トラウマまではいかない

私は本音を隠すことが何度かあった。

それはあまり興味の無い友達の話を聞く時にはあまり発揮されず、

1番大事な局面で起こるのだ。




中学3度目の合唱コンクールで、3年目の指揮を任された時、1、2年と同じように家でたくさん練習した。夏休み中で6分も7分もある曲の4パート全てを覚え、夏休み明け初の音楽の授業に参加した。あの時はたくさん頑張って、先生に褒めてもらおうとがんばったのに


本当はもうやめたい?


と聞かれて、弁明するのがめんどくさくて頷いてしまった。


やめたくなんてなかった。自分でやろうと決意して練習して、毎日帰って指揮の練習をした。勉強時間も削ったのに、この努力を無駄になんてしたくないと思ったけど。


指揮はその時指揮をしないと意味が無い。

ただリズムをとるだけじゃない。全体のバランスを見て指示を送る、次のフレーズで気をつけるところをみんなに知らせる。

そうやって合唱はできているのに、私は自分の指揮だけを見て本来の役目を果たしていなかった。だからだめだった。

でもそれに気付けなくて、


努力を無駄にされた、努力を認められなかった気分になって、もうやめたいなんて言葉に乗ってしまった。



もうやめたいんだってさ、指揮は



先生はみんなに私の意見をばらまく。それがまた、やる気がないと言われているみたいだった。


違うんですよ先生。私は貴方が、貴方の言葉で人を操れるみたいに考えてるのが嫌いなんですよ。こうすれば反論するしかなくなる、こう話したら同意してくれる。全部操ってるみたいでとっても嫌だったんです。だから小さく反抗したんです。


先生は練習してるのと聞いてきたけど、私はそんな実力ならもっと練習しろと言われているように聞こえたんです。だから認めたくなかったんです。

だって上手くやっていると思われたいでしょう?誰だって器用に生きていると思われたいでしょう。

まあ、わざわざ反発する時点で私が器用では無いことは明らかだが。


先生は元々私とは全く違う人だった。

だから普段から先生の考えることが全く分からなくて、先生が笑っていても怒っていてもそれはずっと同じだった。

ユニークな先生ではあったけど、そのユニークさも日によって理解不能なものとして受け取れるから怖かった。


本当のことを言わないと人には伝わらない。

本当のことを隠した私がいけない。


でも器用でいたかったんですよ。器用でいたかったから本当のことを言わなかったんです。

だって本当のことを、軽いジョークのように笑わせるような言い方なんて出来ないし。

本当のことを必死で伝えたら、それだけ努力を認めてもらいたかったんですか笑ってみんなに思われるかもしれないし。

それを思われてもいいとか、そうですけど何か悪い?とか開き直れるような精神も持ち合わせていなかったし、努力は必ず人に伝わってるなんて根拠もなく信じてたわけで。

それで出来てないみれてないなんて言われたらそりゃ苦しくもなる。ここで頑張ったのにって言ったら、じゃあなんで出来ないの?か、まだ足りないんじゃない?か、才能ないよくらいの返事が返ってきそうだったから言えなかった。

素直に言えば、本当に私に必要なこと言ってくれたかもしれないのにね。


ずっと心に残る。あの時の後悔と悔しさと屈辱とが、結局住み着いたまま。

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