語りたい気持ち

 姫宮にライトノベルを貸した日から土日を挟んだ月曜日。


 月曜日の朝は、また憂鬱な一週間が始まるのか、と思い、気が重くなるのがいつものパターンなのだが、今日の朝はまったくそんな事を思う事が無かった。

 むしろ、いつもより気分や身体が軽いような気さえして自分の事ながら単純だな、と僕は思った。


 理由は姫宮だ。

 一週間に二回ある図書室の当番。

 数が少なく、さらに放課後という短い時間でも、僕は姫宮と会話が出来る事を楽しみに感じている。

 すぐにそう思えるくらいに僕の中で姫宮の存在が大きくなっているのを僕は感じた。


 その事を嬉しく思うのと同時に、この関係がいつか無くなってしまわないだろうか、と僕は思った。


 そこまで考えて、そのマイナス思考が僕の良くないところだ、と思い、我に返ると、今僕の中に芽生えた後ろ向きな思考を顔を左右に振って追い払った。

 とにかく、姫宮とは今までと同じ様に関わっていこう。


 僕はそう結論付けると、学校に向かう為の準備をし始めたのだった。



 登校して自分の席に腰を下ろすと、僕の視線は何も考えずとも自然に姫宮の席の方を向いていた。

 姫宮はまだ登校していない様だ。

 僕はそう思うと、無意識に姫宮の事を探している自分に気が付き、それ程までに姫宮の事を意識しているのか、と改めて思い、僕は心の中で苦笑いをした。


 朝のホームルームまで読書でも時間を潰していよう。


 僕はそう思うと、机の横に掛けてあった自分の鞄から読みかけのライトノベルを取り出そうと手を伸ばした時だった。


「瀬戸君! 貸してくれたやつ、すごく面白いね!」


 突然、興奮した声が聞こえてきて、僕は何事だ、と一瞬思ったが、自分には関係が無い事だろうとすぐに結論づけた。

 しかし、すぐにそう言えば自分の名前が呼ばれていたかもしれない、と思い直すと、僕は慌てて顔を上げた。


 顔を上げると側に居た姫宮と目が合った。

 まさか教室で話し掛けられるとは思いもしなかった僕は、その出来事を受け入れる事が出来ず、何も言葉が出ずに固まってしまった。


「やっとこっち見た。聞こえていないと思ったよ」


 姫宮は僕と目が合うと、安心した様な表情を見せたが、すぐに、「そんな事より話したい事があったんだ!」と、言うと、姫宮は興奮した様子で自分の顔を僕に近付けた。


 たださえ吸い込まれそうな大きいのに、その目がさらに近付いて来て、僕はその目に釘付けになってしまった。

 それに加えて、シャンプーなのか分からないが良い匂いがしてきて、僕は完全に動揺してしまった。

 姫宮を直視する事が出来ずに視線を姫宮から背けるとクラスメイト達の視線が僕と姫宮に向いている事に気が付いた。


 その数多の視線を感じ、僕と姫宮が今クラスの中で一番目立っていると気が付いた僕は、この状況をどうにかする為に、外していた視線を慌てて姫宮に戻した。


 姫宮は何か興奮した様子で、周りの事などまったく見えていない様子だった。

 この状態では何を言っても姫宮の耳には入らないのではないか。

 そう思った僕は、取り敢えず姫宮の話したいという欲求を叶える事にした。


「……姫宮さん、話したい事って何?」


「そう! 昨日貸してくれた本! まだ途中だけど、すごく面白いね! みんながそれぞれ夢に向かって努力をする場面とか特に良かったな〜」


 僕が周りの視線に晒され、緊張しながら尋ねると、姫宮はせきを切ったように僕がこの前貸したライトノベルの感想を話し始めた。


 姫宮の感想には僕自身もとても共感する事が出来るし、姫宮は好きな物を語る時には周りの事などお構い無しでこんなにも熱く話すのだな、と新たな発見が見られたので、僕は姫宮が話し掛けに来てくれた事を嬉しく思った。


 しかし、今はタイミングが非常に良くない。

 姫宮が熱く語り始めた事で、周りからの注目をさらに集めてしまった様に感じた。

 それでも、誰一人として僕と姫宮の会話に割って入ってくる気配がまったくと言って良い程感じられなかった。


 話している一方が学校の有名人である姫宮で、かたやもう一方はクラスの中ですら影が薄い僕という、普通に考えたら接点を持つはずが無い二人が話しているという、クラス中の注目を浴びている状況に飛び込んでくる勇気を持つ事が出来る生徒など居ないだろう、と僕は思った。


 そうなってくると、他の生徒が入ってきて会話が有耶無耶うやむやになるという状況は期待出来そうになく、僕自身がこの場をどうにかするしかない。


 僕自身に周りの事など気にする事なく、姫宮との会話を楽しめる様な度胸があれば良いのに。


 そんな事を思いながら、どうしようか、と頭を悩ませている時だった。


「香織、テンション高過ぎ。周りからものすごく見られてるよ。それに、瀬戸も戸惑っているみたいだから一旦落ち着きな?」


 まさか、会話に入ってくる生徒がいるとは考えていなかった僕は驚いて声のした方を向いた。


 見ると、そこには前回僕が姫宮に、「一緒に図書室に行こう」と、話し掛けた時に隣に居て姫宮に声を掛けていた女子が呆れた表情で立っていた。


 その女子は僕の名前を覚えてくれているのに、僕はその女子の名前を覚えておらず申し訳ない気持ちになりながらも、声を掛けてきてくれた事に心の中で感謝の言葉を伝えた。


「あれ、凛花りんか?」


 姫宮は自分の名前を呼ぶ声が聞こえたからか、それまで動かし続けていた口を止めると、不思議そうな表情で友人の顔を見た。


 それから、姫宮は視線を左右に動かすと、教室にいるクラスメイトの視線が自分達の方を向いている事に気が付いたのか、驚いた表情を浮かべた。


「……あれ? もしかして私、目立っちゃってる?」


「目立っているのはいつもの事だけど、今回のは悪目立ちだね」


 その女子は姫宮にそう言葉を返すと、僕の方を向いた。


「ちゃんと話すのは初めてだよね? 矢嶋やじま凛花です。改めてよろしく」


「……瀬戸渚です。その、よろしく」


 矢嶋は僕の目を真っ直ぐ見ながらハキハキと自己紹介をした。

 矢嶋の雰囲気に少し緊張しながらも、僕はたどたどしく自己紹介をした。


 矢嶋はそんな僕の自己紹介を笑う事も無く、小さく頷くと、チラッと隣に居た姫宮の方を見た。


「瀬戸、突然の事で驚いたでしょ? 香織はテンションが上がると周りが見なくなる事があるのよ」


 矢嶋の言葉を受けて、姫宮は頭を掻きながら、「ごめん、瀬戸君」と、気不味そうな表情で呟いた。


 そんな姫宮に気にしていない事を伝える為に、首を横に振りながら、「全然大丈夫だよ」と、僕は告げた。


 姫宮は、僕の言葉に安心した様な表情を浮かべると、「ありがとう」と、呟いた。


「それで、香織はどうしてそんなにハイテンションで瀬戸に絡んでいたのよ」


「違う、違う。絡んでなんかないよ」


 矢嶋の言葉に姫宮は手を横に振りながら慌てて否定をすると、「……その、本の感想を伝えようと思って……」と、姫宮にしては珍しく、口をもごもごとさせながら言いにくそうに呟いた。


 姫宮の言葉を受けて、矢嶋は、「本? どんな内容なの?」と、興味があるような口振りで姫宮に尋ねた。


「いや、その、普通の小説だよ? えっと、瀬戸君にお勧めしてもらったの」


 姫宮は歯切れ悪く言うと、僕の方を向いた。

 つられて矢嶋も、「へー」と、言いながら、視線をこちらに向けた。


 姫宮と矢嶋の二人に見詰められて、僕は何か言葉を発さなければならないと思い、急いで頭を回転させて、言葉を探した。


 姫宮の気不味そうな表情を見る限り、恐らく矢嶋は姫宮がライトノベルを読んでいる事を知らず、姫宮はその事を知られたくはないと思っているのだろう、と僕は思った。


 そうしたら、取るべき方法はライトノベルという単語を出す事なく姫宮の話に合わせる事だろう、と僕は結論づけた。


「そ、そうそう、えっと、この前の当番の時に暇な時間があって、その時に姫宮さんに僕が勧めたんだ」


 僕は咄嗟とっさにストーリーを作り上げ、つっかえながらもそれを矢嶋に伝えた。


 その後に僕は姫宮の方を見て、視線で、「これで良いよね?」と、訴え掛けた。


 その意図が伝わったのか、姫宮は僕と視線が合うと、何度か小さく頷いた。


 僕はそれを意図が伝わったと捉え、一先ず《ひとまず》安心をした。


「そうなんだ。流石、図書委員をやるだけあって本に詳しいね」


 僕の言葉に感心したように言う矢嶋を見て、僕は取り敢えずこの話に納得をしてくれたようだ、と捉えて安堵した。


 しかし、僕が詳しいのはライトノベルだけで、一般小説に関してはそれ程明るい訳ではない。

 僕は矢嶋に誤解を与えてしまったかもしれない、と考え、その事を申し訳なく思った。


「そろそろホームルームも始まる時間だし、明日の当番の時に改めて話すね。突然、話し掛けてごめんね」


 申し訳なさそうな姫宮を見て、突然の事に驚きはしたが、話し掛けられた事自体は嬉しく思っていた僕は、「全然、大丈夫だよ。明日、また改めて感想を聞くね」と、微笑みながら姫宮に伝えた。


 僕の言葉に姫宮は、「うん、ありがとう!」と、笑みを浮かべながら答えると、「またね!」と、手を振りながら、自分の席に向かって歩き出し、矢嶋も、「じゃあね、瀬戸」と、言うと姫宮の後に付いて行った。


 二人が去った瞬間、僕は疲れを感じて、机に突っ伏した。


 そうしていると、腰のポケットに入っているスマートフォンが振動した事に気が付いた。

 スマートフォンを確認すると、姫宮からメッセージが一件届いていた。


『さっきは咄嗟に話を合わせてくれてありがとう。嬉しかったよ!』


 僕は何てメッセージを返そうか、と思い、なんとなく顔を上げて姫宮の方を見た。


 すると、姫宮も僕の方を見ていて、目が合うと両手を合わせて、ごめん、と謝るジェスチャーをした。


 姫宮の仕草を可愛らしく感じた僕は思わず笑みを浮かべると、姫宮にメッセージを送る為にスマートフォンに視線を移した。


『さっきも言ったけど、全然大丈夫だよ。明日、姫宮さんの感想を聞けるのを楽しみにしてるね』


 僕は打ち込んで、一度メッセージの内容に誤りがないか確認をした後に送信ボタンをタップした。


 すると、僕がメッセージを送ってすぐにスマートフォンが振動した。

 見ると、姫宮からのメッセージが届いていた。


『いっぱい話したい事があるから、私も楽しみ!』


 その姫宮からのメッセージを見て、早く明日の当番の時間が早くこないかな、と僕は思ったのだった。

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