op.1-5
──シンシアちゃん、この演奏を聴いてみなさい。
母に促されるまま、液晶画面に映し出された映像をぼんやりと見つめた。
まだ幼稚園に通っていた頃の記憶だ。大して賢くもないから計算式も漢字も分からなかったし、幼少期はぼんやりしていて心配だったと周囲に言われるほどには心ここにあらずな幼児だったのだろう。
だが、この記憶だけはつい先日のことのように鮮明に残っている。
それほどの衝撃だったのだ。
舞台上に、一人の少女が颯爽と登場した。飾り気のない薄青のドレスを身に纏って、ひとつに結わえられた艶やかな黒髪が歩みを進めるたびに風を切って揺れている。
綺麗だ。その一言に尽きた。
何を美しく感じたのか、振り返ってみれば、きっとそれは容貌だけのことに限らないのだろう。見るからに、今まで見てきた他の動画のコンテスタントたちとは何かが違う。心に触れた感触が異なる。
気取った様子でも緊張した様子でもなく、街中を歩くような自然さで現れたものだから、却って仰々しいお辞儀に違和感を覚えた。
そもそも、この少女は観客を認知しているのだろうか。緊張している様子がまるで窺えない。シンシアだって、舞台に立つときは幼心なりに緊張してしまうというのに。彼女くらいの年になるまでピアノを続けたら、慣れるのものなのだろうか。
随分と余裕な様子で緊張どころかむしろワクワクと楽しそうな表情で、指先から触れた鍵盤の音を吸い取っていく。
うわぁ、と思わず声を上げそうになった。寒気がする訳ではないのだが、ゾッとするような衝撃が一瞬で全身を駆け抜けたのだ。
目前に、極彩色の絵の具が一気に広がっていくような、眩暈がするような、聴覚を使っているはずなのに、視覚がおかしくなった。
伸びやかに広がっていく音。舞台上を征く彼女のように、その音に強張りは感じられなかった。そよ風が吹いているような気がした。当時の語彙では手に負えない代物であったが、今の己の言葉で言い表すのであれば、分厚くて文字の小さい本に収録された小説の冒頭を読んでいるような気分だ。あるいは映画の冒頭の、引きの構図から徐々に物語の中心となる街に空撮で近づいていくような。眠気を誘う心地良さとは程遠く、むしろ目が醒めるほどの高揚を引き出す心地良さだった。
これ、ソナチネだ。
遅れて気づく。母がよく弾いている曲だ。だが、いつも聴いているものとは別物のように感じられた。
音楽は生き物だったのか。青々と光る夏の草木のようにしなやかな生命力を滾らせる音に、シンシアは目を瞠った。
白い洒落た建物に囲まれた中庭が見える。そこは緑で生い茂って、奥が見えない。自分にどこかそっくりで、しかし決して自分でない誰かが、中庭においでと手招きしてくる。まるで秘密の隠れ家のようだった。
時間が経つうちに、中庭の幻想は跡形もなくなった。その代わりに、何かに追われている夢を見る。心の内での葛藤のようでもある。
ぼんやりと、不思議な幻覚を見た。見たことのない景色と、見知らぬ誰か。シンシアは何度か瞬きをして画面を見つめ直した。
──君は音楽が好き?
問いかけられたような気がした。その投げかけられた言葉に、先程味わった葛藤によく似たものを感じた。
……お母さんが喜んでくれるから好き。
熟考の末に、五歳児が導き出した答えである。らしいと言えば、らしいのではないか。
──そっか。好きなら、じゃあその音楽、忘れないでいてね。
穏やかな返答が返ってくる。音楽越しで話しかけられたのは、ましてや時間を越えてなど、これが初めてであった。彼女の音楽は正真正銘言葉なのだろう。
まだピアノは鳴り止まない。正確に言えば、余韻はいつまで経っても、画面越しでも、延々と響いている。
「……お母さん」
シンシアは余韻を掻き消すように、あるいは余韻に呑まれるように、ぼんやりとした様子で口を開いた。母はふと我に返って我が子の方を見た。
「これが音楽なんだね」
今までの自分の演奏はままごとか何かのように感じられて、まあそれでも楽しいから決して悪いことではないのだろうけれど、これぞ真贋の差だとばかりに自分の音楽を解剖された気分になっている。
おかしな話だ。彼女の演奏を聴いただけであって、自分の演奏など解剖どころかまだ生まれてすらいなかったのに。
「シンシアちゃん、貴女はこの演奏を超えるのよ」
母は静かに笑んだ。感情を感じ取ることのできない無機的な表情に見えて、シンシア反射的に口を噤んだ。
「大丈夫、お母さんがいるわ。一緒に頑張りましょう?」
──シンシアちゃんのピアノ、とっても好きよ。もっと聴かせてくれない?
先程のものとは違うほぐれた笑顔に一瞬で戻った母に、シンシアは安堵の笑みを浮かべ、笑い返した。
てっきり、また怒らせてしまったのかと思った。何も思い当たることが無かったから焦ったが、気のせいだったのだろう。
「なれるかな」
「もちろん。追いつくどころかむしろ追い越せちゃうわ、きっと」
「お母さんはこの女の子の演奏も好き?」
「……私の大切な思い出よ」
母がそう願うのであれば、私はその姿になる。まるで本能のように、強く染みついていた習慣だった。
両の小さな掌を握って、頑張るね、と笑顔で母を見た。こちらに向けられる表情はいつもにこやかで、しかし双眸だけはいつもがらんどうのように見える。
歩みを進める。初めて見たあのピアニストがそうしていたように、臆することなく颯爽と真っ直ぐ中央を目指した。
私がやっていることはいつまで経っても彼女の模倣に過ぎない。分かっている。分かっていて、そうしている。それが母の悲願であるのなら、それこそが私の本望だ。
シンシアの白い肌を、スポットライトの光がじりじりと焼く。
──リラックスするのが一番大切だよ。ほら、肩の力を抜いてみて。
未だに現実味がない。なんて夢物語じみた状況なのだろうと、何度頬をつねってしまいたく思ったか。
シンシアは演奏の前にいつも、自分の理想を思い浮かべる。彼女だったらどう弾いてみせるのだろうか、どのように耳に届くのだろうかと。一つずつ想像してから、音にのめり込むのだ。
余韻から目覚めて一番に声を掛けてきた相手がまさか理想その人だろうとは、少したりとも考えたことはなかった。しかもこのコンクールは、日本国内の学生向けのものだ。今や海外のコンサートやコンクールにて演奏するようになって多忙であろう日々の中で、どうしてこのような場に時間を割こうと決めたのだろう。
ピアノを前にしても、無心になれない。心の底から音楽にのめり込めない自分は、向いていないのかもしれない。けれども弾かねばならないのだ。要らない子にはなりたくない。
ぐるぐると渦巻く思考の中で、先程の、あの人の声が囁くようにして蘇る。
──どうやら君は私よりずっと聡明みたい。でも、深く考えなくていい。そうだね、言うなれば、音楽は本能、流れる意志なんだよ。
鍵盤に指を伸ばす。スポットライトの熱で燃えてしまいそうな身体の、その指先を、微力ながら冷やしていく。
ここに、音楽がある。
ごくりと唾を呑んだ。こんなに緊張を自覚したのは、これが初めてかもしれない。
今朝目覚めた時点で、退路は既に断たれていた。冷静を呼び戻して、鍵盤を押す。
バッハ フランス組曲 第三番 ロ短調 BWV 814 アルマンド
まずは課題曲からだ。
バッハは信仰に厚い人物だったそうだ。確かに、彼の曲は根底にキリスト教の雰囲気があった。この曲だって、聞けば聞くほど教会の椅子に座って目を閉じているような感覚に至る。
アルマンドというのは、フランス語でドイツを意味する。まるで、バッハが故郷ドイツの教会での記憶に思いを馳せているようだ。郷愁、あるいは懐古か。
シンシアの父は英国人、クリスチャンだ。父と一緒に教会に行った経験も少なくない。だからかもしれない、バッハの音楽は心が安らぐから好きだ。気楽に生きていられた幼い頃の記憶が蘇って、苦痛も少しはましになる。
もしかすると。郷愁だの懐古だのはバッハの感情ではなく自分の感情なのかもしれない。そんな考えに至る。
ささやかな幸せを目一杯享受していた記憶だけは、この人生における救いであり、痛みでもあった。
何のためにピアノを弾いているのだろう。母のため。ずっとそう思って励んできた。厳しいレッスンも全部こなして、難しいことなど何も考えていなさそうな友人たちの誘惑には乗らず、脇目も振らず粛々と音楽だけ見つめていたはずだった。
歳を数える指の動きが増えてゆけばゆくほど、深い霧に包まれたように、孤独に路頭に迷うような感覚がするのだ。
この歳にまでなれば、母の真意も薄々気づいている。何故私にピアノを弾かせることにそこまで拘っているのか。原因も、理由も、目的も、単純に「シンシアのピアノが好きだから」ではないことを理解している。
シンシアの音楽がどうであったって、母は我が子に音楽家の道を強要したのだろう。
だからきっと、否、決して、私の音楽は素晴らしいものではないのだ。
ストレイ・シープは彷徨いながらピアノを弾く。
祈りを捧げているようだ、と深澤はその音楽を傾聴していた。
父は英国人と聞く。教会に通ったこともあるのかもしれない。
少なくとも、今どきの日本の子には出せない質がある。宗教が人間を束縛するという状況が次第に希薄になりつつあるこの国では、バッハの音色から宗教感が薄れてただの音楽というように扱われ弾かれることも多い。もちろん、時代と共に移りゆくその姿も音楽の一つであるから、深澤はむやみに否定するようなことはしたくないと思っており、実際それも一つの在り方だと受容してきた。
だからこそ、この演奏を聴いて、光るものを感じたのだ。
シンシアはまだ小学生である。小学生にして、この神に心からの祈祷を捧げるが如き中身を引き出せたのは、このコンテストで審査員として聴いたバッハの中でも群を抜いて素晴らしい。
ここに至れたのは、彼女の育ちに所以があるのか、彼女もまたバッハ同様に敬虔な信徒であったりするのだろうか、理由は分からないけれど、これは原石だ。
規模の大きいコンテストに応募する演奏家たちの殆どはみな、曲についてしっかり下調べをして、作曲家の思いや背景について思いを馳せて奏でる。ただ、それでは感情や事象の上辺をなぞるだけに過ぎないのだ。この演奏に表れているような当事者としての切実さは、語るに欠けることが多い。
──入念に磨いてきたようね。やるじゃない、三坂咲。
深澤は椅子の背もたれに身体を鎮めて、ふう、と一つ溜息を零した。
樋谷知帆はシンシアの演奏を聴いているだろうか。審査員の席からでは彼女の姿は見つからないが、恐らくあの知帆のことだ、二階席の右側のどこかに座って、この演奏を順当に評価していることだろう。
深澤の予想通り、知帆は二階席の二列目の右側で、オペラグラスを片手に鑑賞していた。夏生センセが紹介しにきただけあるなぁと改めて感嘆した知帆は、前のめりになりながら、シンシアの音楽に身を委ねている。
きめ細やかな音色と、計算され尽くしたような美しさ。大人顔負けのレベルだ。この歳にして、既に母の演奏を超えているのではないだろうか。
けれど、どこまでも典型的だ。あくまで鑑賞用の作品、宛がわれた枠から抜け出せない、あるいは抜け出そうとしていない。知帆には窮屈そうに聞こえる。解き放ってしまえばいいのに……とは思うが、第三者が言ったらお節介になるのだろう。
まるで写真だと、一言だけ呟いた。
美しい。ただ、深さに欠ける。しかしまあこれも伸びしろと言えるだろう。
──多くの人は、理由が無くとも、上手かろうと下手であろうと、思わず何か口ずさんじゃう時がある。歌は分かり易くて尚且つ最も身近な『音楽』でしょ? ピアノを弾く時も、もっと気楽でいいんじゃないかな。
そう言って、彼女は微笑んだ。あんなに繊細であんなに苛烈な音楽を奏でる人も、こんなに普通の笑顔をするのかと、当たり前であろうことに少し感動した。
ドビュッシー ベルガマスク組曲 第三番 月の光
夜の森、木々の隙間から、月を覗き見る。その淡い光が自分に降りかかってくるのを感じた。不思議なことに、どの時代でも月に魅了される人間はいる。太陽の光を借りて控えめに輝くその慎ましくも神秘的な様は、心に安らぎを与え、時に揺さぶる。
序盤の三連符は流れるように自然体を心掛け、八から九小節のカデンツはクリアに奏でる。母の指導を反芻しながら、シンシアは知帆の言葉の続きを思い出した。
──……なぁんて、私は思うのだけどね。まあ、私の個人的な感想なのかもしれない。何たって私、専門知識とかは浅いし。
まるで、「趣味の延長線上です」とでも言わんばかりにそう告げた彼女は、まだ若いんだし全然大丈夫でしょ、余裕余裕、と気軽そうに励ます。
この人は根からの善良な性格なんだ、と気づいたのはその時だった。悪意のない、無邪気で澄んだ目。この人は心からシンシアの応援をしているのだ、と気づいて狂いそうになった。
味わったのは無力感だった。どれだけ母が悔しさを噛みしめても、嫉妬や復讐の念に囚われていたとしても、全て知帆の善性と音楽に踊らされているだけで、彼女は人生をかけたそのようなものを相手にしないどころか存在自体に気付かないのかもしれない。
月の光。雲に隠れたり、霞んだり、朧気ながらも静かに光を届けてくる。だが、彼女のあの輝きは、幼いシンシアには強烈すぎた。目を焼かれてしまった。
あれは月ではない。周囲の誰かの脚光を借りることなく、自らが輝いている。
太陽のようだった。成程、道理で直視したらいけないわけだ。
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