第5話 悪夢の夜はホットココアをお飲み 前編

 母さんは、俺の誕生日にいつも手作りのホールケーキを作ってくれた。

 俺は二人に甘えられなかったから、父さんが好きなチョコレートケーキをいつも我慢して食べてた。本当に俺が食べたかったのを我慢すれば、二人の幸せが続くって知ってたのに。

 ……それなのに、二人は離婚した。


「……お母さんっ、お母さん!!」


 幼い俺が、必至に母さんの後姿を追った。

 家族って物は、母さんが読み聞かせてくれた絵本にある純愛ばかりじゃないんだって知った。みんなが主人公で主役なんざ語る大人共の言葉は、正常な生き方を許された奴らにしか与えられていない幸福だって理解していった。

 自殺まで母さんを追い込んで離婚した父さんに憎んだことを何度もある。愛人の女と蒸発したと聞いた時は俺があの屑を殺していればと何度悔やんだことか。

 他の女を母親にするって、駿人は悪くないから言えるわけもなかった。燻ぶった怒りが、俺の拳を凶器にさせた。


「も、もうやめ、」

「……るっせぇよ」


 飛び散る血飛沫が、心地いい。

 手当たり次第、俺を敵と認識する奴全員殴り倒した。

 他人を殴るのは気持ちよかった、俺の怒りを吐き出せるサンドバックになってくれる奴、全員父さんだって思ったら殴り倒せてるみてぇだったから。

 月明かりに照らされるタケルはまるで孤独な狼だ。

 

「……月、綺麗だな」


 血塗れになったら生まれ変わる感覚がした。

 母親の腹の中から出てきた時、血塗れで産まれてくるのは普通だ。でも、なんつーんだろ。血塗れの俺がこうして立ってるのは、俺が悪い奴だって証明みてぇで。

 死ぬ時に誰も愛してるだなんてウソ、言われねぇ気がしたんだ。俺は愛されちゃいけねぇから他人に好かれちゃいけねぇ。不良って奴はそうじゃねぇといけねぇ。

 爺さんに出会うまではそれで満足してた。爺さんのとこに住むようになってから、できねえことがたくさんあるのを知って今の俺が形作られた。

 両親が、駿人の母親である義母さんが死んだのは俺のせいだ。だから、だから俺は罪を清算しないといけない。駿人の母親を間接的に殺してしまった俺が、駿人の将来の夢を叶えてやるくらいしか、俺の贖罪はない。

 月明りで瀕死ひんし状態の男子生徒が立ち上がると、俺の首を絞めにかかる。


「くそっ、何をっ」

「ねぇ、タケル……死んで?」


 俺の首を絞めようとする男子生徒の顔が、母さんの顔になった瞬間、俺はベットから飛び起きた。


「……はっ!! はぁ、はあ、はぁっ……っ」


 額と胸に手を当てながらタケルは自分の気持ちを落ち着かせる。いつもよく見る夢だ。母さんが、俺の首をめて笑っている夢。

 ……余計な心配を爺さんと駿人にかけるわけにはいかない。


「……駿人の将来の夢のために稼がなきゃいけねぇ。でも、生方の方はどうするか」


 弁当を作ってもらうのは素直に言ってありがたい。

 助けてもらった恩ってことで、何かお礼をするのはわかる。

 筋は通ってるって思う。でも、ずっと弁当作ってもらうようなことたくさんしたわけじゃねえ……だから、たぶん本当は断るべきだったのに、押しに負けちまった。


「……だぁ、こういう時は散歩だ散歩!!」


 すぐに寝付けそうにないので、タケルは散歩をすることにした。

 夜の散歩は嫌いじゃない。いつも悪夢を見た時、夜道を散歩するのは日課というか趣味でもある。そうでもしないと本当に寝付けないしな。

 母さんの悪夢を見るのはいつものことだ。多種多様だが、最近は首絞めが多い。夢には何か自分のことと関連していることが夢に出る、と駿人が以前言っていたが……よくはわからん。春とはいえ、涼風すずかぜが頬をでる。

 夜空の星々が粉砂糖でもふりかけた珈琲みたいな感じだ。


「……あー、落ち着くわ」


 悪夢を見るのは、人に優しくされた日の晩限定だ。俺は誰かに優しくされるのが怖いって言ったら、すっげぇ情けねぇけど事実だ。

 そうじゃねえなら、こんな悪夢を毎回見るわけもねえしな。俺はいつも通り、とあるバーへと足を踏み入れた。室内はオレンジ色の優しいライトに照らされている。

 俺が下手に素を隠さずに、普段通りでいられる場所だ。店名はホロゴート。ホログラムとゴーストを合体させた造語で、店長が考えた渾身こんしんの店名だ。

 誰もいない店内の中、一人の高身長の女の格好をした男が立っている。


「どうも、サチエさん」

「あらぁん、礼儀を弁えるようになったじゃなぁい! タケルちゅわぁん♡ いい子ねぇー!」

「やめてください嬉しくないっす、抱き着くなっ!!」

「もう、つ・れ・な・い♡ んだからぁ♡」

「……勝手に言ってろよ、もう」


 緑色の短髪とブラウン色の瞳の彼は派手なワインレッドを取り入れた服は相当金をかけているのが分かる。確か整形して性器を取って、胸にシリコン入れたとかなんとか……まぁ、要するにオカマって奴だ。

 しかもルージュを塗った唇で濃厚な投げキッスをかましてくる。


「でぇ? 今日も見たの? お母さんに首を絞められる夢」

「……うん」

「まぁ、アンタって正義感強いもんねぇ」


 丁寧な所作でサチエはホットココアを入れていく。

 俺は彼の作業を見つめる。

 

「不良が正義感なんて語れる立場じゃないじゃないだろ」

「何言ってんの、アンタ不良って奴が最低な奴ってばっか思い過ぎじゃない? 筋が通った奴らもいんのよぉ? ここの当たりはあんまり多くないってだけじゃない」

「……不良は、どんな人間から見ても屑だろ。暴力を振るう奴は、どこまで言っても最低なんだから」

「……喧嘩で分かり合うこともあんのよ、ただ自分が全部悪い奴って思うのやめな? アンタが苦しくなるだけだってぇ」

「……でも」

「はい、できたわよぉ」


 サチエはドリンクをタケルのテーブルの前に置く。

 牛乳と上白糖が入ったここのココアは俺のお気に入りだ。

 いつもサチエさんはココアの代金は要求しない……優しい人だ。ホロゴートのロゴである青い月の模様が入った白いマグカップに入ったココアをタケルは飲み始める。


「……で? アンタ、ハンカチ受け取ってもらえたの?」

「は!? げほっ、げほげほ!! なんで知ってっ」


 咽てテーブルにカップを置くタケルにふふん、とサチエは自慢げに笑う。


「アタシの情報網舐めんじゃないわよ、ここ染桜町でアタシが知らない話なんざないんだからねぇん……アンタ、男らしいじゃなぁい♡ やっぱアタシが見込んだイイ男ねぇ」

「……だから、不良だった奴なんていい男であるわけが、」

「やめなタケル。そうやって自分追い込むの。現にアンタ不良をやめたじゃない」

「……っ、だけど」


 サチエは俺のくちびるに人差し指を当てて制す。

 確かに、不良をやめたのは事実だが俺がグレたのは変わってないし。


「それは、駿人くんのためでもあるんでしょ?」

「……っ、俺が最低な男だったレッテルは変わらねえだろ!!」


 タケルは大声で叫びながら立ち上がる。

 倫理観りんりかんが俺を苦しめる。みんなからのあの視線の日々が物語っている。わかっているけど、生方のあの一瞬の一時、うっかり忘れてしまっただけだ。


「俺はただ気に喰わねぇ男を殴っただけだ!! その場で礼を言って終わればいいのに、生方に弁当作るなんて言われるほど、すげぇことした覚えはねぇ!!」

「ふーん、そう。生方ちゃんを助けたの。弁当を作ってもらうようになったならアンタ少しは金浮くじゃない。素直に甘えれば?」

「なんでだよ!! 俺は、ただ放っておけなかっただけで、ただ、ただ……ただっ」


 そっとサチエはタケルのことを強く抱きしめる。

 引きはがそうとタケルはするが、自分よりも強い力で抱きしめて来るサチエに必死で言葉で噛みつく。


「離せよっ!! 離せって!!」

「……アンタはいい奴なのよ。昔っから。それわかってる奴が多くなくても、アタシや妙子ばあさんや、生方ちゃんは知ってる」


 真剣な顔でサチエはタケルを諭す。

 真摯しんしな彼の言葉はタケルの抵抗力を少しだけ無くさせた。

 真実をどれだけタケルが否定しても結果がそうだったろうとサチエは語る。


「……俺は、っ、そんな風に言われていい奴じゃ、」

「大丈夫、アンタはこっからアンタの思ういい男になんなさい。それだけで十分じゃない……今日はその一歩を踏めたのよ。アンタはもう少し、他人に甘えること覚えなさい」

「っ、ぅ……!!」


 タケルはサチエを押して、急いでタケルはホロゴートから出て行った。


「……アンタみたいな奴が、少しでも楽になれる世界が来ればいいのにね」


 店長である彼は、優しい目でタケルの去った扉を見つめた。

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