第22話 魔獣襲撃

 けたたましい鐘の音。遠くから聞こえる怒号。明らかな非日常を示すその警報は、櫛奈のぬるま湯に浸ったようなぼんやりとした意識を覚醒させるのには十分すぎた。


「クシナ!」

「アーラ! 何が起きたん!?」

「魔獣の襲撃だって、トゥムクスさんから聞いた!」

「……! いきなり来るんやな」

「神様がいなくなったから、こういうの度々あるんだよ! とりあえず私達も行こう!」

「オッケー! この村に攻めてきたこと後悔させたるわ!」


 駆け出すアーラに付いていく櫛奈。走りながら、脳内でフェイレスに問いかける。


『なあ、もしかして来るって分かってたん?』

『もちろんです。ですがまあ、この村もきちんと見張りをしていたようでしたので、ワタシの検知とそれほど時間的ラグは無いようでしたね』


 危機感が一ミリもないフェイレスの物言いに呆れかえるものの、ここで言い争っても仕方ない。

 トゥムクス達が集まっていたのは村から少し外れた場所にある小さな丘。そこに櫓を数カ所設けていて、外界からの侵入者を早めに発見するという仕組みらしかった。

 数名の大人達が武器を手に持って話し合っており、その中心にいるトゥムクスに櫛奈は駆け寄る。


「魔獣やって? どこにおるん? ウチもう戦えるで!」

「クシナさん。お呼びして申し訳ありません」

「ええって。謝らんといてや。これが今のウチの仕事やしな」

「そう言っていただけると助かります。魔獣はあちら、丘を降りた平原にいます」


 彼が指を差す方角を見やると、なるほど確かに月明かりに照らされた黒い影が見えるような気がする。しかしそれが魔獣かと言われれば櫛奈にはその判断がつかなかった。


「なんか、見えるような見えへんような。よくアレが魔獣やってわかるな~」

「あれ? クシナはくっきり見えないの?」

「え? あ~……」


 どうやらアーラもちゃんと見えているらしい。もしかしてこの世界の住人は全員目が良いのか?

 というか改めて考えてみても、夜の中で素早い獣と戦うのは幾ら月明かりがあったとしても苦戦するだろう。そんな櫛奈の心中を見透かしたのか、悪魔の囁き声が脳に響く。


『クシナさん。夜、相手の姿見えなくて困ったという経験ありませんか? 今なら暗闇でも昼間のように見える能力が、たったの金貨三枚で買えてしまいますよ。どうですか?』

『いや日常生活でそんなシーン無いからな? 今困ってるから買うけど!』


 すぐに購入した能力は適用され、櫛奈の視界が突如として明るくなった。

 改めて平原の先を見てみると、四足歩行のライオンのような魔獣が何十匹も待機している姿が映る。


「フェイレスに貰った能力でウチも確認できた。で、どうするん? アイツらなんか襲ってくる気配無いんやけど」


 魔獣達はその辺りをウロウロとしているだけで、今にも危機的状況が発生する、ということは無いように見えるのだがトゥムクスは首を横に振ってその櫛奈の疑問に応じた。


「油断なさらないように。今は様子を見ているだけですが、すぐに奴らも動き始めます」


 彼の言葉に、周囲の村人達も改めて武器を構えなおす。

 狩るか狩られるか。互いに命を懸けた戦い。今までに味わったことのない空気の重さ。櫛奈の体も否応なく緊張に蝕まれてしまう。


「大丈夫だよ、クシナ。何があっても私が守るからね!」


 そんな櫛奈の微妙な体の強張りを見抜いたのか、それとも表情に出てしまっていたのか。アーラがいつもと同じ調子で声を掛けてくれる。普段は何とも思わないが、今この場面において、彼女の変わらない励ましの言葉はありがたかった。


「ありがとうな、アーラ。……そういえば、アーラって戦えるん? なんかあんまり武闘派ってイメージは無いんやけど」

「それって私のこと清楚で儚げで清純な守ってあげたくなる系の女の子として見てるってこと!?」

「いやそこまで言うてへんし……。ただどうやって戦うんかな~って」


 櫛奈の質問に対して、アーラは懐から短剣を取り出して見せた。それには蕾のような意匠が施されており、月光を反射してきらりと光る。


「私、あんまり魔獣とは戦ったことは無いんだけど、いざという時はこれで戦うよ! パパから自分の身を守る為に貰ってきたやつだから。後は、神術が使えるぐらいかな」


 聞き慣れない単語に混乱する櫛奈。思わず、フェイレスに確認する。


『なあ、シンジュツって何なん?』

『この世界で用いられる神から与えられた力のことです。貴方達の世界でフィクション作品に出てくる魔法みたいなものですね』

『ああ、そうなんか。そういえば手から火出るやつ、アンタから貰ったやん。あれもそうやっけ』

『そうですね。【初等神術―カエン―】は基本的な力に過ぎませんが、鍛えれば強力になっていきます』

『ふーん……。どうやって鍛えるん?』

『まあ基本的には神から試練が与えられるので、それをクリアすることで更なる力が授けられる、というのが一般的な神術の鍛え方ですね』

『いや、この国に神おらんやん』

『そうです。なので神亡き国は衰退していくしかないのですね。国の武力である神術は神無くしてありえない。使用するのに問題はありませんが、それ以上の進化は見込めません。それに、国の存続には民の武力というのも必要ですから』


 成長無き国に未来はない、ということなのだろう。こんなところでも神がいない弊害が出ていることを知り、寂寥の思いが湧き上がってくる。

 しかも今まさにそのことを魔獣とかいう奴らに思い知らされようとしている。きっと一度負けてしまうと、人間は弱ってしまう。例え気持ちは折れなくても、神の加護が無いことによる痛みは、忘れることはないのだろう。

 だからこそ、奴らに蹂躙されるわけにはいかないのだ。


「そういえばクシナ。クシナは武器とか持たないの? さすがに素手は危ないって」

「あ、そうか忘れてたわ」

「誰かから借りる?」

「いや、フェイレスから買うわ」


 言うが早いか、フェイレスの方から声が掛かった。


『クシナさんに合う武器は色々あるんですが、やはりシンプルに剣がよろしいかと。ただ剣にも様々な種類がありまして、双剣とかがやはり人気が――』

『いや、竹刀がええな』

『……ほう』

『ウチ、剣道部やったからさ。今はもうやってへんけど。やっぱ使い慣れた武器の方がええんちゃうかなって』


 それに。せめてこっちの世界では竹刀を振るってもいいんじゃないか、と。そんな願いも交えて。

 悪魔がその希望を聞いてくれるかは不明だったが少しの間の後、彼はくつくつと笑いながら言葉を繋ぐ。


『もちろん。クシナさんの数少ないお願いですからね。何としても叶えさせていただきます。剣道、というものは生憎存じあげませんが、竹刀もご用意することは可能です。何か特殊能力等オプションの希望はありますか?』

『いや、使い心地とか変わらんかったら別になんでもええけど』

『では、ささやかながらワタシから色々と付けさせていただきますね。ご安心を、値段は据え置かせていただきますので』


 彼がそう言った直後、いつの間にか手に竹刀が握られていた。特段変わった変化もない、何の変哲もない竹刀。

 しかし使い慣れたその感触に、櫛奈は内心テンションが上がる。

 そんな折。

 いつ魔獣が襲ってくるのか、張り詰めた空気の中でそれは起きた。


「きゃああああああああああああああああああああ!?」


 女性の悲鳴。突如轟いたその声にトゥムクスは素早くその身を翻し、駆け出した。


「村からです! 私と共に数名、確認に向かいます!」

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