第15話 雨色の恋模様 前編

 梅雨の時期だと言うのに青空に鳥が飛ぶ中で、俺たちは今日も図書室にいた。


「……生方、昨日は悪かった」

「あ、え!? き、気にしないでっタケル君」

「嫌、気にしないの無理だろ……」


 頭を下げる俺に生方は手をあたふたとしている。

 いや、当然なんだ。

 同級生に可愛いと連呼れんこして照れさせた罪は重い。

 同時に可愛いを連呼して絶賛恥死はずかしを体験中の俺は後悔中だ。

 もう二度と、あんなおろかな蛮行ばんこうはしない。

 昨日の夜、勉強中に生方が照れている顔を思い出して俺もだんだんと恥ずかしくなっていたりした。爺さんに突っ込まれなければまだ平気だったが。

 そうだよな、不良じゃねえ女子は可愛いって言われたらそりゃ照れるよな。バカだ俺。ホント。タケルは涙目になりながらプルプルと震える。

 両手をあちらこちらと慌てた仕草をする生方に気づかず、タケルは自分の黒歴史に震えテーブルに頭を抱えてもだえる。


「え、えっと、た、タケル君は女の子に可愛いって言うの、変なことじゃないんじゃない? ほら、彼女には可愛いとかキレイーとか! 言ってあげたりするじゃない? 彼氏も、カッコいいとか言われたりする感じだろうし……だからえーっと、も、モーマンタイ!」

「……下手ななぐさめ方なのな」


 親指を突きつけてきて顔を上げたタケルは呆れた視線を投げる。


「え!? ご、ごめんっ。でも、可愛いは恋人とかの特権じゃないかなー? な、なんて」


 それって、俺が生方の恋人なら可愛いって言っていいことってことなのか?

 ……恋人じゃなくても、俺は生方のこと可愛いって思うし。

 カラオケの時だって、他の奴に気を使ってたし。

 優しい奴だって、俺は思うし。

 初めて出会った時の生方の心配そうな顔を思い出す。


「え!? きゅ、急にどうしたの?」

「その、こい、……可愛いって思うこと自体は、お互いの特権にしとかねーか?」

「え、でも……タケル君が恋人ができた時に困ると思う……よ? だって、好きな人以外に可愛いって言われて、それを聞いた好きな人が自分のことを嫌いになったら、すっごくショックじゃない?」

「……確かに、それはそうだな。筋は通ってる」


 ……ダセェ。女子に気を遣わせちまうなんて。

 塚内家家訓、男なら女の気遣きづかいに気づく男でいろ……だったのにな。

 俺は生方の心意気を買ってる。筋が通ってる女だからだ。

 そういう意味なら、生き様に惚れてるっつーことになるよな。

 ……なら、余計——


「……なんか、わりぃ。情けないよな。男なのによ」

「え? でも、今のご時世なんだし男とか女とか気にしなくても」

「いいや、他の奴らはちげーかもしれねぇけど、俺の家の家訓でもあんだ。惚れた奴は死んでも守れってよ」

「惚れた、奴? ……それ、って」


 ひまりが頬を朱色しゅいろに染めていることに気づかず、タケルは頭の裏を掻きながら理由を口にする。


「男ならって思考は古いってのはわかるが、心の持ち方つーか、そういうのがダメって言われてももう俺の生き方になっちまってるからよ。偏見っつーなら喧嘩は買う。塚内家の家訓を馬鹿にするなら、生方だろうと容赦ようしゃはしねぇ」

「……大事な、家訓なんだね」

「おう、俺が腐らないで生きるって決めた時に爺さんと約束した、大事な家訓なんだ。生方にその家訓のせいで迷惑をかける時があったら、先に謝る……ごめん」

「え!? い、いいよ頭を下げなくてもっ」

「……いや、生方には迷惑かけてばっかだからよ」

「そんなこと……っ。そ、それに、タケル君がいい人になろうと思って頑張って守ろうって思うルールなら、それにじゅんじようとする姿勢しせいは、綺麗な生き方だと思うから、カッコいいなって思うし!」


 俺は思わず彼女の発したとある単語を聞き返す。


「……綺麗、か?」

「うん、押しつけばっかりする家訓だったらちょっと違うかなって思うけど、タケル君はそういうことをしたことない人でしょ?」

「……っ、けど、」


 生方は顔を上げ、にっこりと微笑んだ。

 胸が確かに一瞬、熱を持ったのを感じる。

 わけがわからなくて、一瞬胸元を抑えるのに、大丈夫? と生方は問いかけるのに俺は「いや、なんでもねぇ」と答える。

 不思議な感覚だが、覚えがある。これで四度目だ。

 一度目は任侠映画にんきょうえいがを爺さんに見せてもらった時。

 二度目は不良時代にとある不良と殴り合った時。

 三回目は生方を不良から助け初めて出会った時。

 四回目は、生方とこうして話している今。よくわからないが、この熱の理由を名付けていないからなんの意味があるのか、自分でも理解していない。

 俺の家系である親父、いいや、爺さんの家系では酒飲みの家系だったのを知ってる。だから長生きしてねーらしい祖先が多いらしいが、人情深い人間も多かったとか。だから親父みてーな奴は信じられなかった。

 母さんをなんで捨てたのか、なんで他の愛人と蒸発したのか。

 今ならもう理由なんざどうだっていい。どうだっていいが。

 タケルは顔を上げ、ひまりの顔を見つめた。


「……? タケル君?」


 生方には、そういう世界は教えたくない。

 綺麗な庭園に咲く花みたいな子なんだ。

 家族のお姉さん方も愛情深く接しているのはわかる。

 学校の生徒たちはどうかはわからないが、それでも。

 それでも、生方は俺のことを知らないままでいてほしい。

 よごしたくない、けがれてほしくない。


「なんでもねえよ」


 タケルは不器用に彼女へと微笑んだ。

 俺の知らないところで、誰かと結ばれて幸せで生きてくれたら。

 俺の隣とかじゃなくて、純田みてーな奴らと連るんでほしい。

 そのまま、恋愛ドラマのOL主人公みてーに、イケメンとか? と甘い恋とか。

 もしくは、俺以外の奴と青春漫画みてーな恋をするとか。

 そうやって、生きてくれたら……この熱は、なかったことにできるはずだ。


「……タケル君?」

「ん、どうした?」

「ううん、なんでもない……その、外、雨が降ってきたね」

「ん? あぁ……あ? マジかっ」


 タケルは窓から見える外の風景に声を張り上げる。

 今日の天気予報は晴れってやってたつーのに。たまに外れるんだよなあの番組。

 

「わりぃ生方、俺先に帰るわっ。今日シフト入ってっから!」

「え!? あ、タケルく――」


 席から立ち上がってタケルは急いでかばんを背負い、図書室から飛び出した。


「……あっ、っ」


 ひっこめる手を一度手を止めたひまりだが、後から勢いよく席から立つ。


「……急がなきゃ!!」


 雨音が響く中でひまりは遅れて図書室を出た。

 くつえ、学校の玄関前で空を見上げる。

 激しいタップダンスのような雨は曇天どんてんから降り注ぐ。

 有名なダンサーならきっぱりと公演をあきらめるぐらいのレベルだ。


「雨、ひでーな……」


 傘立かさたてには自分のかさはなかった。

 今日は仕事なのにずぶれで働くわけにはいかねえし……どうしたものか。


「しかたねぇか」

「た、タケル君っ」

「ん? ……生方?」


 タケルはかばんを両手に持って頭の上にかかげた時、後ろから声を掛けられる。

 振り返れば、生方が手に折りたたかさを持って息を切らせながらこっちにやってくる。


「一人で帰るなら気を付けろよ、トラックとかに水ぶっかけられないようにな」

「ち、違くて、はぁ……その、ちょっといい、かな」

「? 何がだ?」

「……た、タケル君。一緒に帰らない? 仕事場まで送るから」

「……普通、それ俺が言う言葉じゃねえか?」


 なんか、こういう流れ……どっか、駿人の漫画で見たな。

 駿人にしては珍しく友人から借りた恋愛漫画の流れと一緒……な気がする。


「だ、だってタケル君かさわすれたんでしょ? ずぶれでバイトに行かせるの、意地悪だと思ったんだもんっ……ダメ、かな?」

「ダメ、って……そりゃあありがたいけどよ」

「私は近くのお店に用事があるし! 合理的判断? って奴ってことで!」

「じゃあ、かさの礼を今度するわ」

「……っ、く、クレープ!」

「クレープ?」

 

 タケルの問いかけにひまりはなぜか赤らんだ頬でスカートの裾を掴み顔を上げる。


「た、食べたいから今度、買ってくれたら今回のはそれでってことでいいからっ……風邪引かせちゃうのわかってて、スルーするの、違うしっ」

「……そういうことなら、頼むわ」

「! うんっ」


 素直に俺は生方の優しさに甘えることにした。


かさは生方が持ってくれ」

「え、でもタケル君が窮屈きゅうくつじゃ」

「貸してくれる本人ぬららすほど俺はくさってねぇよ……生方に勉強教えてもらってるわけだし、風邪引かれたら俺が困るしな」

「……っ、いいの?」

「頼むわ」

「……わかった、じゃあ早く帰ろ?」

「おうっ、ありがとなっ」


 歯を見せて笑うタケルにひまりは目を見開きさらに頬の朱色を濃くする。

 どうした? とタケルが聞くのに、なんでもないっ、と頬をふくらませるひまりはかさを開いて上にあげた。

 二人は雨に包まれた空間へとみ出した。

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