第26話 情報収集はバッチリ!

 ◇◇◇◇


 翌朝、陽が昇るよりも早く、悠真はダンジョンの前に立っていた。

 空気は冷たく、肌を刺すような緊張感が漂っている。

 昨日、協会で調べた62階層の攻略情報を何度も頭の中で反芻した。

 罠の位置、魔物の出現ポイント、撤退経路。

 すべて完璧に把握済みだ。


 腰のポーチには回復薬、解毒薬、耐火ポーション、そして予備の包帯。

 戦闘中に困らぬよう、全てを最上位の品で揃えてある。


「……よし、準備完了」


 息を整え、転送陣に足を踏み入れる。

 光が包み込み、視界が白く染まる。

 次の瞬間、悠真の足が62階層の大地を踏みしめた。


 熱い。

 肌を焼くような熱気。

 空気が重く、呼吸をするたび喉が乾く。

 地面には無数の焦げ跡が広がっていた。


「……ここが62階層か」


 目の前に広がるのは、溶岩が流れる灼熱の洞窟。

 岩壁の隙間から吹き出す蒸気が息をしているかのように見える。


 耳を澄ませば奥から金属の擦れる音。

 そして、低い唸り声。

 悠真はメイスを握り直し、身構える。


 炎を纏った影がゆらりと動く。

 次の瞬間、灼熱の息吹が飛んできた。

 悠真は地を蹴り、岩陰へ飛び込む。

 熱風が背中を舐め、空気が焼ける。


「フレイムリザード、か」


 赤黒い鱗、尾の先が火を灯す松明のように輝いている。

 その後ろには重厚な鎧を纏ったアーマーリザードの姿もあった。


 2体、いや3体。

 フレイムリザードとアーマーリザードの混成部隊。

 どちらも厄介な相手だ。

 悠真は素早く状況を見極める。


「(アーマーリザードを先に潰す。あれが前衛の壁だ)」


 短く呟き、地を蹴る。

 熱と金属音の中、悠真のメイスが唸りを上げた。


 朝のダンジョン。

 まだ外の世界は通勤ラッシュ前の時間帯だというのに、配信のコメント欄はすでに三分割されていた。


 :寝起きのコーヒー片手に見てる

 :出勤前にオーク見て気合入れる社畜ワイ

 :ニート組は今日も安定の朝活(観戦)

 :熱そうな階層来たな……

 :カメラ曇ってね?

 :モモちゃん汗かいてそうw


 実際、モモはうだるような熱気に眉をしかめていた。

 灼熱の62階層は息をするだけで肺が焼けるようだ。

 それでもカメラを持つ手を止めない。

 画面の中心には、常に悠真の背中があった。


 悠真は黙々と前へ進み、立ちはだかるアーマーリザードの群れを正確に処理していく。

 炎の熱気をものともせず、メイスを振るうたびに金属音と火花が散る。


「フレイムリザードは……まだか」


 低く呟き、周囲の気配を探る。

 湿った岩の向こうから、かすかな振動。

 そして、地響き。


 現れたのは、真紅の鱗を纏い、口元から熱を漏らすフレイムリザードだった。

 その姿にコメント欄が一気にざわめく。


 :きたああああ

 :溶岩ドラゴン(仮)かっけえ

 :朝から暑苦しい戦い助かる


 悠真はすぐに距離を取り、動きを観察する。

 炎の息吹を吐く直前、フレイムリザードは必ず大きく息を吸い込み、喉を膨らませる。

 それを見極められれば炎は怖くない。


「……今だな」


 アーマーリザードの一体を仕留め、素早く振り返った瞬間、フレイムリザードが息を吸い込んだ。

 喉が大きく膨れ上がり、口腔に熱が灯る。


 悠真は地を蹴って横へ飛ぶ。

 次の瞬間、炎の奔流が地面を焼き、轟音と共に空気が爆ぜた。


 :あっぶね!?!?

 :避けた!!今の見切りすげえ!

 :動体視力どうなってんだこのオーク


 炎が通り過ぎ、熱風の中で悠真の姿が浮かび上がる。

 すでに反撃の体勢に入っていた。


「バレバレなんだよ」


 低く呟き、駆け出す。

 息吹の直後で、フレイムリザードの動きは硬直していた。

 悠真は一気に間合いを詰め、振りかぶったメイスを渾身の力で叩き込む。


 骨と鱗が砕ける鈍い音が洞窟に響く。

 フレイムリザードの頭部が歪み、そのまま崩れ落ちた。


 :ワンパン!?!?!?!?!?

 :朝から爽快すぎる!!

 :出勤前にスカッとしたわありがとうオーク!

 :社畜組、今日も生きる気力を得る


 悠真は肩で息をしながら、メイスを肩に担ぐ。


「……ふぅ。よし、これで片付いたな」


 フレイムリザードの死骸から上がる煙を見つめながら、静かに息を整えた。

 その顔には焦りではなく、確かな手応えが浮かんでいた。


 モモはカメラを構えたまま、そっと呟く。


「ご主人様、ちゃんと勉強したんだね」


 配信のコメント欄には朝日が昇るように称賛の嵐が流れ続ける。


 フレイムリザードを倒したあとも、悠真の勢いは止まらなかった。

 燃え盛る通路を進みながら、出現する魔物たちを次々に撃破していく。


 アーマーリザードの尾を受け流し、反撃の一撃で粉砕。

 フレイムリザードの息吹を紙一重で避け、火傷を負ってもすぐに回復薬と火傷直しを使って立て直す。


 コメント欄も緊張と興奮が入り混じっていた。


 :うわ、今のギリギリだったな

 :火傷しても動き止めないのすげぇ

 :配信でこんな安定感見せるの初じゃね?

 :冷静なオークが一番怖い


 悠真の戦いぶりは、かつての勢い任せではなく、戦術と経験で積み上げたものだった。

 無駄な力は使わず、リズムを崩さない。


 その姿は、まるで熟練の冒険者の教本のようだ。

 やがて、62階層の最深部――次なる階段が姿を現した。

 熱気の向こうに、淡く冷たい光が揺らめいている。


 悠真は立ち止まり、息を吐いた。

 そこには、まるで炎と氷が境界を分けるような不思議な空気が漂っていた。


「……ここが63階層への入り口か」


 足元には霜が張り始め、空気がひんやりとしている。

 まるで灼熱の反対、極寒の世界がその先に広がっているようだった。


 :うわ、次の階層、空気変わったな

 :これ絶対寒いヤツやん

 :防寒装備なしで突っ込んだら即死コース

 :オーク、行くのか……?


 悠真は階段を見つめ、しばらく黙って考え込んだ。

 フレイムリザードの階層でも火傷対策に手間取った。

 極寒地帯では、それ以上の備えが必要になるだろう。


 しばらく沈黙。

 そして、静かに首を横に振った。


「……今日のところは、ここまでだな」


 踵を返し、階段から背を向ける。

 その背中は決して逃げではなく、次への準備を選んだ探索者の姿だった。


 :無理しない判断ナイス

 :昔のオークなら突っ込んで死んでたw

 :慎重すぎて逆にカッコいいんだが

 :この冷静さ、完全に覚醒してるな


 モモはカメラを下ろし、小さく息を漏らす。


「……うんうん。無理はしちゃダメだよ」


 その声はほんの少し誇らしげで、どこか寂しげでもあった。

 悠真は静かに62階層を後にする。

 彼の足音が燃えた岩の上にゆっくりと響きながら、帰還の道を刻んでいた。

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