040 計略

 暗い……。

 ここはどこだ?

 まだ、くらくらして立てない。

 足音が遠ざかる。銀髪の女がどこかに行ったらしい。

 嗅ぎ慣れたにおいがする。錬金術研究室みたいな。

『研究室のようだな』

 薄暗いけど、真っ暗なわけじゃない。視界が慣れてきた。山のような本と実験道具が並ぶ部屋。

 いつの間にかロープも消えてる。

 退路は……。

『部屋には他に誰も居ない。扉は右手だ』

 了解。窓よりも扉の方が近そうだ。鍵がかかっていたら壊して逃げよう。

 明かりが灯る。銀髪の女が部屋の奥にあるランプを灯したらしい。

「さて。自己紹介をしようか」

 名前は知ってる。二番目だ。

「アリシア・リウム・ヴィ・ブランシュだろ」

「なんだ。リリーから聞いていたのか」

「違う」

 一番目は行方不明の緑の髪。三番目のポリシアには会った。五番目がまだ城に居るなら、俺が知らない女王の娘は一人だけ。

「お前は、エルロック・クラニスだな」

 俺のことは調査済み。どこまで手の内がばれてるかは分からないな。

 立ち上がる。まだ少しふらつくけど、走れないわけじゃない。

 足元に描かれている魔法陣から離れ、壁際に後ずさる。

 ここなら扉にも近い。

「この魔法陣は何だ」

「転移の魔法陣だ」

 転移。体感したからわかる。俺は、これを使って、さっきの場所からこの場所に空間転移したんだ。転移なんて、これまで不可能とされてきた技術なのに。

「興味があるか?」

「別に」

 悠長に話してる暇はない。リリーの行方が気がかりだ。

「何故、お前はリリーと行動を共にする?」

「どういう意味だ?」

「雪山で死にかけのリリーを救ったのならば、私たちのことも多少は知っているだろう。お前は、女王の娘が怖くないのか」

「別に」

 怖くなんてない。

「自分が何をされたのか知らぬとでも?」

「魔力を奪われたところで、人間が死ぬことはない」

 アリシアが笑う。

「リリスの呪いの受け手となる覚悟はあるというわけか」

 リリスの呪い?

―もし、この呪いが解けるなら……。

 あれは女王の娘の力じゃなく、悪魔の呪いの力?

「グラシアルには悪魔が居るのか」

「私も、あれの正体は知らない」

 知らない?呪いを受けた以上、女王の娘は呪いをかけた相手と直接取引してるはずなのに?

「なら、呪いをかけたのは誰なんだ。解く方法は?」

「呪いをかけたのは城の者。帰還すれば解くことは可能だ」

 解く方法が帰還じゃ意味がない。

 上手く誘導して情報を集めよう。

「雪山で俺とリリーを襲った目的は?」

 アリシアが肩をすくめる。

「言っただろう。私は作戦には関与していない。私は、リリーを手際良く教育係から逃がすことに成功した冒険者に興味があっただけだ」

 教育係。直接、女王の娘の監視に当たる奴は、そう呼ばれてるのか。

「その作戦の目的を聞いてる。何故、あいつはリリーを危険な場所に置き去りにしたんだ。雪崩でリリーは死にかけたんだぞ」

「目的はリリーの奪還だ。テオドールだって、置き去りにするつもりなどなかったさ。しかし、リリーから帰還しろと命令されたんだ。従うしかない」

 雪山に居た教育係の名前はテオドール。

 予想通り、城の連中は、リリーの命令に逆らえないんだ。

「それに、リリーが死ぬことはない。女王が私たちの死を許さないのだから」

「誰も、女王には逆らえないって?」

「その通りだ」

「馬鹿馬鹿しい」

 誰も彼もが同じことを言う。

「ディーリシアの居場所を知ってるか」

「何故、その名を……」

 ポリシアの時と反応が違う。

 アリシアは、ディーリシアが帰還していないことを知っているんだ。城の内情に詳しいようだし、独自の連絡手段を持ってそうだな。

「先ほど、私の名をリリーから聞いたのではないと言ったな。一体、どこで調べた?」

「俺の質問が先だ。一番目の行方は?」

「答えられるようなことはない。私も探しているが、消息は不明だ」

 グラン・リューも探せないって言ってたっけ。本人を知っているアリシアですら探せないってことは、偽名で活動してる可能性が高いな。

「次は、こちらの番だ。お前は私たちについて、どこまで知っている?」

「どこまでって?」

 そもそも、どこまでが秘匿されてる情報なのか判断が付かない。

「リリーは何も話したがらない。だから、これまで断片的な情報を繋ぎ合わせるしかなかったんだ。……お前のおかげで、かなり補完できたよ」

 アリシアが呆気にとられた顔をした後、笑い出す。

「つまり、私は、まんまと嵌められたわけか」

 アリシアから新しく得られた情報は、教育係と呪いについて。これは、かなりの収穫だ。リリスの呪いについて調べて、呪いを解く方法を探そう。

 っていうか、なんでアリシアは俺をこんなところに連れ出したんだ?

 突然、扉が勢い良く開く。

「エル!」

「リリー」

 部屋に入って来たリリーが俺に抱き着く。

「良かった、無事で……」

 それは、こっちの台詞だ。

「俺から離れるなって言っただろ」

「ごめんなさい」

「今までどこに居たんだ?幻術にはかからなかったのか?」

『かかったよ』

 やっぱり、あれは女王の娘の体質でも防げないのか。

「どうやって切り抜けたんだ?」

『真っ直ぐ、走り抜けてましたね』

「は?」

 何考えてるんだ。

 幻の中を走るなんて危険過ぎる。

「怪我は?」

「大丈夫」

 本当に?

『ずっと、エルを探してたんだよ』

「良くここに居るってわかったな」

「リウムが案内してくれたの」

「リウム?」

「私の精霊だ」

 アリシアの隣で氷の精霊が顕現する。エイダと同じ人の姿。

 なんて美しい精霊なんだ。

「アリシア。どうしてエルを捕まえたの?」

「これだけの魔力を持った魔法使いだ。私が興味を持っても構わないだろう?」

「だめ」

 リリーが俺の前に立つ。

 そんな話は一切しなかった。アリシアはさっきの話をリリーに聞かれたくなかったってことか。ポリシアと同じで、俺がリリーと行動することが気に食わなかったんだろう。

「エルには、何もしないで」

「では、その男を賭けて一勝負といこうか」

「は?」

「丁度、体を動かしたいと思っていたところだ」

「わかった。良いよ」

「だめだ。リリー」

「ふふふ。良い目だ」

「負けない」

 俺の話を全く聞かずに、リリーとアリシアが部屋から出て行く。

 きっと、いつもあんな感じなんだろう。

『追わなくて良いんですか?』

「大丈夫だろ」

 それよりも、アリシアがここで何をしているかの方が気になる。

『向こうの広場で戦うみたいだねー』

『見に行って良い?』

「勝手にしろ」

『行ってくるわ』

 リリスの呪い。

『オイラもー』

 悪魔の呪いには悪魔の名がつく。

『アリシアに見つからないようにねぇ』

 悪魔リリスにかけられた呪いが、リリスの呪いだ。

『わかってるわ』

 ただ、悪魔リリスの噂なんて俺は聞いたことがない。つまり、女王の娘というシステムが成立して以降、召還されたリリスが騒ぎを起こすことなくずっとグラシアルに滞在し続け、何代にも渡って女王の娘に呪いをかけ続けていることになる。

 そんなこと、あり得るのか?

 それとも、悪魔じゃなくてもリリスの呪いをかける方法がある?

 机の上には様々な本や資料が広がっているけど、呪いに言及した資料は無さそうだ。

 むしろ、アリシアが行っている研究は……。

『吸血鬼の研究ねぇ』

 吸血鬼が行っていたとされる生き血を魔力に還元する方法についての研究。

 かなり色んな方法が試されてるな。面白い。でも、結果はどれも失敗。生き血を魔力に還元する方法は見つからない。吸血鬼が吸血行動によって魔力を得ていた証拠は探せない。

 一方で、研究成果として血液の治癒能力に言及している。人間が大量出血した際、別の人間から得た血液を投与し、回復を促す方法だ。ただし、血液には相性が存在し、合わない場合は非常に危険である。

 これは血液型の話だろうな。グラシアルには血液型についての論文はないのか?

 確か、持ってたはずだ。

 手持ちの医学書を出す。

 昔、毒の治療に対して血清が使われていた時代。適した血清を投与しているにもかかわらず治療が上手くいかないことが多々あった。その原因を研究した結果、人間に血液型があることが分かったのだ。血清の精製に人間の血液を利用していたことに起因することがわかって以降は、血清の精製方法が変更になったことでも知られる有名な話だ。

 ただ、錬金術師によって大抵の毒を治療できる薬が開発されてしまってからは、血清の技術も廃れ、現在は血液型に関する研究は行われていない。グラシアルで知られていないのもその為だろう。

 この医学書によると、極稀に特殊なパターンがあるものの、人間の血液は六種類に大別されると書かれている。

 ここに来た人間が同じ傷をつけて帰るのは、そいつらから血液を採取してたから?

 注射器を使えよ。

 最終的に血液に関する研究になってるけど、アリシアはここで、呪いに頼らずに魔力を集める方法を研究してたみたいだな。どれぐらいの時間をかけて、ここまでの研究を一人でまとめたのかは知らないけど。もう少し頼れる研究者の一人や二人居れば……。

「エルロック。何をしているんだ?」

「お前の研究を見てたんだよ。気になることを何点か書いておいた。医学書と注射器も渡しておく」

「注射器ぐらい持っているぞ」

「なら、ちゃんと採血しろ。妙な噂になってるんぞ」

「噂?」

 知らないのか?

「この本は?」

「血液型についての論文が載ってる」

 医学書を開いて、該当のページを見せる。

「なるほど。面白いな」

「一人の研究なんて限界があるだろ」

 もっと、正攻法で実験への協力者を募れば良いのに。

 っていうか、一緒に戦ってたはずのリリーは……?

 何故か、戸口に立っている。

「おかえり」

「……ただいま」

 ようやくリリーが部屋に入ってくる。

『何、暢気にアリシアと喋ってるんだよ』

『勝負の結果は聞かないの?』

「リリーの勝ちだろ」

 あれだけ強いなら負ける要素なんてない。勝った割に、不満そうだけど。

『もう少し、言うことないの?』

「言うことって?」

「別に、良いよ。エルには関係ないことだから」

 怒ってるらしい。

 なんで?

『もう。リリーはエルの為に戦ったのよ?』

 俺の為?

「エルロック。私のものになれ」

「は?」

「えっ」

 なんで。

「だめだよ、アリシア。約束が違う!」

「お前の錬金術師としての才は噂以上だ」

「断る」

「だめ」

「転移の魔法陣にも興味があるのだろう」

 気になる研究ではあるけど。

「断るって言ってるだろ。だいたい、俺を賭けの対象にするな。何があろうと俺の目的は変わらない」

 こんなところに残る理由はない。

「リリー。吸血鬼の正体も分かったし、帰るぞ」

「え?吸血鬼を見つけたの?」

「なんだ、その話は?」

「お前、自分がどんな噂されてるか知らないのか?」

 リリーとアリシアが顔を見合わせる。

「アリシア、ここで吸血鬼ごっこしてたの?」

『違うと思うよ』

「じゃあ、お姫様ごっこ?」

「そんな趣味はないぞ」

 本当に、仲の良い姉妹だ。

「リリー、エルロック。せっかく来たのだから、しばらくここに留まると良い。客人として持て成そう」

「どうするんだ?リリー」

 俺には留まる理由なんてない。

「エルに何もしない?」

「心配しなくても、妹の恋人を取ったりはしないよ」

「えっ?あの……」

 恋人か。リリーも何も言わないし、勘違いさせておいた方が楽だ。

「メイドに部屋を用意させよう」

 アリシアがベルを鳴らすと、メイドが現れた。

「お呼びでしょうか」

「この二人に部屋を……。部屋は一つで良いか?」

「ベッドも部屋も一つで良いよ」

「えっ?」

 なんで、リリーが驚くんだよ。

「良いのか?」

「大丈夫……」

 二つ用意してもらったところで、どうせ使わないだろ。

「では、西塔の部屋を用意してやってくれ」

「かしこまりました。直ちに御準備致しますが、先にご昼食になされた方がよろしいかと。準備をはじめてもよろしいでしょうか」

「もうそんな時間か。頼むよ」

「はい。少々、お待ちください」

 メイドが部屋から出て行く。

 客人の対応も手慣れてるな。使用人はそれなりに居るんだろう。

「あ。お昼に食べようと思ってたパンがあるんだ」

「なら、後でメイドに頼んで温めてもらうと良い」

「うん」

 港町で買ったやつか。リリーは相変わらず、メロンパンを選んでたっけ。

「用意が出来るまでの間、この城について説明しておこう。この城の居住スペースは二階以上だ。食堂や図書室、応接室等が揃っている。一階は亜精霊が多いから気を付けてくれ」

 さっきの狼の亜精霊たちか。白狼みたいに大型なものから、小さな狼まで様々だ。

「亜精霊の研究もしてるのか?」

「さっきの狼って、アリシアのペットなの?」

 ペットだって?

 アリシアが笑う。

「そんなところだ。亜精霊には人の言葉を解すものも多いからな」

『倒さなくて良かったね』

「うん」

 城門で襲って来た白狼。リリーの実力なら余裕で勝てたのに、逃がしたのか。

 亜精霊なんて死ぬまで戦うのが本能って言われてるのに。

「この城に居る亜精霊は、倒れる前に逃げるよう飼い慣らしている。傷ついたとしても、放っておけば城に住み着いている光の精霊が癒してくれるだろう」

「それって、幻術を使ってきた精霊か?」

「あぁ。別に、幻術を使うよう私が頼んだわけではないぞ。悪戯好きの精霊なんだ。この城が気に入っているらしい」

 悪戯、か。

 あんなの、ただの幻だからな。

『おかげで何度も戦う羽目になったけどね』

「何度も?」

『一階で迷ってる間に、回復した奴に何回も襲われたんだよ』

「そんなに疲れた状態でアリシアと戦ったのか?」

「疲れてないよ」

「本当に?」

 イリスの言い方だと、かなりの連戦だったみたいだけど。

「亜精霊は、皆、一撃で逃げて行ったから」

『大丈夫ですよ。最初の幻術の魔法で転んだぐらいですね』

「転んだ?」

 リリーの両手を掴んで、手のひらを見る。

「だから、大丈夫だよ」

 怪我はしてないみたいだ。

「リリー」

 アリシアに呼ばれたリリーが顔を上げる。

「亜精霊との戦闘では、あまり気を抜かないようにな」

「気を抜いてなんか……」

「ここに居る亜精霊は、外に居るものとは違う。亜精霊とは、闘争が本能の種族だ。普段の戦闘では、決して気を抜かないように」

「はい」

 いくら戦闘の技術が高くても、優し過ぎると命取りになる。アリシアもリリーの性格を良く解ってるんだろう。

「エルロック」

「何だ」

「図書室の本は好きに持って行って構わないぞ」

「良いのか?ここ、伯爵の城なんだろ?」

「良く知っているじゃないか。……先代の頃から忘れられた城だ。好きに使えと言われている」

 城を丸ごと一つ自由に使えるなんて、どんな特権だよ。おまけに、吸血鬼に亜精霊、転移魔法の実験まで自由に行っているなんて。資金援助も受けているに違いない。

「ここって、元々、何の為に造られた城なんだ?」

「私も詳しいことは聞いていないが、避難所として使われていた場所と聞いている」

「避難所?」

「この辺りの海は昔から自然災害が多いからな。今でこそ港も堅牢になったが、それまでは人の避難はもちろん、港に集積する物資の避難所でもあったらしい」

 小高い丘に立つ堅牢な城なら、避難所としても打って付けだ。でも、こんなところに避難所を作らなければならないほどの災害が起きる場所だったなんて。

 ノックがあって、メイドが入ってきた。

「御昼食の準備が整いました。ご案内いたします」

 

 

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