メルヴィンが木の扉を大きく開きました。

ダルシーは胸の高鳴りと冷静さを半分ずつ抱え、ゆっくりと足を踏み入れます。

しかしメルヴィンの言葉通り、部屋の中は暗く、ほとんど何も見えませんでした。外が曇っているからではありません。

後ろからランタンを持って入ってきたメルヴィン。その光でパッと目が開いたように、部屋の全貌が明らかになりました。



『うわぁ‥‥』



1番初めに目に入ったのは、壁を埋め尽くす本棚でした。

真っ暗なのも納得です。だってこの家には、玄関側の壁にある小さな窓以外は、壁が塞がれ光が入らないのですから。

正方形の部屋の三面は、天井まで続く本棚になっており、ありとあらゆる本が隙間を埋めるようにパンパンに詰まっていました。学校の図書室よりもたくさんありそうです。


片付けが苦手なメルヴィンらしい本棚で、本と本との間には束になった紙類が挟まり、本の向きは上下がバラバラに収納されています。

どこに何があるのか把握しているのかしら、とダルシーは怪訝そうな顔をしました。

本棚にあったのは、研究のための参考書や論文、洋書や息抜きのための詩集でした。



部屋の真ん中では、ろくろ脚の長いダイニングテーブルがダルシーを迎えました。

テーブルの下には、クシャクシャに丸まった紙や茶色くなった瓶が散らばっています。瓶の中を見てみると、緑の苔がへばりつきキノコが生えていました。


汚れの溜まった三角フラスコ、黒い液体入りのビーカー、スポイド、蒸留装置など、いかにも研究者らしい実験器具たちが、テーブルのほとんどを占領しています。

中でも1番目立っていたのは、大きな地球儀のような形をした、透明の球体の器具でした。何に使うのかは、見当もつきません。


天井から吊り下げられた星のモビールは、風もないのにゆっくりと回転しています。

ピンクや黄色の液体が入った、ガラス細工の香水瓶は研究者というよりも、魔法使いの道具のようです。走り書きのメモも数枚。普段メルヴィンは、ここに立って研究をしているようです。



『うげぇ‥‥メルヴィンさん、ここも一回掃除しましょうか』


テーブルの脚に絡まった蜘蛛の巣を見つけて、ダルシーが尋ねます。


『っ!いや!大丈夫!掃除ならワシがする』


部屋中のオイルランプに火を灯しながら、メルヴィンが慌てた様子で答えました。



この部屋にはオモチャや絵本もたくさんあるようです。

ワイン木箱の中には、動物の人形やトランプ、50ピースパズルが箱ごと、乱雑に入れられていました。

本棚の端っこは絵本コーナーになっていてます。ざっと数えても100冊はあります。

おもちゃも絵本も、誰かが使ったような形跡がありました。



『メルヴィンさんは記憶屋に勤めて長いの?』


絵本のタイトルを目で読みながらダルシーが尋ねます。


『ワシが勤めてからはまだ30年しか経っておらんよ。記憶屋は200年前からあったと言われている。あ、そこにあるおもちゃは、エディが小さい時に持ってきて置いたままになったものじゃ』


ある本を開きながら、メルヴィンが答えます。


『200年!?長いのね!じゃあメルヴィンさんのお父さんも記憶屋さんだったの?』


『あぁ。この店はワシの祖父が始めたんじゃ。祖父は、人間の記憶を操る魔法使いの末裔じゃった。力を使えば、人々を操って一国の王になることもできた。しかし、祖父は高潔な人間じゃった。自分の力を人々の幸せのために使おうと考えたのじゃ。それで記憶屋ができた。ここにあるほとんどの本は、祖父や父が残してきた魔法についての記録なのじゃよ』


『代々守られるのね。ところで今更だけど、記憶屋では何を作っているの?』


メルヴィンの近くにあった椅子の埃をふっーと吹き払い、ダルシーは腰掛けました。



『飴玉じゃよ』


『飴玉??飴玉って私がよく知ってる飴玉かしら』



普通の飴玉と何が違うの?とダルシーが尋ねようとした時、メルヴィンがラルフから受け取った試験管と2色の液体を持ってテーブルの前に立ちました。

白衣に身を包み小難しい本を開く姿は、まさに研究者そのもので、涎を垂らしソファーで居眠りしている時とは別人ね!とダルシーは感心しました。


メルヴィンは、5本の試験管をテーブルの上に並べると、そのうちの1本を持ち上げて、ダルシーに見せました。


『この中には、持ち主の幸せな記憶が入っておる』


しかし魅せられた試験管の中は透明です。ダルシーには何も入っていないように見えました。どれだけ近くで目を凝らしても何も見えません。冗談かしらと思うほどに。



『私には空っぽに見えるけど?』


不思議そうな顔をしたダルシーにメルヴィンは、『そう言うと思った』と、笑みを浮かべました。


『いいかい、よーく見ておけ』


使うのは、謎の球体の器具です。

メルヴィンは球体の上についた蓋をクルクル回して開けると、ピンクと水色の液体を流し込み、最後に試験管の中身を出すようにトントン振りました。今のところ何も変化はありません。

ダルシーはテーブルに腕をのせて、じっと見つめました。

メルヴィンはきゅっと蓋をすると、球体をゆっくり時計回りに回しながら、まじないを唱えました。


『Stir, Stir, Stir』


ダルシーにはなんと言っているのか分かりませんでしたが、多分何かを混ぜる時に使うまじないなのだろうと思いました。


球体の中で少しずつ混ざり合った液体が、紫色に変わっていきます。


『きれいな色‥‥』


うっとりと眺めるダルシーとは反対に、夜空色に染まった液体はモクモクと怪しい煙を出し始めました。

ダルシーはギョッとしてテーブルの下に隠れます。この煙が今からどうなるのか知っていたからです。

メルヴィンは両手で球体を回しながら『はっはっはっ、大丈夫じゃよ』と声をあげて笑います。

そうしている間に球体の中は、白い煙でいっぱいになってしまいました。


そしてダルシーが、テーブルから顔を覗かせた、ちょうどそのタイミングで、ポンッと小さな破裂が起こりました。


『うわっ!!!』


驚いて顔を引っ込めたダルシー。

球体の中でポンッポンッポンッと破裂するたびに、テーブルの下からダルシーの小さな悲鳴が聞こえてきます。

音がすっかり止まりダルシーが恐る恐る顔を出すと、球体の中には、カランと黄色の玉がひとつ残っていました。飴玉くらいの、小さな玉です。


メルヴィンは、んしょっと力を込めて蓋を開けると、飴玉を取り出し、手のひらに乗せて、ダルシーの顔の前まで持って行きました。


『うわぁ!とってもきれい!!』


勢いよく立ち上がり、ダルシーは目を輝かせます。

ころんとした飴玉は、よく見ると黄色一色ではなく、いくつかの色が混ざってできていました。

光の当たる角度によって、青白く光ったり赤く輝いてみせたり、まるで宝石のようです。


メルヴィンはどこからか親指サイズの小瓶を持ってくると、飴玉を入れ、コルクの蓋をしました。それをコトンとテーブルの上に置くと、ひとつの本棚に近づき、梯子に登って本を探し始めました。



その日ダルシーは、メルヴィンが実験している間ずっとテーブルに両腕をのせて、うっとりとした表情で小瓶の中の飴玉を見つめていました。




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